「どうしよう……どうしよう、ああっ……オレはどうしたらいいんだ?」

 頭を抱えた藤田がウロウロするのを「フジタ、アタマオカシクナッタ?」と、恵比寿が首を傾げて見つめる。
 じと、と恵比寿を横目で見やるが、それで事態がどうなるわけでもない。藤田が深いため息を吐いたとき、いま会いたくない人物の一、二位を争う能井の姿が目に入った。

 「のこと頼むな」と、心に言われていたのに、藤田はから目を離してしまった。VIP席に移動して、席を外したが戻ってくることはなかった。心と能井がパートナーになった話を聞き終えてから、藤田はそれに気がついた。
 すぐにを探しにパーティ会場に戻ったが、ついぞその姿を見つけることができずに、ブルーナイトはもう三日目である。もうすでに、は誰かのパートナーになっているかもしれない。そう考えるだけで、藤田の背筋はぞっと震える。心と能井に知られる前になんとかしなくては、と思っていたものの、藤田にはを探しにいけない理由があった。

 ただ一人、パートナーになりたいと応募してくれた魔法使いを待ち侘びて──しかし、捜しを放ってまで待ち合わせ場所をウロついていたというのに、藤田に声をかける者は現れなかった。
 藤田は悲しさと虚しさに天を仰ぐ。目の奥がつんと痛む。
 パートナーになりたい、と言ってくれる者がいるのだと知って嬉しかった気持ちが、あっという間に萎んでいく。そうして膨らむのは、に対する心配と、彼女の行方が知れないと心たちに打ち明ける不安と恐怖だった。

「ノイ!!」

 恵比寿が能井に向かって両手を振る。
 スーツを纏った能井が「おお、お前ら!」と、足を止めた。その手にはリードが握られ、一匹の犬を連れている。吠えられた恵比寿が悲鳴をあげて逃げていた。

「能井さんの犬ですか?」
「いや、コイツは先輩の犬だ。名前はグラグラっつーの」
「グラグラッ、バカイヌ!! ワルイコダ!!」

 恵比寿がグラグラの頭を叩いて、追いかけ回される。藤田は呆れた顔でそれを横目に見ながら、いつのことを話すべきかと考える。

「実は先輩が二日も行方不明なんだヨ」
「えっ!?」
「それで、グラグラの鼻を借りて先輩を捜してんだ」

 のみならず、心までもが行方不明だとは。藤田は思わぬ事態に、ギョッと驚く。

「じ、実は、さんの姿も見えなくて……」

 そう告げる藤田の声は震えていた。
 能井がルビー色の瞳を見開く。

「何ッ? そういや見てねーけど、煙と一緒じゃなかったのか」

 クソ、と能井が吐き捨てる。恵比寿を追いかけ回すグラグラを捕まえて「でもまずは先輩を見つけねェと」と、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「オレも捜します」
「でも誰かを待ってたンじゃねェのか?」
「もういいんです。それに……さんがいなくなったのは、オレにも責任がありますから」

 ぐっ、と藤田は拳を握りしめる。

「心さんに、さんを頼むって言われたのに」

 あまりの情けなさに、引っ込んだはずの涙が滲んでくる。能井の手が、励ますように藤田の背を叩いた。そのあまりの痛みに、藤田はよろめき、瞳からは涙が落ちる。

「さあグラグラ、先輩のニオイをたどれ!!」


 さすがは犬の嗅覚である。時間はかかったものの、グラグラは心の元にたどり着いた。
 魔法によって眠らされていたらしい心は、目覚めてもまだぼんやりしているようだ。すぐにのことを伝える勇気が、藤田にはなかった。

「先輩」

 しかし、そんな藤田の気持ちを能井が汲んでくれるわけがなかった。

が誰かのパートナーになったかもしれません」

 眠たげだった心の顔色が変わる。
 見開かれた瞳が驚愕に染まっているのが、ありありとわかった。さっと周囲を見回した心の視線が、藤田を捕らえる。

「藤田」
「す、すいません。すぐに煙さんの元に行ったんですが、さんが席を外して……戻ってこなかったんです」
「…………」

 はあ、と心が深いため息を吐いた。びくりと震えて恐縮する藤田の肩を、能井がポンと叩く。

「ま、いまはどうしようもねェ。とにかく早いとこ契約に行かねェと」
「……そうだな」

 白んだ空を見上げ、心が頷いた。
 もはや藤田は自分のパートナーのことなどどうでも良くなっていたのだが「もう一回さっきの場所へ行ってみろよ、今は相手が来てるかもしれんぜ!」と、能井が快活に笑った。
 待ち合わせ場所にはやはり誰もいなかったが、藤田のパートナーに応募してくれたのは恵比寿だと判明した。本気なのか冗談なのかよくわからなかったが、藤田は恵比寿を連れて、心たちと共に契約に向かったのだった。




 ──その頃、煙の屋敷。
 天井に現れたドアが開き、ドサドサと人が落ちてくる。「わっ」と悲鳴を上げた鳥太が身を屈め、さっと煙の背に隠れた。鬱陶しいことこの上ないが、煙の興味は無様に床に這いつくばる女に向いていた。

「ようこそ。二階堂」

 女が呻きながら顔をあげた。マスクをしているが、確かに栗鼠を狙って屋敷に忍び込んだ者に間違いない。
 煙はそれを確認すると、手酷くやられていたキノコ人形に二階堂を拘束させ、トサカやろうと侮辱した男の顔をキノコに変える。この女が長年探し求めていた魔法使いなのかと思うと、気分が高揚するのを感じる。

「さぁ質問をはじめようか、二階堂。お前は“時を操る──”」
「煙!! 見て」

 鳥太が、煙の腕を引っ張りながら叫ぶ。
 何事かと振り向けば、開いた窓から続々と悪魔が部屋に入ってくるところだった。
 ストン、と床に着地した悪魔の腕には、何故かが抱かれている。「え? じゃん」と、鳥太が素っ頓狂な声をあげたが、煙も似たような心境だった。

「いよォ、煙! オレにだまってるなンて、水くさいじゃねえか!」
「チダルマじゃネーカ。どうしてと……いや、家にいなくていいのか?」

 ブルーナイトの真っ最中だというのに、悪魔がこぞって家から出ることなど、あり得ない。パートナーの契約を結ぶには、悪魔が必要不可欠だ。
 訝しむ煙に対し、チダルマがを床に下ろしながら「何を言ってンだ!」と、名刺を取り出した。

「スゲェ魔法使いには名刺を渡しにくるに決まってるだろう」
「なるほどコイツが時間を操る魔法使いか!!」

 その名刺は、二階堂に差し出された。煙は確信し、二階堂に詰め寄った。

「お前が時を操る魔法使いなのか!!」

 えっ、と声をあげたのはだった。
 煙はちら、とを一瞥する。滅多にしないマスクをつけているせいで、表情はわからない。が着ている服は、初めて煙が贈ったフリルたっぷりのワンピースによく似ていた。もう四年も前のことだというのに、我ながらよく覚えているものだ。

「煙、どうだ? 可愛いお人形になっただろ?」
「煙さん……」

 チダルマが、フリルとリボンのついたスカートの裾をつまみ上げる。「オレが仕立ててやった」と、チダルマは得意げだ。

「あの、わたし……」

 が不安そうに、煙を見あげる。
 何故チダルマとが一緒だったのか──気にはなるが、それよりもブルーナイトの終わりが近づいていることのほうが、問題だ。

、話は後だ。オレは二階堂と契約する」
「えーーーッ!?」

 鳥太が悲鳴じみた声を上げるので、煙は睨みを効かせた。

「鳥太、ターキー。あとは頼んだ」

 連れてくるのは二階堂だけで十分だったのだが、おまけがたくさん床に転がっている。煙はゴミを見るような目をそれらに向けて、踵を返した。




 ──その数時間前、黒い家。

「お、お目覚めか?」

 愉快げな声が降ってきて、は顔をあげる。「チダルマ」と、呟く声は少しばかり掠れていた。
 数度瞳を瞬いて、はこの場所が黒い家であることを確認する。

「身体が動かない……」

 椅子に座っているようだったが、腰を浮かせることは愚か、肘掛に置いた手も持ち上がらなかった。

「ンン? ああ、忘れてた。お人形っぽくするのに、椅子に磔にしてたんだったナ」

 なんでもないふうに言ってくれる。
 チダルマが手を引くだけで、は動けなかったのが嘘のようにスッと立ち上がる。フワッとスカートが揺れることに気づいて、は自身を見下ろした。マスクのせいでいつもより視界が狭い。

「この服、」
「お前が煙の屋敷に来た頃、よく着てたよなァ。オレが特別に仕立ててやった、感謝しろ」
「あ、ありがとうございます」

 鳥太曰く、煙に十歳くらいの子どもだと思われて贈られた服だ。二十歳になったいま、どのように見えているのか気になるが、鏡がないので確認しようがない。

「もしかして、わたしはずっとここにいたんですか?」
「そうだぜ? お前はオレの愛玩具として、待ち合い室に置いておいた。皆、本物のお人形だと思ってたンじゃねーか?」

 くつくつとチダルマが可笑しそうに笑う。は小さくため息を吐いた。

「いま、何日目ですか?」
「三日目だ」
「えっ? もうそんなに……心さんと能井ちゃんは」
「いーや、まだ来てねェなあ」

 は不安に顔を曇らせ、胸を押さえる。
 まさか本当にパートナーが変わってしまうのだろうか。二人に限ってそんなことはない、と思いながらも、不安は消えてくれない。

 心と能井の元に行かなければ。

「おっと、煙のところにお客さんだ」

 ふいにチダルマが呟く。その言葉の意味を理解するよりも早く、チダルマがを横抱きにして、窓から飛び立った。チダルマの羽音と風の音を聞きながら、は悪魔の気まぐれで落とされないように、ぎゅっと抱きついたのだった。



ブルームーンを撃ち抜いて