クリミアの捕虜たちを収容していた施設を襲ったのが、ガリアの獣兵を伴ったクリミアの残党だという情報が入った。くだんの失態によりずいぶんと意気消沈した様子であったプラハだったが、半獣との言葉を聞いてさっと顔色を変えた。ラグズを前にして逃げ出したデイン兵を思い出したのか、忌々し気に顔を歪ませている。



 ふいに名を呼ばれ、は敬礼する。

「おまえ、半獣どもを狩っておいで。あんたぐらいだね、半獣を前にして逃げ出さなかったのは」
「……はっ」

 半獣が大嫌いだと言ったプラハには、たしかに私怨すら感じるほど、ラグズへの嫌悪が強いようだ。「許さない、汚らわしい半獣め……」ぎり、とプラハが唇を噛みしめる。あのとき、ライたちが現れなければ、おそらくあの傭兵団はデイン軍に一掃されていただろう。
 こうして、はプラハの命により、港町トハへと出向いた。



「は、半獣っ!」

 女性の悲鳴が上がる。あっという間に集まった住民が口汚くラグズを罵る声が聞こえて、は様子をうかがうために近づいて、驚きに目を瞠る。ライ、と動いた唇から声はなかった。
 は素早く駆け寄り、住民たちに声をかける。

「みなさん、落ち着いてください! 半獣はとても危険です、わたしたちデイン兵に任せてください」

 半獣、と口にする際、胸を抉られるような痛みを感じた。
 波が引くように、住民たちがライから離れる。化身していなければ、いかにラグズと言えどベオクと同じ生身で、脆い。容赦のない暴力に身を丸めていたライが顔を上げて、軽く目を見開いた。
 は一瞬だけ顔を歪める。ごめん、とライにだけわかるように唇を動かす。

 ライの腕を掴んで立ち上がらせる。拘束しているように見せるため、腕をひねりあげるように掴みなおす。「こんなことしかできなくて、ごめん」はライの耳元で小さくささやく。ライの耳がピクリと動いた。

「やめろ!」

 声と同時に突き飛ばされる。は受け身を取って、素早く体勢を立て直す。
 その顔には見覚えがあった。「傭兵団の……」はつぶやいて、青年を見つめた。
 突然、ラグズを助けるために飛び込んできた青年に対し、住民がざわめき始める。クリミアの民であるというのにも関わらず、「おーいっ! デインの兵隊さんよぉ!! こっちに、あやしい奴らがまぎれこんでいるぞーっ!」と、住民が声を張り上げた。
 青年が愕然とした顔をする。「おまえたち、正気か?」そうして、その顔は怒りに染まっていく。

「……この国の王は、デインに殺されたんだぞ? そのデインに…おまえたちは協力するのか…!?」

 は住民をじっと見やった。彼らがたじろいだのは一瞬のみで、すぐに半獣よりもデインのほうがマシだと声高に口にする。そうしている間に、トハの自警団が現れ半獣狩りをせんと血盛んに武器を構えている。
 すぐにデイン軍の姿も見えて、は人の間を縫って、軍を指揮するマッコヤー将軍の元へ参じた。

殿、いくら半獣狩りが得意だからと言って、手柄を総取りしないでいただきたい」
「……そういうつもりでは。ただ、住民の混乱を抑圧したかっただけです」
殿には、船の警備をお任せしたい。なにがあっても船を出港させないでいただきたい」
「努力します」

 はマッコヤーにそっけなく答えると配置についた。船の上ではデイン兵が我が物顔で居座っており、船の持ち主が不愉快そうに、眉をひそめている。「なぜ、マッコヤー将軍はこの船を?」傍にいる兵士に尋ねるが、首をかしげるばかりである。
 船の積み荷を興味本位でのぞく輩もおり、まるでそこいらのごろつきと変わらない。
 積み荷に伸びた手を、は掴んで止めた。

「やめろ。いったいなんの権限があって、勝手に荷物をあさる」
「な、なんだおまえ……」
「民間船を襲う強盗まがいか? 自分の任務を果たせ」

 の睨みに、ひっと小さく竦みあがった兵士が、そそくさと積み荷から離れていく。トハでは、クリミア人の抵抗がほとんどないことからか、デイン軍の態度はやけに尊大だ。
 船主がほっとした表情を見せる。

「すまない、助かった」
「いや、こちらこそ、我が軍が迷惑をかけてしまって申し訳ない」

 は軽く頭を下げる。船主が小さく目を瞠ったことから、これまでのデイン軍の横暴な態度が予想された。船主がため息を吐く。

「私の船は、ベグニオン帝国の正式な行商許可を受けているのだが、あなたの指揮官は証書を紙切れと言った」
「ベグニオンの証書を?」

 船主が手にしているのは、たしかにベグニオンの証書のようだった。はそれをじっと見つめてから、船の様子を見渡した。船員や積み荷に不自然な点は見られない。しいて言えば、ただの船主というには、どこか洗礼された雰囲気をもち、このような不測の事態に対しても落ち着きすぎていることが目につくくらいだ。
 マッコヤーがこの船主を警戒した理由が、なんとなくだがわかった気がする。

「重ね重ね、申し訳ないが……わたしには将軍のような権限もないので、なにもできないんだ」
「いや、あなたのようにまともな人がデインにもいるのだとわかってよかった」
「……船を傷つけるような真似はしない。不便を強いるが、どうか協力を願う」

 船主が小さく笑い、戦闘に巻き込まれないように船内へ消えていく。
 は船上から、町の様子をうかがう。半獣狩りを楽しむような自警団の連中と、そんな彼らを避けながらデイン軍と交戦する傭兵団──そのなかに、モゥディとレテの姿を認めて、は目を細めた。ライが先ほど陽動のためにデイン兵をひきつけていく様子は、にも見えていた。
 プラハをいとも簡単にいなしていた団長や、を執拗に狙っていた弓兵の姿がなく、その戦力は以前よりも下がったように思える。しかし、参謀がいいのか、傭兵団の動きは悪くない。加えて、ラグズの戦士が二名加わったとなれば、決して油断のできない相手である。


 マッコヤーが撃破され、船上の彼の配下たちが蜘蛛の子のように散り散りになって逃げていく。情けないその姿に、はため息をついた。軍人の風上に置けない。

「あんたは逃げないのか?」

 傭兵団の指揮官と思われる青年が言った。ずいぶんと若そうだが、まったく物怖じしていない。
 船に乗り込んできたモゥディがあきらかに動揺するのを横目で見て、は剣をしまった。「マッコヤー将軍が討たれたとなれば、この船の出港を邪魔する道理もない」船上には、すでに以外のデイン兵はいなくなってしまった。

「あんた、デイン兵だろ? 俺たちがなにもせずに逃がすと思うか」
「……血の気が多いな」

 青年が構えたのに対し、は肩をすくめる。「アイク、自警団も追ってきています。ここはすぐに船を出した方が……」と、傍らの少年に言われて、しぶしぶと言った様子で青年が剣をおろす。
 は青年が戦意を抑えたのを確認して、船を降りる。すれ違いざま、レテの尻尾に緊張が走ったが、それを注視する者はいなかった。




 傭兵団が船に乗り込んでいく。
 いましがた降りたばかりの船が、慌ただしく出港の準備を始める。あのベグニオンの証書は本物だったはずだが、なぜあの船主がクリミアに協力しているのだろうか。

「…傭兵団は無事、船に乗り込んだか。さて、どうするかな……」

 小さなつぶやきに振り向いたは、反射的に物陰に身を隠した。
 ──あの黒騎士は、何故だかすごく嫌な感じがする。

「出航の邪魔はさせないぜ」

 ライの声が聞こえて、はそうっと二人の様子をうかがった。なにか言葉を交わしているが、潮風が強く吹いてきて、話までは聞き取れない。
 化身したライが黒騎士を攻撃したが、鎧がはじくようにしてまるで効いていない。
 物陰から飛び出そうとしただが、ふいに現れた光に動きを止めた。光とともに現れた男がずいぶんと穏やかな顔をして、間に割って入る。

 ライが逃げていく様子を見て、は小さく息を吐いた。そうしているうちに船が出港していく。

「し、漆黒の騎士殿! 船が出港しました!」

 慌てて飛び込んできたノシヒトに、黒騎士が撤退を言い渡す。
 はそのやり取りを聞いてから、気づかれぬように傍を離れて、ライの後を追った。


「やはり、速いな……」

 は足を止めてつぶやくと、すっかり上がった息を整える。
 あまり長い時間、軍を離れているわけにもいかない。「戻るか」はふう、と手の甲で額の汗をぬぐい、踵を返す。

「だれかと思えば、か」

 呆れたような声に振り返る。す、と草木の間から、化身を解いたライが姿を現した。

「……ライ」

 は目を丸くしてライを見つめる。
 それから傷の多さを確認して、は眉をひそめた。「大丈夫なのか?」思わず手を伸ばしそうになるが、は自制してぐっと拳を握る。

「まあな、邪魔が入ったおかげでなんとか」

 確かめるように腕を動かしたライが、その痛みに顔を歪めた。
 あの男──どういった関係なのかはわからないが、どうやら黒騎士が手出しできない人物のようだった。黒騎士が撤退命令を出したのも、あの男の言葉によるものだった。

「……立派にデイン兵やってるみたいだな」

 皮肉るつもりでか、ライがかすかに笑いを含んで言った。はまあ、とあいまいに答えて、肩をすくめた。

「モゥディには会ったか。おまえに半獣だなんて呼ばれたら、悲しむだろうな」
「……ライ、」
「どんな理由があっても、あいつにはそんな呼び方はするな」

 ライのオッドアイが鋭く光る。辺りの空気が一変して、糸のように張り詰めて緊張感がを包む。好き好んでそう口にしたわけではないことをわかっていながらも、あえてライが忠告しているのだろうことは明白だった。
 彼らは同胞を傷つけられることをなにより嫌う。

「……わかっている」

 は視線を逸らして答えた。ライの尻尾がかすかに揺れる。

「ならいい」

 そっけない物言いだったが、ライからのプレッシャーは消える。は内心でほっと胸を撫で下ろした。ライほどの戦士となれば、軽いひと睨みでも放たれる殺気は鋭く、向けられたこっちはたまったものではない。
 じわりと手のひらに汗がにじんでいることに気づいて、は握り拳をゆっくりと開く。

「一番嫌な言い方をしたな。ほんとうにすまない」

 はライに向かって頭を下げた。助けるためとはいえ、口にしてはいけない言葉だった。しかし、袋叩きにされているライを黙って見ているなんて、にはあまりに耐えかねた。

「ライの無事を確認できてよかった。あの黒騎士は、そうとうの手練れのようだからな」

 ライの攻撃をものともしない黒騎士を思い出し、は顔を歪めた。「気味が悪い……」ぞっとする感覚がどうしても拭えない。
 日が傾いてきていることに気がついて、は空を仰いだ。

「ライ、これを受け取ってくれ」

 は半ば強引に傷薬を手渡し、来た道を引き返す。「じゃあ、元気で」怪訝そうに手元の傷薬を見つめたままのライに笑いかけ、は駆け出した。

「……」

 しばらくその姿を見つめていたライもまた、化身すると逆の方向へと駆けて行った。

誇らしきさよならを

(どうか言えるようにありたい)