は、モンド城では名の知れた冒険者である。
その実力は、西風騎士団の騎兵隊長の折り紙つきで、モンドの人々は困りごとをよく彼女に解決してもらっている。「が西風騎士だったらなあ」なんて声が騎士団の中でも聞こえてくるくらいで、アンバーだってそう考えたことは何度だってある。
たとえば、モンドが風魔龍の危機に瀕したいま、とか──
「残念ですが、わたしではお力にはなれません」
そう言って首を横に振るを前に、アンバーは項垂れた。
の答えはわかっていたのだ。彼女は決して、騎士団の仕事に手は出さない。けれど、今回こそはもしかして、と期待を抱いてしまった。しょんぼりするアンバーをみて、が「あの、でも、冒険者としてできることはしますから」と、慌てて口を開く。
「アンバーさん、何だかいつもごめんなさい」
「……ううん。わたしのほうこそ、しつこくてごめんなさい。さんは、あくまで冒険者なのに」
つい、を頼りにしてしまう自分を、アンバーは恥じた。
しかし、いまの西風騎士団は深刻な人手不足である。いくら代理団長のジンが優秀だろうと、その身はひとつしかない。
「どうした? にいじめられたのか、アンバー」
「ガイア先輩、失礼なことを言わないで」
突然口を挟んできたのはガイアだ。アンバーはじろりとガイアを睨んだが、が気にしたふうはない。
騎兵隊長という肩書きを持ちながら、ガイアが騎士として真面目に働いているところをアンバーは目にしたことがない。ジンには信頼されているようだが、アンバーにとってガイアは尊敬に値しない先輩騎士である。
「さんも怒っていいんですからね!」
「ふふ。ガイアさんの軽口にいちいち怒っていたら、身が持ちませんよ」
「で、でも……!」
「アンバー、お前、が怒ったところを見たことがあるか? こういう穏やかな奴ほど、怒らせると恐ろしいのさ。気をつけろよ」
気をつけるのはガイア先輩じゃ、と思いながらアンバーはを見やる。眉尻を下げて笑うその顔は、ちっとも怒っていないようだ。確かに、が怒ったところをアンバーは見た覚えがない。
「ま、そういうことだ。これは失礼なんじゃなくて、仲のいい証拠さ」
ガイアがそう言いながら、の肩を抱く。
アンバーはきょとんと目を瞬かせた。
仲がいい。とガイアが? まさか、とアンバーは内心ですぐに否定した。足繁く通う酒場では”安心して孫娘を託せる男”などと言われているようだが、アンバーにしてみればガイアは立派な昼行燈である。
ガイアは、にふさわしくない。
アンバーはそう結論づけると、ガイアの手を払った。に変な虫がついては大変だ。
「さん、ガイア先輩に騙されないでくださいね。口ばっかりうまいんだから」
「まあ、ひどい言われようですね。騎兵隊長さん」
アンバーとの視線を受けて、ガイアが軽く肩を竦める。
「偵察騎士アンバー。ほら、まだ仕事が残っているはずだぜ」
ガイアの言葉にアンバーはハッとする。
万が一にも、こんなところで油を売っていることをジンに知られたら、ドヤされるに違いない。モンドの守護者たるジンは、ガイアと違って大変真面目なのだ。
「そうだった! ガイア先輩、さんに変なことしないでくださいよ」
アンバーはガイアに釘を刺して、その場を離れる。だいたい、ガイアにだって騎士団の仕事があるはずだが、呑気に手を振っている。アンバーは駆けながら、内心で憤慨した。
やはり、ガイアはにふさわしくない。
「変なこと、ね」
ガイアがぽつりと呟くころには、すでにアンバーの姿は見えなくなっていた。
「それで? アンバーは何だって?」
「騎士団に手を貸してほしい、と……」
「ほう、お前はそれを無下に断ったわけか。なるほど」
したり顔で頷くガイアを、は見上げた。
ずいぶんな言われようだが、事実である。は小さくため息を吐いて、ガイアから視線を逸らした。
「この辺りも、寂しくなったもんだろう? 賑やかなのは、エンジェルズシェアくらいなもんだ」
やれやれ、とガイアが大仰な仕草でかぶりを振る。はあたりを見回して、目を伏せた。風魔龍の影響で、商人や旅人の姿がめっきり減ってしまったようだ。
「ええ、ほんとうに。モンド城に戻ってきて、驚きました……」
「、これでも騎士団には手を貸せないのか? 正直、いまの騎士団じゃあモンドの問題を解決できるかどうか怪しいぜ」
冗談めいた物言いだが、紛れもないガイアの本心だろう。
いまの騎士団──大団長ファルカは団員の8割を連れて、モンド城を離れて遠征に出ている。騎兵隊長たるガイアには、馬の一頭も残されていないくらいだ。
は答える言葉を持たずに俯いた。
「ハハハ、困らせたいわけじゃないさ」
「……、」
「ほんとうにのっぴきならなくなったときには、代理団長じきじきに協力を要請するだろうしな」
「それは……」
断れそうにない、とは内心で呟いた。西風騎士団に手を貸すのがいやなのではない。ただ、そのような事態に陥る恐れがあるということが、の胸の内を重くする。は、モンドが好きだ。
の顔が曇ったことに気づいてか、ガイアが軽く笑ってぽんと肩を叩く。
「ま、立ち話もなんだ。ほら、鹿狩りで食事でもどうだ?」
「騎士団は、お忙しいんじゃ」
「なに、少しぐらい大丈夫さ。偵察騎士が真面目に走り回ってくれているからな」
ガイアがあっけらかんと笑う。これでは、アンバーに酷い言われようも納得である。
の呆れた視線を無視して、ガイアが鹿狩りに向かう。「どうした? 早く来い」と手招きするガイアへ、は足を踏み出した。
元素の流れと地脈の循環が乱れているせいか、肌を撫でる風がいつもとは違う気がしてしまう。しかし、モンド城の風車は以前と変わらずにゆっくりと回っていた。
「鹿狩りへようこそ! 何名様ですか?」
鹿狩りの店員であるサラが笑顔で迎えてくれるが、どことなく元気がないようにも見える。
「、好きなものを頼んでいいぞ。鹿狩りも久しぶりだろう? 俺が奢ってやろう」
「いえ、そういうわけにはいきません」
「ほお? お前、デートで男に恥をかかせるタイプだな?」
隻眼が、愉快そうにの顔を覗き込んだ。
「まあ。でも、デートじゃありませんもの」
がそう言えば、サラが小さく吹き出すように笑った。
「デートじゃなかったんですか?」
「可愛げのない奴め」
肩を竦めたガイアがふと、空を仰いだ。つられても顔をあげる。「雲行きが怪しくなってきたな」と、小さく呟いたガイアをは神妙な面持ちで見つめた。
「悪いが、食事はまた今度にしよう」
の返事も待たずに、珍しくガイアが駆けだしていく。
首を傾げながら、サラが店先から身を乗り出して、空を見上げた。青空が見る間に雲に覆われて、風が吹きすさび始める。穏やかに回っていた風車が、音を立てて回っていた。
「ど、どうしたんでしょう?」
「サラさん、建物の中へ」
「えっ?」
戸惑いの声を上げるサラの肩をそっと押しやったとき、モンド城の上空を”何か”が駆け抜けた。は素早くサラを背に庇い、空を睨んだ。
大きな唸り声を上げるのは、風魔龍──
咆哮が鼓膜をびりびりと揺らした。黒い竜巻が、土煙を上げながら噴水のある広場へと迫る。
「サラさん、お店の中に入ってください!」
逃げ惑う人々の中には、アンバーの姿も見えた。
彼女のすぐ隣を走っていた少女が、竜巻に巻き上げられる。「うそッ!」と、悲鳴じみた声を上げたアンバーの長い髪が、間近に迫る風によってぶわりと広がった。は咄嗟にアンバーの手を掴んで、引っ張る。
「さん!?」
「アンバーさんまで巻き込まれてしまいます!」
「で、でも……っ」
振り返るアンバーが足を縺れさせるが、持ち前の反射神経で何とか堪えて持ち直した。
はアンバーを気にかけながら、上空を窺う。少女が落ちてくる様子はない。モンドの人ではないようだったが、風の翼によって墜落をまぬかれたのだろうか。
アンバーの顔色が悪い。胸の前で握られた拳が、細かく震えていた。
「アンバーさん、協力してみなさんの避難を誘導しましょう」
「、さん……」
はぎゅ、とアンバーの手を包んだ。
揺らいでいた琥珀色の瞳が力を取り戻して、を見つめ返す。アンバーのその顔は、ただの少女ではなく、れっきとした西風騎士の一員だ。
「はい!」
ぴょこんと頭部のリボンを揺らして、アンバーが力強く頷いた。
暴風がほんのわずかにその勢いを弱めたような気がして、は空を見上げた。唸り声を上げながら飛ぶ風魔龍の後ろに、人影が見える。
「あれって……うそ、旅人さん!?」
アンバーの瞳がこぼれんばかりに見開かれる。
はその傍らで、目を細めた。少女の背には風の翼が見えるが、”ふつうは”これだけ滞空出来るわけがない。旅人がこのようなタイミングでモンドを訪れたのは、偶然か必然か。果たして、彼女の存在は吉と出るか凶と出るか──
ひときわ大きな声を上げながら、風魔龍がさらに上空へと飛び上がっていく。
翼の風圧によってか、少女の身体がふらついた。アンバーが顔を強張らせるが、少女はモンド城へと下降し始めていた。
「さん、ここは任せてもいいですか?」
「もちろんです」
の頷きを確認して、アンバーが走り去る。
竜巻が消えたモンド城内は、物があちこちに飛んでいて、窓が割れてしまった家屋もあった。店先に並んでいた花が吹き飛ばされて、花屋の店主であるフローラが、悲しげに割れた鉢とこぼれた土に手を伸ばす。
「お花が……」
「フローラさん、まだ外に出ては危ないですよ」
風魔龍の咆哮はまだ聞こえている。の言葉に頷いて、フローラは店内へと戻っていった。モンドの城門を守る西風騎士が慌ただしく動いている。
はもう一度空を見上げるが、風魔龍の姿を捉えることはできなかった。
モンド城の空は、暗いままだ。