グラド帝国のために剣を持ったはずだった。
 お守りすべきリオン皇子を前にして、ただ立ち尽くすことしかできない己が腹立たしい。「皇子殿下、」情けなくも声が震える。グラドを頼むと言った、グレンの言葉が脳裏を過ぎった。

「……迷いを捨てな。そうじゃないと、死ぬぜ」
「フォルデさん、」

 普段の飄々とした形を潜め、真剣な表情で剣を持つフォルデが、静かな声で告げた。
 頭では理解していても、その切っ先を主へと向けることができなくて、は下唇を噛んだ。それでも目を背けることだけはしない。
 どこでなにが狂ったのかなんて、にはわからない。
 果たして、魔王と化したリオン皇子がエフラムの手によって討たれ、グラド帝国は大地震によって崩壊した。



 ぐっと伸びをするフォルデの姿は、まるで戦場とは違って、気が抜けている。

「あー……疲れた。あんたも、何はともあれ、生きててよかったな」
「は、はい、フォルデさんが叱咤してくださったおかげです」
「叱咤? 覚えがないね」

 フォルデが肩を竦めて見せる。は彼に構わず、頭を下げた。
 思えば、フォルデには迷惑をかけてばかりだ。嫌われていることは十二分にわかっていたが、不思議と本音や弱音を漏らすことができたのは、フォルデだけだった。

「……グラドに戻るのか?」

 フォルデの言葉に、は顔を上げた。
 妙に浮かない顔がを見ていた。クーガーとの件を気にしているのだろうか。それでも、にとってグラド帝国は故郷だ。頷くと、フォルデが呆れたと言わんばかりにため息を吐く。

「まあ、そりゃそうか」
「はい、再建に尽くします。フォルデさんも、大変でしょうけど、がんばりましょう」

 グラドのように地震こそ生じていないものの、ルネスもこれから復興作業が待っている。

「エフラム様のことはどうするんだ?」

 はフォルデに答えず、苦笑いを零した。
 エフラムがに惹かれる理由がわからない。は自分が地味で要領が悪く、加えて口下手であるため人を苛立たせてしまう性格であることを、理解している。

 塵よりも価値がない。
 いつだったか、ヴァルターがそう言ってを嘲笑った。ひどい言いようではあるが、たしかに自分は無価値だと思う。エフラムに言った言葉は本心だ──こんな自分が、エフラムに好かれるなんて、おかしい。
 は首元を手のひらで触れた。最期にヴァルターが付けた傷痕は、痣となって残った。

「覚えてますか? わたしが、エイリーク様にご挨拶しようとしたとき、フォルデさんがすごい怖い顔でわたしを追い帰したの」
「……は?」
「わたしは馬鹿だから、そのときはっとしたんです。自分の存在は、ルネスにとって害でしかないし、近づくなんて許されるわけがないんだって。悲しかったけど、それが当たり前なんだ、って」
「…………」
「こんなわたしは、ルネスには、絶対に行けません」

 はエフラムの顔を思い出して、顔を歪めた。

 落ち着いたら、ルネスに来ないか。

 いつも、差しのべてくれる手を、払いのける。
 ──そうか、と言って笑ったエフラムの顔が、の胸を苦しくする。涙が溢れてきて、は俯いて両手で顔を覆った。

「エフラム様に、あんな顔をさせてしまうなんて、傷つけるなんて、」

 嗚咽で言葉にならない。
 フォルデの辛辣な態度や言葉は、を傷つけるだけでなく、自分の立場を理解させてくれた。遠慮のない言葉で叩きのめしてほしい。今まで、フォルデがにかけてくれた言葉に偽りはなかった。

「お前は」

 フォルデの手がへ伸びる。思わず、はびくりと肩を震わせた。

「お前は、よくやってるよ。もう十分だろ、自分を許してやれよ」
「え……?」

 驚いてフォルデを見やれば、少しだけ眉尻を下げた笑みがある。
 は呆然とフォルデを見上げた。

「なあ、ヴァルターはもういないんだぜ。一体何にそんなに怯えて臆病になる必要がある?」

 ヴァルターがいなくなったって、自分の無価値が変わるわけではない。

「グレンだって、お前を恨んでなんかいやしないだろうさ。エフラム様だって、はっきり断られた方が、かえってよかったと思うけどね。なあ、いつまでそうやって自分を卑下するつもりだ? お前は、十分騎士として立派だと思うよ、俺なんかよりずっと」

 フォルデの言葉がうまく理解できない。
 の気の抜けた身体が、フォルデの腕にすっぽりと収まった。傷ついて汚れた赤い鎧に、ぽつぽつと涙が落ちていく。

「あんたのこと、なんか放っとけないんだよなぁ」
「……フォルデさん?」
「だからさ、俺からも言わせてもらうけど、グラドの再建が一段落したらルネスに来なよ」

 思わず、驚きで涙が止まる。

「えっ?」

 見上げたフォルデが、ぽりぽりと気まずそうに指で掻く頬が、微かに赤い。
 はたっぷり三秒の間をあけて、ようやく言葉の意味を理解した。瞬間、顔を茹蛸の様に赤くして、フォルデを突き飛ばした。

「うお!? いてて……」
「な、なん……フォルデさん、わたしをからかって……!」
「嫌なら、俺がそっちに行ってもいいけど」
「だ、だめです! ルネスにとって、フォルデさんは、とても大切で」

──俺にとって、は大切なひとになった、っていうことなんだけど?」

 フォルデの手がの腕を掴む。
 真摯な瞳に顔を覗き込まれて、は狼狽えて視線を彷徨わせた。

「か、考えさせて、ください」

 フォルデが口角を上げる。「ま、答えは出てるようなもんだな。その顔見りゃ、わかる」は言われて、熱を持つ頬を手で覆った。







 ずっとこれだけは渡せなくて、ごめんなさい。

 グラド帝国に戻ってすぐ、彼女が頭を地面に擦り付けるようにして、それを差し出した。
 綺麗に手入れされた剣が、兄のものであることは、一目見てわかった。
 激昂しやすい性格であることは自負している。以前彼女を責め立てた際には、できるならば殺して、兄の仇を取りたかったとさえ思った。

 兄を慕っていた弱っちい小娘が、あのヴァルターの副官になったと聞いたときは、驚いた。そして、兄を殺した張本人だと聞いたときは、驚きなど覚えずに憤慨した。ヴァルターにすっかり毒されたのだと思った。
 どれだけ罵倒しても、謝らないなんて、性根の腐った奴だと思った。

 兄の形見であるこの剣は、手入れが行き届いていて、それを奴がしていたことは言わずともわかる。そして、言葉にしなくても、彼女の兄に対する思いがわかる。
 すまない、と言葉にする前に、彼女の手がそれを制した。
 殺したのは事実だし、責められるのは道理です。そして、看取ったのがわたしなんかで、本当にごめんなさい。そう言って、彼女は力なく笑った。

 燻るような、胸にしこりがあるような、ひどくもどかしい気持ちになった。
 だからせめて。

「それは、あんたが持っているといい。俺には、以前あんたが渡した兄貴の槍がある」

 泣き笑いをしながら、また彼女は頭を地面に擦り付けた。
(彼の人の後悔)



 エフラムに好きな人ができた、らしい。
 すごくショックで、どうしよう立ち直れないんじゃないかって思っていたら、いつの間にかふられていたみたい。
 不謹慎にもやった! と思って、喜んじゃった。だから早速、落ち込んでいるだろうエフラムを慰めようと思って、ルネスを訪ねてみた。

 エフラムは、相変わらずルネス復興で忙しそうにしていて、話しかけにくい。
 でもやっぱり、時間を作って「わざわざ来てくれたのに、何も構えなくて悪い」と、苦笑をくれた。
 忙しさで失恋の傷を忘れようとしているのか、エフラムに普段と違った様子は全くみられなかった。うーん、これじゃあ作戦失敗みたい。残念。

 ……だけど、なんだかエフラム、すこし嬉しそう。
 どうしたの、なにかあったの、と尋ねてもなにもないの一点張り。

 もしかして、もしかしてだけど、エフラムはふられてなんかいなくて、その人とうまくいっているんじゃないわよね。
 じっとエフラムのことを見つめるけど、そんなこと聞けない。

 エフラムの好きな人って、誰なの?
 そう思っていると、エイリークが嬉しそうな顔をしてエフラムに話しかけた。

「そういえば、グラドの方は、ほんの少しですが一段落したそうですよ」

 近く、彼女がルネスを訪問するみたいです、ってエイリーク……彼女って誰のこと?
(王女様の憂鬱)



 何度言われても、エフラム様のお気持ちに応えることはできません。

 はっきりと、兄上は彼女に言われてしまいました。
 ふられてしまったようだな、と兄上は苦く笑いました。彼女はその顔を見て、今にも泣き出しそうでした。あのヴァルターにひどい扱いをされていたという彼女は、いつも自信がなさそうに俯きがちで、思えば初めて声をかけてくれた時もフォルデに凄まれて泣きそうな顔をしていました。

 少し前に、フォルデに手紙が届いたそうです。
 グラドの再建はまだまだですが、一段落したので時間が取れそうなので、一度ルネス王国を訪れたいです。
 行ってもいいですか、との言葉が、彼女らしい。

 兄上はさぞ残念でしょうね。自分の誘いには頑なに頷かず、フォルデの差し出した手を取ったんですから。
 でも、その方が彼女にはよかった気がします。
 兄上は少し、いいえ、とても強引過ぎましたから。

「エイリーク様、くれぐれも自ら出迎えなどなさらないように」

 彼女が来るのを楽しみにしていたら、ゼトがたしなめるように言いました。
(妹君の安堵)





「フォルデさん、あの、わたし、すごく」

 会いたかったです、と小さな声が告げたので、フォルデの多忙による疲れも吹き飛んだ気がした。

硝子の檻

(ほら、はやくそこから出ておいで)