とぼとぼと遠ざかっていくの後ろ姿をねっとりと見つめてみても、その視線に振り返ったりはしない。オーディンが目に見えて狼狽えているが、レオン様に睨みを効かされているせいで、に近づくことすらもできずにいる。
 しかし、レオン様こそがを追いかけて、連れ戻したいに違いなかった。

「素直じゃないですね、レオン様は」

 あえてそう口にしてやる。
 俺だって、のことは手放したくないと思っているのだ。この世で一番大事な男がレオン様ならば、がこの世で一番大事な女だ。もちろん、本人に言ってしまっては面白みがないので、これは俺の心の内に秘めていることである。

 レオン様がなにか言い返すことはなかったが、ずいぶんと不機嫌な様子で睨まれる。「ああ、ぞくぞくしますねぇ、その目。言っておきますが、八つ当たりは受け付けませんよ」と言えば、レオン様がふいと顔を逸らした。
 だいたい、冷静でないレオン様を咎めたのにもかかわらず、に怒りをぶつけたのはレオン様だろうに。
 の傷ついた顔を思い出すと、心が震える。あの顔をもっと見てみたい。だが、泣かせてしまうのは本意ではない。

「……カムイ様は、なんか、全然変わってませんでしたね」

 オーディンが呆然とした様子でつぶやく。いつもの芝居がかかった口調はすっかりなりを潜めている。そういえば、こいつもあのカムイと面識があったのか。
 俺からすればとんだ甘ちゃんだったんだが、どうやらオーディンやにとってのカムイに対する印象は違うらしい。


「あの、レオンさん」

 仲間たちと話をしていたカムイが、遠慮がちにレオン様に声をかけた。

「私たちは、これからノートルディア公国に行こうと思います。マークス兄さんに、みすみす負けるわけにはいきませんから」
「……うん、聞いていたよ。どうやら本気みたいだね」

 レオン様がカムイに向かって表情をやわらげる。
 ワープの書を手渡したレオン様が、すこしだけバツが悪そうに唇を尖らせた。久しく見なくなっていた、年齢相応の表情だった。カムイのことを姉さんと呼べるのならば、レオン様にもう心配はいらないだろう。レオン様の翳りを一番気にしていたはさぞ安心するだろうが、その姿を傍で見られないことに同情を覚える。

のこと、よろしく頼むよ」
「レオンさん」
「僕の専属メイドだけあって優秀だけど、一応女の子だし……まあ、僕が言えた義理じゃないけど」

 まったくだ。レオン様の魔法はの身も心も憔悴させただろうし、俺に矢を射ることを強いておいて、その言い分はどうかと思うが。当たらないように調整したとはいえ、の動きによっては掠めていた危険があった。
 俺は悪戯に熱っぽい視線をレオン様へ送る。多少の嫌がらせは大目に見てもらおう。なにせ、俺の可愛い玩具がいなくなってしまったのだから。

「はい、もちろんです。さんは無事に暗夜王城まで送りますよ」

 カムイがにっこりと笑う。

「でも、私とさんが仲良くなっても、怒らないでくださいね」

 久しぶりに会えたんですから、と悪戯っぽく笑うカムイに、レオン様が「わかってるよ」と拗ねた声で答えた。遠くでレオン様達の様子をうかがうには、どんな会話が交わされているのか想像もつかないだろう。耳元で囁いて教えてやりたいところだ。

 レオン様がを見やった。それだけで、が泣きそうに顔を歪ませる。「ほんとうに、馬鹿だね僕は」レオン様のつぶやきは小さく、カムイが気づくことはなかった。
 さてと、と気を取り直したレオン様の顔は晴れやかだ。

「僕ができるのは、ここまでだよ。……それじゃあね、姉さんたち。また、会おう!」

 カムイに向かって手を振りながら、レオン様が外套をなびかせて馬を走らせる。オーディンと俺もそのあとに続く。最後の最後に振り向いて見たの姿は、たしかに泣いていた。

あなたのための痛覚

(また左胸がずきりと痛む)