念のために、とベレトが用意していた武器を各々が手にする中、は立ち竦んだ。インデッハの大紋章は、ハンネマンの言うようにを選んだのだろうか。は迷い、ベレトを縋るように見た。
 静かな瞳がを見つめ返す。ベレトが訓練用の弓を手に取って、差し出した。

「無理はしなくていい。はリンハルトと共に魔導で後方支援に回ってくれ」
「……はい」
「大丈夫。自分がついている」

 は頷き、弓を受け取る。けれど、指先が震えて、矢筒を背負うための帯革がうまく着けられない。

「手伝いますよ」

 アッシュが慣れた手つきで、尾錠を締めてくれる。
 可憐な見た目に似合わず、斧を軽々と持ち上げたヒルダが「アッシュくん、やさしいー」とニヤニヤしている。はそれに気づいて、何だか気まずさを覚えてしまう。アッシュに礼を言って、すぐに顔を伏せた。
 鉄の槍を確かめるように握ったディミトリが「結局、お前たちは何者なんだ? それがわからないまま、刃を交えるというのも……」と、戸惑いの表情を浮かべる。それを聞いて、褐色の女が呆れた顔で肩を竦めた。

「おれたちは灰狼の学級だ」

 大柄な男が告げる。
 ベレトが瞳を瞬く。ガルグ=マクの教師でさえも知らない学級が、存在している。

「地上に居場所を失った生徒の行き着く場所。アビスで秘密裏に開かれた、第四の学級さ!」
「第四の、学級……」

 ベレトが呟きを落とす。くるりと弓を回しながら、クロードが「ま、あのレアさんだ。何を隠してたって不思議じゃない」と、納得したように頷いた。大司教にも、セイロス教に対しても、随分と懐疑的な物言いに聞こえる。
 エーデルガルトが視線だけでクロードの無駄口を咎めた。

「今は戦いに集中しなければ」
「はいはい、皇女殿下の仰せの通りに。それにしても……」

 クロードが首を回してあたりを見回す。薄暗く、道も入り組んでいて、長い槍などは下手すれば壁に阻まれそうだ。槍の使い手であるディミトリは力任せなところがある。何度も訓練用の武具を壊してしまう場面を目撃しているは、壁を破壊した挙句に折れた槍が自分に飛んでこないことを内心でこっそりと祈った。
 緊張した面持ちのアッシュが見つめるのは、閉ざされた扉だ。指先をほぐすように動かしながら、困り顔で首を傾げる。

「あの扉、特殊な鍵がかかっているみたいです。僕でも開けられなさそう……」
「何か仕掛けがあるのかもしれない」

 冷静にベレトが言って、皆を振り向く。

「学級の垣根を超えて、この場を切り抜けよう。いつもと違い、戸惑うことも多いかもしれないが、自分を信じて欲しい」

 級長三人が顔を見合わせる。それぞれの出身も違えば、戦い方も考え方も異なる。大樹の節では、各学級に分かれて三つ巴の模擬戦をしたし、飛竜の節には鷲獅子戦が控えている。張り合うことなく、こうして手を取り合う機会など、多くはないだろう。
 傭兵上がりの新任教師──彼を悪く言う声があるのは事実だが、はベレトが担任でよかったと思っている。そして、少なくともを含む八人は、ベレトを信じているからこそこの場にいるのだ。

「当たり前じゃないですかー! 頼りにしてますよ、せーんせ」

 ヒルダが笑って、ベレトの背を叩いた。「痛い」と、ベレトがわずかに眉をひそめた。



「おいおい、いつまでお喋りしてる気だ?」

 待ちきれない、と言わんばかりに男が声を張り上げる。振り上げる拳には、厳つい籠手が着けられている。

「血の気が盛んだな。拳と拳でわかり合う趣味はないんだが」
「フン、それでリーガン家の嫡男とは笑わせてくれるぜ」

 やれやれ、とクロードがわざとらしく肩を竦めて首を横に振った。

「なあ、あんた。どっかで俺と会ったことでもあるのか?」
「いや、初対面だろうな」

 男が薄ら笑いを浮かべて答える。
 けれど、この戦いの発端は、この男とクロードに他ならない。クロードが訝しげに「そうだよな、初対面だよなあ……」と呟いている。リーガン公爵家の後継ともなれば、見知らぬ相手にも因縁をつけられるのかもしれない。

「口より手を動かせ! それが俺の流儀……女神様の教えでね!」
「……まあいいさ。この距離なら、拳を振るう必要はないからな」

 クロードが弓を構えて、狙いをつける。チッ、と男が舌を打った。
 放たれた矢は男に吸い込まれるように飛んでいく。しかし、それは拳で叩き落とされる。「げっ」と、クロードが顔を歪めた。にやりと笑った男が、クロードの懐に入り込もうと距離を詰める。

「クロードくんってば、先走りすぎー」

 呆れたふうに言ったヒルダが、男の行く手を阻んだ。

「あなた、あたしの知り合いに似てる気がするんだよね。誰だか思い出せないんだけど……それに免じて許してくれないかなー?」

 桃色の髪を揺らして小首を傾げるヒルダは、とてもじゃないが斧を手にしているようには思えない。食堂でお喋りする時とまったく同じ調子である。
 ははらはらとその様子を見守るが、ぽんと肩を叩いてきたクロードの表情に焦りはない。他学級の生徒であるヒルダのことを、はよく知らない。諸侯同盟でのゴネリル家がどういう立場であり、彼女の兄がいかに勇将であるのかも知らない。

「おう、構わないぜ。その代わり、おれに付き合っちゃくれ……」

 ニヤついていた男の顔が、ふいに引きつる。「い、いや、この女は口説いちゃいけねえ。おれの中の何かが危険を囁いている……」と、ブツブツ呟きながら、警戒心をあらわに距離を取った。
 ため息を吐いたヒルダが斧を構える。

「なーんだ、残念。許してくれないんだ」

 拗ねたような口ぶりからは想像できないほど、勇ましく斧を振りかぶる。ぶおんっ、と斧を振り下ろす際の風圧が音となって聞こえてきた気がする。

「ヒルダは強いぜ」

 クロードがパチリと片目を瞑って、口角をあげた。はにわかに信じられなかったが、小柄なヒルダが豪快に斧を振り回して、大柄な男とやり合っている。
 男が引き連れていたごろつきは、すでにディミトリやエーデルガルトが下してしまった。やはり級長の強さは、並々ならぬものがある。近くの敵を一掃したベレトが指示を飛ばす。

「ヒルダ、一度引いて。リンハルト、!」
「は、はい」

 リンハルトが素早く詠唱を終えて、放たれた風魔法が男を足止めする。もまた、それに続いてファイアーを唱えた。火の玉が男に向かっていく。
 しかし、男が横転してファイアーを躱した。好戦的な瞳がを捉える。

「可愛い顔して、やってくれるぜ!」

 男が大きく踏み込んだ。たったの数歩で、拳が届く距離まで詰められ、にはなす術がない。詠唱が間に合うはずもなく、矢をつがえる暇もない。咄嗟に伸ばされたリンハルトの手は、に届かない。
 男の籠手が光って、は眩しさに目を瞑る。

ちゃん!」

 鬼気迫るヒルダの声が、空気を切り裂いた。否、実際に勢いよく飛んできた手斧が男との間を裂いた。
 男の拳はほんのわずかに腹部を掠めただけだった。よろめいたを背に押しやり、ベレトが天帝の剣を振るう。切っ先を喉元に突きつけられて、膝を折った男が「あちゃあ~」と天を仰いだ。

「なかなか骨のある連中だなあ。面白ぇ!」

 男はあっさり負けを認めたが、ヒルダがなおも斧を手に詰め寄ろうとするので、クロードがそれを諫めている。
 珍しく、リンハルトが慌てた様子での肩を掴んだ。扉の仕掛けと思われる梃子を動かし終えたアッシュが、駆け寄ってくる。

「怪我はない?」
!」

 心臓が飛び出しそうなほど、激しく鼓動している。は胸をぎゅうと押さえて、言葉なく頷きを返す。本当は、腹部がズキズキと痛んだが、何故だかそれを口にすることができなかった。
 顔を覗き込むベレトの表情が、どこか心配げに見える。

「……大丈夫です。ヒルダさんのおかげで、大事ありません」
「そう。ふあ、安心したら眠気が……」

 小さく欠伸をするリンハルトを、ヒルダが突き飛ばした。

「よかったー! もう、びっくりしちゃった」
「しかし、ヒルダ。投げるなら手斧だろう、お前の豪腕には驚かされるな」

 地面に落ちたままの斧を拾い上げたクロードが、ヒルダに向かって差し出したのは鉄の斧だ。手斧とばかり思っていたは、瞠目する。

「びっくりしすぎて咄嗟に身体が動いちゃったんだもん。ほら、あれだよ、火事場の馬鹿力? あたしが豪腕だなんて、クロードくんったら冗談やめてよね」

 ヒルダが斧を受け取り、ぷいと顔を背ける。

「あー……それより、仕掛けを動かしたが何も起こらないな。動かし方を間違ったか?」
「そうですね……もっと色々試さないとだめかもしれません」

 仕掛けを動かしたアッシュが、困ったようにベレトを見やる。うんともすんとも言わない扉だが、それが開けば入り組んだ通路ばかりにひしめき合うこともないだろう。
 ベレトが通路の先へ視線を向けた。

「仕方がない。扉は諦めて先に進もう、先生」
「そうね。私もディミトリに賛成よ」

 頷くエーデルガルトを驚いた顔でディミトリが振り返る。「何?」と、エーデルガルトは不満げだ。

「いや、君が同意してくれるとは思わなかっただけだ」
「……何故、と詳しく聞きたいところだけど、そんな場合ではないわね」
「俺ならもう少し時間を割きたいところだが、お二人さんの意見が仲良く一致しているんじゃなあ。どうする、先生?」

 クロードが問いかける。皆の視線が集まるが、ベレトが動揺したり緊張する様子は一切ない。

「行こう。君たち三人が揃っていれば、心強い」

 エーデルガルトの頬が、ほんのりと赤くなったような気がした。ベレトが先陣を切って、ディミトリとエーデルガルトが続く。通路は二人がやっと通れるくらいの狭さで、戦うにはまったく適していない。

「よく考えたら、ハピ戦う必要なくない?」

 褐色の女が大きなため息を吐いた。それと同時に、通路に魔物が現れる。女は通路の奥へと姿を消してしまう。
 時おり欠伸さえ漏らしていたリンハルトが、ハッと瞳を見開いた。

「今のは……!? いや、魔物の転移なんて、そんなはず……」
「……この狭い通路に、魔物が何体も現れたら厄介だな」

 ディミトリが怯むことなく、巨虫に槍を突き立てた。うねる巨虫が、その巨体で壁や地面を破壊し、敵味方関係なく跳ね飛ばす。「気持ちが悪いわね」と、エーデルガルトが斧を振り下ろした。

「これだから、お前らを敵には回したくないね」

 のたうち回る巨虫に、クロードの弓矢が雨のように降り注ぐ。は感嘆の息を漏らした。あっという間に魔物が退治されてしまった。

「なかなか息のあった連携だ」

 ベレトが頷く。
 級長が褒められたとあって、ヒルダもアッシュも自分のことのように嬉しそうにしている。リンハルトだけは、ベレトの台詞など聞こえていなかったのように、魔物の残骸である塵を指で触れて確かめている。

「さすがは殿下ですね!」

 アッシュが瞳を輝かせて、に笑いかける。は素直に頷いた。

 崇高な騎士の国たるファーガス神聖王国の次期国王らしく、ディミトリは騎士道を体現したかのような人柄である。騎士に憧れる者ならば、ディミトリに憧れるのは道理だ。
 騎士に憧れを抱かずとも、ディミトリには脱帽する。彼は強くて、真面目で、清廉だ。
 学生寮で初めて会った日にディミトリと交わした握手が、まるで夢だったかのように思えてしまう。それほどまでに、ディミトリの存在は、にとって遠いのだ。

「おーっほっほっほっほ!! 背後に注意を払ったほうがよろしくてよ!」

 高笑いがあたりに反響して聞こえる。前線に級長らが揃っている状況で、背後から二人のごろつきに不意を突かれてしまった。「しまった!」と、アッシュが血相を変えて、を背後に庇った。
 その手に槍も剣もなくとも、まるで騎士然としている。

「何か変だなと思ってたのに……!」

 アッシュが悔しげに唇を噛み締めながら、矢筒に手を伸ばした。

月が沈むまでの猶予