「カムイ様、ご無事ですか?」
レオン様が放った魔法は、確実にカムイ様を殺さんとしたものだった。いくらカムイ様のご兄弟とはいえ、許しがたい。カムイ様が小さく頷きを返すが、意識は全くこちらには向かずに、が消えていった方向の森を見つめている。
俺は内心で舌打ちをして、暗器をくるりと回した。
カムイ様の御心を思うと、言葉もないほどに心苦しい。血の繋がりはなくとも共に過ごしたご兄弟に、裏切り者と罵られ、敵意を向けられる。カムイ様が唇を結び、剣の柄を強く握りしめた。
「大丈夫です。みんな、行きますよ!」
レオン様を睨むようにして、カムイ様が声を上げた。
対峙するレオン様に焦りは見られないが、側近の臣下からは戸惑う様子も伺える。
短い期間だったが、俺が直々に指導してやったならば、その辺の兵士よりも腕が立つくらいだ。ノスフェラトゥにやられるような奴ではないが、さすがに今の精神状態では少しまずいかもしれない。
カムイ様が目配せする。「ジョーカーさんは、さんをお願いします」そういえば、カムイ様は年の近いとずいぶん親しくしていた。
本来ならば、カムイ様のお傍を離れるなど不本意でならないが、これもカムイ様のご意思だ。俺はカムイ様に首を垂れ、の後を追った。手間をかけさせやがったには、たっぷりと指導してやろう。
息を切らせたが木の幹に背を凭れている。がはっとして顔を上げ、暗器を構える。俺の顔を見て、その身体から力が抜けるのがわかった。
「執事長」
今にも泣きそうな声だ。
沼によってドロドロに汚れたメイド服はところどころ破れている。至る所に怪我をしているが、剥き出しになった腕が赤黒く変色しているのが見えて、俺は眉をひそめる。ノスフェラトゥの攻撃を受けたのだろう。
俺は仕方なしに、杖を掲げた。ぽう、と柔らかい光がの身体を包んだ。
「あ、ありがとうございます」
「カムイ様のためだ。てめぇがのたれ死んだら、カムイ様が悲しむからな」
「あ……そ、そうですよね」
が力なく笑った。すぐに愛想笑いをして、自分の感情をごまかす癖は、昔から変わっていない。
レオン様に裏切り者と言われ、傷ついているくせに。カムイ様に一瞬でも刃を向けたことを、悔やんでいるくせに。俺を前にして、竦みあがっているくせに。その顔には無理やり作った笑みが浮かんでいる。
「……戻るぞ。ずいぶん、カムイ様から離れちまった」
ちっ、と舌打ちすると、が目に見えてびくりと肩を揺らした。「ご、ごめんなさい」謝る声が震えている。無視して踵を返したが、俺の袖をの手が遠慮がちに掴んだため、足を止める。
「わたし、戻れません」
「……」
「レオン様にも、カムイ様にも合わせる顔が、ありません」
がうつむいている。の言葉はもっともだが、カムイ様はそんなことはちっとも望んじゃいない。
俺はため息を深く吐く。言いたいことは山ほどあるが、兎にも角にもカムイ様のもとへ戻ることが先決だ。の手首を掴んで歩き出す。
「さっさと歩け」
よろめいたにかまわずに、歩みを速める。
先ほどからノスフェラトゥの気配がない。ということは、戦いは決したのだろう。
「し、執事長、待ってください」
「てめぇ、いい加減にしろ。何のために俺が来たと思ってる」
「で、でも、」
「でももくそもあるか」
ぐだぐだとうるさいに対し、舌打ちをする。「ひっ、すみません!」が恐縮しきって悲鳴じみた声を上げた。
の歩幅を考えずに足早に進むが、文句の一つもなく着いてくる。ちらりと覗き見たの顔は、唇を噛んで涙をこらえていた。思わず、足が止まる。
「おい、」
が顔を上げる。途端、ダムが決壊したように、ぽろぽろと涙をこぼした。が慌てて掴まれていない方の手のひらで、目元を覆った。
「っ、ご、ごめんなさい……」
すぐに謝るのは、できあがった上下関係のせいだろう。
俺は一つ、ため息を吐く。
「レオン様がお許しにならないかもしれんが、カムイ様は違う。お前を待ってるからな」
慰めるつもりは毛頭ない。とは言え、傷口に塩を塗り込むつもりもない。すでに己の愚かさを自覚しているだろうことは、目に見えて明らかだ。
「わたしは、メイド失格です……」
ぽつりと落とされた言葉を無視して、俺は再び歩き出す。俺にとってみれば、カムイ様がなによりも大事で唯一無二の存在だから、そのほかはどうだっていいという至極単純な考えだ。しかし、は──カムイ様もレオン様も大切な主なのだ。
どちらも天秤になどかけられやしない。
てめぇの選択は間違いだ、とは言えない。カムイ様を攻撃しなかったことは、俺にしてみれば及第点だ。
「小言はあとでいくらでも言ってやる。いいから足を動かせ」
苛立たしさを隠さずに言えば、が竦みあがって慌てて足早になる。涙は止まったようだった。