「煙さん、どういうことだ」
心に詰め寄られた煙が、ため息を吐く。
まるで煙だろうと、返答次第によっては、怒りのまま殴りかかりそうな勢いだ。
「落ち着け、心」
「…………説明してくれ」
心が静かに告げる。けれど、その瞳は怒りで燃えていたし、握った拳にもひどく力がこもっていた。それを横目で見た煙が、もう一度ため息を吐く。
「のために決まっているだろう」
「本気で言ってンのか」
「……おまえも後悔していたんじゃないのか? があのまま部屋から出てこなかったらどうする。ホールに行った結果がこうだ、少しは反省しろ」
心が拳を壁に叩きつけた。加減を知らないのか、壁が陥没するほどの馬鹿力だった。
「そんなことを言って、アンタのいいようにしようってんじゃないだろうな。煙さん!」
「いいよう? フン、笑わせるな」
「だが、アンタは実際を都合のいい操り人形に……」
「話は終わりだ、心」
煙が冷ややかに心を一瞥する。これ以上食い下がれば、心であろうとキノコにされかねない。
壁に打ちつけた拳から流血していることに心が気づいたのは、煙の部屋を出てからだった。
の左手指から伸びていた糸がプツンと切れる。「よし、できた!」と、は満足げにワンピースを広げてしげしげと見つめた。
フリルは控えめにして、レースをあしらった黒のシックなワンピースだ。恵比寿に似合うだろうか、とは想像してみる。普段はシンプルながらもパンクな格好をしているので、なるべく装飾は少なくしてみたのだ。能井のように嫌がられては悲しい。
はウキウキした気分で、恵比寿を探すため部屋を飛び出した。
恵比寿の記憶はいまだ戻らず、ほとんど藤田と行動を共にしている。その藤田はといえば、能井と心の仕事について回っている。
「能井さんなら応接間にいるはずですよ」
何も言わずとも、を見た使用人がそう教えてくれる。が能井を慕っていることは、煙ファミリーでは既知なのだ。は気恥ずかしさを覚えながら礼を言い、応接間に向かう。
「煙さん……」
「ああ、か。入れ」
煙に招かれ、は応接間に足を踏み入れる。
室内には、煙のほか、能井と心も、藤田と恵比寿も揃っていた。煙と対面するソファには、キクラゲによって蘇った十字目の男が座っていた。生首だけだったはずだが、身体がある。言うまでもなく取り込み中だったようだ。
はちら、と煙を見あげた。
「お邪魔してごめんなさい」
「構わん。もそこに座れ」
はストンと能井と藤田の真ん中に腰を下ろす。能井がケーキを取り分けてくれ、藤田が紅茶を注いでくれる。は小声で二人に礼を言った。
恵比寿の服が完成した、ととてもじゃないが言える雰囲気ではない。
はケーキを食べながら、様子を伺う。ふと、窓際の心と視線が合って、は目礼した。す、と心が目を逸らす。
「…………?」
ちく、とどこかが小さく痛むような違和感を覚える。けれど、その正体を掴めずに、は小首を傾げた。
栗鼠、という男は、煙の知りたい情報を何ひとつと吐かないようだった。パチン、と煙が指を鳴らすと、水槽を抱えた藤田がその中身を栗鼠に見せつける。バラバラになった人間が詰められている。恐らく心の魔法によるものだろう。
「あれェーッ? 宮本さんじゃん、お久しぶりーッ」
栗鼠が人差し指をさしながら、愉快そうに笑った。たとえ友人ではなくても、同じ組織の知人がこんな目に遭っているというのに、薄情な反応だ。
煙が思わず椅子から落ちそうになる。
「ボス! 大変です!!」
慌ただしく入ってきたファミリーの一員が、侵入者の存在を知らせる。
煙に敵は多い。しかし、屋敷まで乗り込んでくる者などほとんどいないのだ。あまりに無謀すぎる。
血盛んな能井が諸手を挙げて「ヨシ! オレが始末してきてやるぜ!」と立ち上がった。
勢いよく部屋を飛び出していく能井を呆れ顔で見ながら「、おまえも来い」と、煙に言われて立ち上がる。
「アンタ、煙のオンナか?」
栗鼠が、にしか聞こえないボリュームで囁いた。は栗鼠のニヤついた笑みを一瞥し、何も言わずに煙に駆け寄った。
ドアが現れたワインセラーから、とんぼ返りで応接間に向かう。
侵入者の狙いが栗鼠だと判明したのだ。煙は、十字目のボスではないかと睨んだようで、慌てて栗鼠の元へと駆けて行った。過去に十字目のボスは、能井と心に瀕死の重傷を負わせ、煙自らが対峙したという。
運動が得意ではないは、煙たちから少し遅れて応接間に到着した。息を切らせながら、入り口から顔を覗かせる。
「、来るなッ!」
心の声が鋭く飛んだ。ぎくり、と身体が強張り足が竦む。
立ち竦むを心が突き飛ばした。その勢いたるや、廊下の壁に頭を打ちつけて、一瞬意識が飛んだほどだ。気づいたときには、目の前のドアが閉まっていた。は後頭部の痛みに呻きながら立ち上がり、ドアを開けた。
「えっ……!」
そこかしこにキノコが生えていて、心や恵比寿の下半身はすでにキノコ化している。煙の魔法だとすぐにわかったが、状況がまったく理解できない。
しかし、が中に入ったとしても、キノコになってしまうだけである。
「煙さんやめて、みんながキノコになっちゃう……!」
「、能井を…………」
「は、はい!」
振り返った先で能井を見つけて、は泣きついた。
「能井ちゃんっ、煙さんを止めて!」
「ゲッ」
能井がキノコをかき分け、「やめろこの野郎ッ」と、なおもケムリを吐き続ける煙を殴り飛ばした。
ようやくケムリが治った室内に、は恐る恐る足を踏み入れる。あのとき、心が止めてくれなければもこのキノコたちの仲間入りだっただろう。
能井に抱き起こされた心はすでに半身がキノコになってしまっており、意識がない。
「は無事でよかったぜ」
能井がにこりと笑って、外した心のマスクをに手渡した。そうして、能井が心の口へとケムリを吹き込む。能井のケムリは、煙と同じく口から吐き出される。さながら、キスシーンを見ているような気がして、は慌てて目を逸らした。
視線の先で、煙がふらりと立ち上がったのが見えて、は肩に手を添えて支えた。
「煙さん、大丈夫ですか?」
「うう……あの女は?」
「知るか!! このキノコの中のどれかだろッ」
心の治療を終え、横抱きにした能井が憤慨しながら言った。心の姿は元に戻っており、はほっとため息を吐く。
「、おまえも無事だったか」
いつの間にか、煙の腕にはキクラゲが抱かれている。どうやらキクラゲも無事のようだ。
「はい、心さんのおかげで」
「……心か」
煙が苦虫を噛み潰したかのように、眉根を寄せた。何故そんな顔をするのかわからずに、は首を傾げる。
「、行くぞ!」
「あ、うん。待って能井ちゃん」
能井に呼ばれ、は駆け寄った。部屋を出る際に、振り返って見た煙の顔は相変わらずしかめられていた。
心の瞼が震えて、おもむろに瞳が開いた。ぼんやりとした様子で、何度か瞬きが繰り返される。
「心さん、気がついたんですね」
は安堵の笑みを浮かべ、心の顔を覗き込んだ。
心を部屋まで運んだあと、能井は一応応接間の様子を見に戻っているため、ここにはと心しかいない。
「気分はどうで──」
いきなり身を起こした心に抱きすくめられて、の言葉が途切れる。あまりに唐突な出来事に、は目を白黒させる。心のたくましい腕に閉じ込められ、は身じろぐことすらできない。
指の先までつぎはぎのある両腕。ホールからこちらにやってきた、魔法使いとそうでない者のハーフ。能井のパートナーである、煙の掃除屋。
こうして考えてみると、は心のことをあまり知らない。
能井のことは大好きで、もう何年も前から一緒にいるような気がしているというのに、心とはそれほど親しくないというのも不思議である。能井と心は大抵セットだ。
「……タンコブができてる」
心がの後頭部を撫で、呟いた。確かに触れられると少し痛い。
ようやく腕の力をゆるめて、心がの顔を覗き込んだ。青い瞳が眼鏡の隔たりなく、をひたと捉えている。
は心を見上げ、首を傾げた。
「心さん? どうしたんです、なんだか変ですよ」
「…………」
はあ、とため息を吐いた心が、を解放したかと思えばドアに向けて背を押しやった。
「能井に治してもらえ」
「え? 大丈夫ですよ、このくらい。すぐに治ります」
「俺が嫌なンだよ。おまえに傷をつけたくない」
傷というほど大袈裟なものではないが、心が気に病むなら仕方がない。は後頭部にそっと触れてみる。
「わかりました。能井ちゃん、呼んできます」
「いーよ、別に呼ばなくて」
「えっと。じゃあ、目が覚めたことを伝えておきますね」
はドアノブに手をかける。「なァ」と、声をかけられ、は振り向いた。
「様子が変なのはおまえのほうだ、って言ったらどうする?」
は困惑する。
様子が変とは、一体どういうことだろう。皆目見当もつかない。けれど、何故だか薄ら寒いような感覚がして、は誤魔化すようにドアを開けた。
「何言ってるんですか? やっぱり、なんだか変ですよ。キノコ化の影響じゃないですか? 能井ちゃんを呼んできます」
「あ、おい……」
なおも言い募ろうとした心から逃れるために、は廊下に出てドアを閉めてしまう。そのまま、心の部屋から走り去る。
変なのは心だ。
そう言い聞かせながら廊下を走る。だいぶ遠ざかったあたりで足を止めて、は胸に手を当てた。
「どうして……」
ドキドキするのは、走ったせいだけじゃない。だって、耳がひどく熱い。