は、蛇竜騎士団ではなく、グレンの率いる飛竜騎士団の入隊を望んでいた。それというのも、帝国三騎たるグレンに強い憧れを抱いていたからに他ならない。女で、まだ年端もいかぬとなれば馬鹿にされることも多かったが、それでも気の弱いが逃げ出すことなくやってこられたのは、妹のように可愛がってくれたグレンがいたからこそだ。
 軍を追放されたはずのヴァルターがグラドに舞い戻り、に目をつけなければ──
 嘆いてもどうにもならない。絶望的な気持ちで、はヴァルターの部下となった。

 些細なことで叱責を受け、苦しく辛い日々ではあったけれど、立派なグラド兵となるべく頑張っていたつもりだった。
 ヴァルターに何を言われ、何をされても、耐え忍んだのはグラド帝国のため。一度だって、ヴァルターに逆らおうなどとは、考えもしなかった。


 ──目の前が、暗くなる。
 一体、何が起きているのか分からない。ヴァルターが矛先を向けているのは、誰だ。

「やめてください!」

 はありったけの声で叫んだ。両の手を目いっぱい開いて、ヴァルターの前に立ちはだかる。「お気は確かですか!?」の背には、不意を突かれ、ドラゴンともども負傷したグレンが膝をついている。

「何だ、貴様逆らうつもりか?」
「……っ、グレン様は、同じ帝国のお仲間です!」

 ヴァルターに威圧され、声が震えた。「、」グレンに名を呼ばれ、は振り返る。
 名前を覚えていてくださった。天に舞い上がるほど嬉しく心が震えるのに、心臓は冷え切って指先まで冷たい。

「君は下がっていろ。ヴァルターは、正気ではない」
「どうやら、一緒に死にたいらしいな」
「ヴァルター! くそっ……部下を殺す気か!」

 ヴァルターの振るった槍が、の頬を掠める。つう、と血が頬を伝う。



 ヴァルターに名を呼ばれると、身体が震えだす。なんて滑稽なんだろう。ワイバーンに跨るヴァルターが、厭らしい笑みでを見下ろす。

「そうかそうか、貴様はグレンを尊敬していたな。くははははっ!」
「やめてください、お願いします、どうかこんな真似は」


。選べ、貴様の手でそいつを殺すか、私が貴様もろとも殺すか」


 ぞっとする。
 の顔は青ざめ、いまにも倒れそうなほど、めまいがする。「なに、を」唇がわなないて、うまく言葉を紡げない。

「で、できません、」

「や、いやです、そんな…」
、私を殺せ」

 グレンの言葉に、は心臓が止まる思いがした。

「いやです!」

 はグレンに縋るように抱きつき、子どものようにかぶりを振った。「できない、わたし、いやです」涙が溢れて止まらない。
 何故、ヴァルターの部下は、ヴァルターに従いグレンの軍団を攻撃しているのだ。どうして、グレンが殺されなければならないのだ。はグレンを尊敬しているのではない。

「うぅ、……グレン様、お慕いしています……」

 これは、恋だ。

「逃げてください、グレン様。お願いします」
「……無理だ。、すまない」
「ふん、くだらん。いつまでそうしているつもりだ」

 ヴァルターが傍らに降り立ち、の髪を引っ掴む。「どうした、貴様が殺らんのなら、私が殺るぞ」耳元で低く囁かれる。槍が高く掲げられ──は咄嗟にヴァルターに抱きついた。

「わ、わた、わたしが、やります」
「ほう?」

 地面に身体を放り投げられる。ヴァルターの瞳が三日月のように歪んだ。

「だったら、早くしろ。貴様は仕事が遅い。この屑め」



 涙で視界がにじむ。
 は必死に手の甲で拭い、グレンの姿を目に焼き付けようと、じっと見つめる。

。お前にこんなことをさせて、すまない。クーガーにも、謝っておいてくれ」
「う、うぅ……っ、ひくっ……ううう」
「グラドを、頼む」

「う、うう。ごめんなさい、グレン様、グレン様ぁ……!」

 の槍がグレンを貫く。崩れ落ちる身体はに凭れかかり、はぎゅっと抱きしめた。

「……すま……い……」
「うう、うううう……グレン様……グレン様あ…………っ」

 生ぬるい血が身体に纏わりつく。弛緩したグレンの身体を支えきれず、地面に倒れこむ。
 グレンの下からを引きずり出したのはヴァルターだ。は涙と血にまみれた顔のまま、ヴァルターを見上げた。その弧を描いた唇から、堪えきれないといったように、笑いが漏れるのをぼんやりと見つめる。

 ──グレン様が死んだ。わたしが殺した。

 力の抜けたを己のワイバーンに乗せ、ヴァルターが舞い上がる。

「くく……はははははははぁっ!」
「グレン様……埋葬、しないと……」
「黙れ。、貴様は本当にのろまな愚図だな。仕置きが必要だ」
「……!?」

 ヴァルターの噛みつくような口付けに、驚きバランスが崩れるが、まわされた腕がワイバーンから落ちるのを防いだ。

「くくく……貴様の慕ったグレンの亡骸に、見せつけてやろうか?」
「っ、な、や……!」
「忘れるな、貴様は私のモノだ」

 剥き出しの首筋に、ヴァルターの唇が触れる。鋭い痛みに、はぎゅっと目を瞑り、唇を結んで声を堪えた。グレンの相棒が主人に寄り添い、のワイバーンが弔うように首を擡げた。
 グレンが死んだ。の手によって、死んだ。




 壁に耳あり、障子に目あり。
 いったい誰が聞いていたのか、の告白はいつの間にか軍全体に伝染し、以前以上に村八分の状態になった。あからさまな陰口に加えて、嫌がらせや鍛練中の事故に見せかけて怪我を負わせることもある。
 いやな空気だ。人だかりに気づいて、フォルデは顔をしかめた。

 がクーガーに槍先を突き付けられている。

「お前が兄貴を殺したのか」
「ク、クーガー様……」
「それが本当なら、俺はお前を討つ。お前が、形見だと言って渡した、この兄貴の槍で」

 の瞳はクーガーの持つ槍に釘付けだ。険しい表情でそれを見つめ、神妙にうなずく。

「わたしが、グレン様を殺しました」
「貴様……!」
「だけど、わたしはまだ死ぬわけにはいきません。グレン様に、グラドを頼むと申しつけられました。この戦が終わるまで、まだ、死ねないのです。どうか、少しばかり時間をください」

 が頭を下げる。血の上ったクーガーが周囲の制止も無視して、槍を振りかぶった。

「その口で兄貴を語るな!」
「ちょ、ストップ、ストップ! そのくらいにしとけって」

 フォルデはすかさず身を滑り込ませ、クーガーの槍をはじく。が目を丸くして、間抜け面をさらしていた。
 呆れてため息が出る。

「あのさぁ、もっとどうにかしようって気はないのか? 下手したらほんとに死んでたぜ?」

 が力なくかぶりを振る。「仕方がありません。クーガー様のお怒りはもっともですから」何もかも諦めたような口ぶりが、フォルデを苛立たせる。
 クーガーが悔しげに立ち去り、ギャラリーも散り散りになっていく。そうして、フォルデとだけが残され、非常に気まずそうな顔をして立ち去ろうとするを引き留める。

「エフラム様がお呼びだ」
「あ、あの、」

 及び腰になったの腕を掴み、引きずるように歩きだす。「フォルデさん、待っ」足を躓かせたが転ぶのを、腕を引いて阻止する。

「い、痛いです」
「逃げようとするからだろ」
「でも、だって、エフラム様に、合わせる顔が」

 じろ、と睨みつけると竦みあがって黙り込む。腹が立つほど気が弱い。
 がたたらを踏んで、のろのろと歩き出す。フォルデは腕を離し、おもむろにの前を歩く。

「グレン様は、わたしを恨んでいるでしょうか」
「……さあね」
「そうですよね。そんなこと、グレン様にしか、わからない」
「……」

 自嘲するように言ったの顔を、フォルデは横目で見やった。
 唇がきつく噛みしめられ、ぎゅっと眉根が寄せられる。伏せた睫毛がやけに重たげに見えるのは、水分を含んでいるからか。ぽつり、と雫が落ちるように静かに、涙が流れて落ちた。

「す、すみません、」

 恥ずかしげにが慌てて涙を拭った。


 来たか、とエフラムが腰を上げる。
 エフラムの天幕には、エフラムをはじめとしたルネス王国軍の面々──エイリーク、ゼト、そしてカイル──が揃っていた。からの緊張が伝わってきて、何故だかフォルデまで落ち着かない気持ちになる。

、すまない。随分と辛い思いをさせてしまっているようだな」
「えっ……そ、そんな! どうして、エフラム様が謝るんですか!」

 存外大きな声が天幕に響く。が慌てて口元を手で押さえ、視線を下げた。

「あ、あの、エフラム様はなにもお気になさらないでください」

 が酷く狼狽しながら言葉を紡ぐ。
 その様子をじっと見つめていたエフラムが、おもむろにへと手を伸ばす。びく、との肩が跳ねる。「兄上」エフラムの傍らに立つエイリークが、を守るようにその手を制した。

「兄上は、強引すぎるのです。の気持ちを考えてあげてください」
「え……えっ? エイリーク王女様、」

 エイリークに優しく微笑まれたがかすかに頬を赤らめる。フォルデもまた、ちいさく心臓が跳ねるのを感じた。
 エフラムがきまり悪そうに頭を掻いた。

「皆には妙な噂を流すな、ときつく言っておく。それでもなにかあれば、俺でもフォルデでも、頼ってほしい」

 がエフラムを見上げ、そろそろと視線を辺りへと向けた。

「言わなくてもいいことを、言わせてすまなかった。それから」
「……、」
「もう、無理強いはしないさ。だから、怯えてくれるな」

 やわらかく笑んだエフラムが、の頬を指先で撫ぜた。一拍遅れて、顔を真っ赤にしたが首を千切れんばかりに横に振った。

「も、もったいないお言葉にございます……!」

 恐縮しきったが縋るようにフォルデを見るが、フォルデは肩を竦めるのみだ。
 かねてから、への風当たりが強かったのは、無論彼女がヴァルターの副官であったからである。加えて、ヴァルターの並みならぬ執着心が彼女との懇意を窺わせ、猜疑心を生み出していた。しかし、件によりの嫌疑は晴れた。
 正直言って、フォルデには彼女にどう接したらよいのかわかりかねる。

ちを繰り返す

(弱くてちっぽけな人間だから)