彼岸花が敷き詰められた道は美しく幻想的だったが、にはそれを眺める余裕がない。
 心の歩幅は随分と大きく、は足早に歩かなければならない。能井ではないがそれなりに踵のある靴のせいで、時おり足がもつれそうになる。

「心さん、待って。ちょっと早……きゃっ」

 傾いたの身体を心が受け止める。
 心のたくましい胸板に鼻先をぶつけて、少し痛んだ。はそろりと顔をあげ、涙目で心を見つめた。

「わ、悪い。大丈夫か」
「うん……歩くの遅くてごめんなさい。もう少し、ゆっくりお願いできますか?」
「わかった」

 心が気まずげに頷く。少しだけ考えるそぶりをして、繋いだ手を離すと心は肘を立てて腕を差し出した。「煙さんみたいに気が利かなくて悪かったな」と、心が顔を背けてぶっきらぼうに言った。
 は首を横に振って、心の腕に手を添えた。

「シン」

 恵比寿の手が割り込み、は慌てて手を引いた。を押しやると、恵比寿がピタリと心に寄り添う。
 は目を丸くして恵比寿を見た。

「恵比寿、やめろって!」

 慌てて藤田が引き剥がすそうとするが、恵比寿は離れようとしない。

「す、すみません……心さん、さん。恵比寿~!」
、行くぞ」

 恵比寿を無理やり引っ剥がした心が、に腕を向ける。はぎゅっと抱きつくように腕を絡めた。心がギョッとを見下ろし、腕を振りほどこうとする。

「オイ、歩きにくいだろ」
「いいじゃないですか、ゆっくり行きましょう」

 が笑うと、心が渋々といった様子で歩き出す。
 どうでもいい顔をして恵比寿とそのまま行ってしまわなかったことが、素直に嬉しい。どうしたって緩んでしまう頬に、は手を添える。熱を持ってひどく熱い。

「……綺麗なんじゃねーの」

 ぼそ、と心が呟く。その顔は前に向いていて、見あげたをちらりとも見ようとしなかった。
 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 の足が思わず止まる。心が怪訝そうに振り返った。

「あ、あの、その、」

 の頬は、きっとそこらに咲いてる彼岸花と同じ色をしている。
 赤くなった顔を見られないように俯いて、は必死に言葉を探した。けれど、混乱した頭では、何を言ったらよいのかちっともわからなかった。
 ちら、とは心を窺う。当たり前だが、マスクのせいで表情はわからない。

「……ありがとう、心さん。嬉しいです」

 ん、と返事ともつかぬ声を出し、心がを促す。控え室に着くまで、はずっとつま先を見ていた。



 隣に座った心の向こう側から、恵比寿が顔を覗かせる。作り物の胸を心にピタリとくっつけて、勝ち誇ったように笑っている。

「シンハ、ワタシノイロケニメロメロダ」
「はぁ? テメーの脳みそがメロメロに溶けてンの!」

 心が鬱陶しげに恵比寿を払う。「……ロリコン」と、捨て台詞を吐いて、恵比寿が心から離れていく。

「恵比寿さん、心さんに失礼ですよ。それに、わたしはロリじゃありません」

 ロリだの何だの言われるのは構わないが、心まで巻き込んで馬鹿にするのなら話は別だ。恵比寿が振り返り、無言のままの目の前に立った。
 す、と持ち上げられた両手が、の胸を鷲掴んだ。

「コレガ86センチノチチ……」
「やめんか!」

 あまりのことに呆然としていると、心が恵比寿を引き離した。能井がケラケラと笑う。

「恵比寿はまだまだこれからだろ~? 気にすンなって」
「おまえらウルセーぞ!」

 挨拶の練習をしていた煙が、苛々と怒声を飛ばす。
 はしゅんと肩を落としたが、他の誰も悪びれる様子はない。恵比寿など、偽乳をたわわに揺らし、上機嫌に踊っている。
 ガチャ、と控え室のドアが開いた。

「失礼します。今日の応募者リストです」

 煙の部下たちが、山積みになったリストをそれぞれに手渡していく。

さんのリストです」

 のリストはキクラゲと同じくらいの量だった。募集を行わずにリストが一枚もない恵比寿が、恨めしげにを見ている。
 目を通さずにテーブルに置いた同様、鳥太も興味がないようで、テーブルに投げ置くと煙のリストばかりを気にしている。煙ファミリーのボスだけあって、その量はなどとは比べものにならない。

「先輩……」

 ペラペラとリストに目を通していた能井が、強張った声で心を呼んだ。は首を傾げ、能井を見やる。

「あの野郎、生きてたみたいです」
「こっちもだ……ヤベーな」

 心もまた、リストをめくって目を細める。

「能井……パートナーが変わっちまうかもしんねェぜ」

 は息を呑んだ。
 能井は思案するように、黙り込んでいる。不安に顔を曇らせたに気づいて、心がポンと頭を軽く叩いた。

「何でおまえがそんな顔すンだよ」
「だって……いやです。能井ちゃんと心さんが、パートナーじゃなくなるなんて」

 心と能井は強い。けれど、このブルーナイトでは、本当に何でもありなのだ。万が一ということだって、あり得ないことではない。
 頭に置かれた心の手が離れ、ピンと鼻先を優しく弾く。は指先で鼻を押さえる。

こそ、どっかの誰かにパートナーにされるんじゃねェぞ」
「キクラゲもも、渡さんぞ」

 キクラゲを抱いたまま、煙がに手を差し伸べる。はその手を取って、心に笑いかけた。

「わたしは大丈夫ですよ」

 の魔法は地味だ。パートナーになりたがる者はそれほど多くないし、過激でもないだろう。
 煙がを伴い、ゆっくりと歩き出す。

「……だといいけどな」

 小さく呟き、心が顔を背けた。




 煙のパーティ会場に入れるのは、事前に審査を通過した選ばれた魔法使いたちだけだ。この場にいるのは、皆煙ファミリーとのパートナー契約を望んでいるのだ。
 壇上で会場を見渡したものの、リストを見なかったは、自分とパートナーになりたい者の顔もよくわからない。誰ともパートナーになるつもりのないには、興味のないことだった。

 先ほどまで煙が挨拶をしていた壇上では『ブルーナイトの奇跡』が行われているが、毎回同じストーリーかつ演出であるため、誰も見向きもしていない。
 リハーサルで目にしているもまた、すぐに壇上から視線を外した。

 乾杯のグラスを合わせるだけで、料理に見向きもせずに出入り口へ向かっていく能井を見つける。その足取りが頼りないことに気づいて、は声をかけた。

「能井ちゃん、一緒に行こうか?」
「ン? いーよ、は先輩たちとウマイ料理食ってな」

 ヨロヨロと会場を後にする能井の後ろ姿を、は見送る。また転んだりしないかと、つい冷や冷やしてしまう。

「どうした?」

 心がグラスを手渡してくれる。
 指先がふいに触れ合って、どきりとする。見あげた心の顔にマスクはなく、眼鏡の奥にある淡いブルーの瞳にが映っていた。

「能井ちゃん、まだお料理も食べてないのに」
「トイレだろ。すぐ戻るさ」

 デリカシーの欠片もない物言いに、は眉をひそめる。いくら大柄で、戦闘狂で、言葉遣いが男らしくとも、能井はれっきとした女性だ。
 はむっと口を尖らせながら、能井の好きなスパゲッティを取り分けようと皿を手にする。
 すかさずその皿に肉料理を乗せられ、は眉をひそめて心を見あげた。

「能井ちゃんのために、スパゲッティをよそおうと思ったのに」
「自分で取らせりゃいーだろ」
「もう……だったら、わたしだって自分で食べたいものを取ります」
「怒るなって、それウマいぞ」

 少しも悪びれる様子のない心に、は背を向ける。「」と、心にひょいと顔を覗き込まれて、はぎくりと身を強張らせた。心の素顔を直視するのが難しくて、は慌てて目を伏せた。不自然だったかもしれない。

「0時過ぎたら、ゆっくり飯も食えねェかもしれないからな。今のうちに食っとけ」
「わたしは……心さんや能井ちゃんとは違いますよ」
「おまえのパートナーになりたい奴もいる。それを忘れんなよ」

 ぽん、との頭に乗せられた手が、ひと撫でして離れていく。
 はそろりと窺うように、心を見あげた。心配してくれていることが、痛いほどにわかる。は心たちのようには戦えない。

 の応募者リストはキクラゲとほぼ同量だった。をパートナーに、と考えている者が、この会場の中に多からずもいるのだろう。

「ま、煙さんの近くにいれば安心だろうけどな」
「うん……」

 頷いて、はグラスに口をつけた。心がくれたのは赤ワインではなく、ぶどうジュースだったようで、甘みが口に広がる。
 これは、子ども扱いではない。気遣いだ。
 はお酒に弱いわけではなく、煙の晩酌にも付き合えるが、それほど好きではない。

「ありがとう、心さん」

 小さな気遣いにも、心配してくれていることにも、は感謝を述べる。照れ隠しなのか、心は顔を背けて片手を軽く上げただけだった。
 は肉料理に舌鼓を打ちながら、会場の出入り口へと視線を向けた。
 まだ、能井が戻ってこない。

 能井がちょっとやそっとのことでやられることがないことは、だって承知している。けれど、すぐに治るからと攻撃を避ける意識がなく、慢心があるのも事実だ。
 時計を確認するが、まだ0時は回っていない。心の言う通り、心配など不要なのかもしれなかった。それでも気になるものは気になる。
 は空になった皿とグラスを、煙の部下に預けた。

「待て。能井の様子は俺が見てくる」

 ぐっ、と肩を掴まれて、は足を止める。掴まれた肩が少しだけ痛い。

「心さん」

 見あげたその横顔は、思った以上に真剣だった。
 能井に何かあったのかもしれない。途端に顔を曇らせたに気づいてか、心がまなじりを緩ませて微笑んだ。

「すぐ戻るよ」

 一緒に行く、と言えなかったのは、ただの足手まといにしかならないとわかっているからだ。
 はその背が見えなくなっても、心が駆けていった方向をずっと見つめていた。

わたしの眼差しでできたアンダンテ