我が主の奔放さには辟易する。
 身分や立場を弁えてほしいと思うが、フォルデも人のことを言えた性質ではない。緊張感がない、騎士としての自覚が足りない、とカイルに小言を言われる立場なのだから困ったものである。しかし、エフラムに比べれば自分なんて可愛いものだ。

 ひどく困惑し萎縮していながらも、エフラムの稽古に付き合わされているの槍捌きは、なるほど確かに実力は申し分ない。
 力がないなりの戦い方を心得ており、エフラムの攻撃を受け流すようにして立ち回る様は、踊るがごとく軽やかだ。傍らに控えるワイバーンは首をもたげて静観しており、彼女がそれに跨ればさらに実力を発揮できるのだろう。上空からの攻撃と言うのは予測が難しく避けづらく、さらに落下によるスピードが威力を増す。
 だからこそ、敵として翻ったときに厄介なのだ。フォルデは目を細め、ぴたりと眼前に刃先を突きつけられたを見た。
 参りました、と震える声が告げた。エフラムが満足そうに笑みを浮かべる。

「なかなかやるな。楽しかったぞ」
「い、いえ、そんな! 畏れ多いお言葉です……」

 が居心地悪そうに肩を竦める。ちら、とこちらを見やった視線が不安に溢れていて、なんだか可笑しく思えた。「」と、エフラムに呼ばれたが、びくりと大げさすぎるほどに肩を跳ねさせる。

「脇腹を庇っていたようだが」
「いえ、そのようなつもりはなかったのですが……」

 わずかにの表情が強張った。しかし、答えた口ぶりに淀みも揺らぎもなく、うまく動揺を隠しているようだった。
 怪我をしているのですか、とエイリークのやさしい声をフォルデは思い出す。自然、探るような不躾な視線になり、フォルデのみならずゼトやカイルの視線も受けることとなったが少しだけ瞼を伏せた。「ご指導ありがとうございました」疑るエフラムの視線から逃れるように、が深く腰を折る。

 ゼトに己の槍をあずけたエフラムが素早く動く。反射的に身をよじっただが、あっという間に地にねじ伏せられ、エフラムの手が無遠慮に脇腹をまさぐる。ワイバーンが牽制するかの如く、低く唸るように鳴いた。
 エフラムにしては随分と性急で手荒だ。

「や、あ……っ!」

 声を上げたが慌てて唇を結ぶがすでに遅し、エフラムが眉を顰めた。
 服をたくし上げると包帯が巻かれた腰が露わになり、さすがにゼトが咎めるようにエフラムの名を呼んだ。白いはずの包帯に血が滲んでいるのが見える。傷を確かめるようにエフラムの指先が包帯をなぞり、が痛みからか全身を緊張させる。
 エフラムの怒りが伝わってくる。

 シスターを、とすぐに指示を出したのはゼトだった。フォルデは肩を竦めてカイルと顔を見合わせる。カイルが是と答えて動いた。
 が焦った様子で「カイルさん!」と声を上げたが、カイルが振り向くことはなかった。

「なぜ黙っていた?」
「なぜって、そんな……どうして、言う必要があるんですか? シスターの手を煩わせるまでもありません」
「……この傷で何を言う。これでよく動けたものだ」

 エフラムに抱き起されたが顔をしかめる。カイルに連れられてやってきたナターシャが、血の滲む包帯を見て「まあ」と眉尻を下げた。

「ナターシャ、頼む」
「はい。怪我をなさったら、すぐにおっしゃってくださいね」

 ナターシャが杖を掲げる。やわらかな光を受けて、がなにかを堪えるように、唇を噛みしめた。




 言うまでもなく、エフラムはに好意を寄せているのだろう。
 これまで武芸ばかりに打ち込んで色恋には疎いと思っていたが、存外手が早いというかなんというか、あまりに堂々としていてそこに照れ臭さなど見受けられないのだから驚いたものだ。好きで何が悪いと言わんばかりの態度に、誰が何を言うわけでもないが、ゼトが内心渋い顔をしているだろうことは伺える。また、エフラムを慕うターナ王女は気が気でないらしい。

 パチパチと爆ぜる焚火を見つめながら、フォルデはくああと欠伸をひとつする。生理的な涙が目尻に浮かぶ。
 昼寝が趣味ではあるものの見張り番をするのは苦ではない。夜空を見上げれば、戦時中だということを忘れさせるほど美しい星空が広がっている。月がない夜だから、ことさら星の輝きがよく見える。

「あの、フォルデさん、交代の時間です」

 小さな声はかすかな震えをもっていた。フォルデは首を回して振り返る。周囲を伺うように視線を巡らせていただが、フォルデがなにも言わないことに戸惑ってか、俯きがちに視線を上げた。目が合うと不自然に逸らされる。

「……座れば?」
「あ、……は、はい」

 槍を大事そうに抱えながら、すとんと腰を下ろす様子をフォルデは横目で見つめた。

 随分とヴァルターに可愛がられていたようなのに、性格はちっとも似ても似つかないのだから不思議なものである。むしろ、のヴァルターを見つめる瞳には、尊敬よりも畏怖が滲んでいた気がする。
 怯えた目をしていた。否、いまもしている。


 ごく平凡な顔立ちが焚火に照らされ、赤みを帯びた横顔は少しばかり神秘的に映る。伏せられた瞳がフォルデを見ることはない。緊張しているのか、指先が白くなるほどきつく槍の柄を握りしめている。フォルデは内心で小さく嘲笑した。気の弱い女だ。
 ごろん、と寝そべって夜空を見上げる。
 突然横になったフォルデに驚いてか、がびくっと肩を揺らした。

「天幕に、戻られないんですか?」
「ああ、あんた一人に任せるのは不安なんでね」
「で、でも」

 フォルデはちら、とを見やった。「それでは、フォルデさんがお休みになれないんじゃ」言葉が尻つぼみに消えていく。

「そんなこと、あんたは気にしなくていい」
「……すみません」

 が立てた膝に顔を埋める。押し殺したの呼吸がかすかに聞こえる。パチ、と火が爆ぜる。
 ふと、首筋に残る傷痕を見つけ、フォルデは眉を顰めた。よくよく目を凝らせば歯形であることがわかる。──エフラム様が? まさか、とフォルデは内心で首を振る。の手が脇腹に触れて、ないはずの傷をぎゅうと押さえた。

「フォルデさん、」

 いつになく饒舌だ。
 フォルデは俯いたその顔を見つめる。躊躇うように押し黙って、が更に深く顔を膝に埋めた。

「エフラム様は、わたしをからかっているだけ、ですよね」

 声が揺らぐのは、愚問だとわかっているからか。「わたし」今にも泣きそうな声だ。

「エフラム様が、こわい」

 フォルデは思わず驚いて、身体を起こした。がびくりと肩を揺らして顔を上げる。唇が慄く。

「す、すみません、失礼なことを……」
「……どこか?」
「え? あっ、……それ、は」

 が目を伏せる。
 エフラムを恐れる必要などどこにあるというのだろう。フォルデにはわからない。多少強引なところはあるかもしれないが、エフラムはに必要以上にやさしく接している。
 沈黙の間に何度か火が爆ぜた。ぎゅうと目を閉じたが喘ぐように口を開く。

「すべて、奪われてしまう気がして」

 不安げで頼りなげな声は、どうしてかフォルデを苛立たせた。
 じ、と睨むように焚火を見つめる顔は、ひどく思いつめている。その瞳がフォルデを映し出した。怯えではなく、不安が滲んでいる。
 絶対的な王者の如きエフラムに惹かれるものは多い。しかし、のように畏怖するものや疎ましく思うものがいることも事実である。フォルデははたと気づく。は絶対的な弱者だ。戦う力を持っているにもかかわらず、弱くて脆い。

「エフラム様だって、そこまで強引じゃないさ。あんたの気持ちを無視するなんてことはないだろ」

 フォルデは誤魔化すように肩を竦めて見せる。この話は早々終いにしたい。
 気分が悪い。苛々する。

「……ほんとうに?」

 まるで、迷子になった幼子のようだった。
 わずかに濡れた瞳にヴァルターの影を見たような、気がした。

 フォルデはなんとなく、はヴァルターに多くのものを奪われたんだろうな、と感じた。だからこそ、エフラムをこんなにも恐れるのだ。何も言わないフォルデをどう思ったのか、が気まずそうに目を逸らした。

「わたし、変ですよね。ごめんなさい、忘れてください」

 その通り、おまえは変だよ。
 フォルデは思ったが、口に出すことはなかった。首筋の歯形が、灯りに照らされて赤く浮かび上がる。ひどく痛々しくて、禍々しく見えた。

 なあ、ヴァルターはもう死んだんだぜ。

 がヴァルターの元でどのような扱いを受けていたのかなど知る故もない。しかし、いつまでもヴァルターに怯えるような様には同情を禁じ得ない。同時にひどく馬鹿馬鹿しいとも思う。


 いつか。
 彼女は笑うのだろうか。エフラムの隣で、あるいは他の違う誰かの隣で、何かに怯えることなく幸せそうに。


 が弱弱しく微笑んで、それきり黙り込んだ。

だけが伸びていく

(臆病だから、怯えるほかないのです)