「、あの……ごめん。あんなことになるなんて」
「もういいってば、勝己くんも無事だったんだもん」
正座して項垂れる出久を前にすると、のほうが悪者になった気がしてしまう。
そろ、と出久が俯きがちに目線を上げる。
「かっちゃんと仲がいいの、知らなかったな……」
はは、と出久が何故か照れ臭そうに頬を掻く。
は椅子から腰を上げて、床に正座する出久の傍に膝をついた。出久がぱっと顔をあげる。同じ色の瞳のなかに、双子にしてはあまり似ていないの顔が映る。
「わたしたちなんてさ、きっと知らないことばっかりだよ。昔は、何にも違わなかったのにね」
は出久の右手に、自分の左手を重ねる。大きさはもちろん、感触も違えば、出久の手には消えない傷跡がある。
ぱちぱち、と出久の目が不思議そうに瞬かれる。
「お兄ちゃんはさ、わたしのこと、羨ましいって思ったことある?」
「え……?」
「わたしは、ずっと思ってた。お母さんに”わたしを見てよ”って、何度も思った」
「そんな、お母さんは、」
「うん。わかってる、お母さんはちゃんとわたしのことも大事に思ってくれてる。でも、もし、無個性なのがお兄ちゃんじゃなくて、わたしだったらって──考えたこと、何回もあるんだ」
出久が小さく息を呑む。そんなこと考えたこともなかった、という顔をしている。出久は無個性でありながら、個性のある人たちを妬み嫉むのではなく、憧憬という気持ちに昇華させてきたのだ。
後ろ暗い感情が万にひとつあったとして、は出久がそれを吐き出すところを見たことがない。
は出久をじっと見つめながら、口を開く。
「わたしのヒーローは、勝己くんだった。だけど、お兄ちゃんもちゃんとヒーローだったんだね」
は、誰も動けなかったあのとき、出久だけが爆豪を助けようと足を踏み出したところを見ていた。怖くてたまらなかったの心を奮い立たせたのは、出久のこの手であり、言葉だった。
「ありがとう、お兄ちゃん。勝己くんを助けてくれて。わたしを守ってくれて」
ぎゅ、と手が握り返される。
出久の瞳が潤んでいることに気づいて、は笑った。
「もう……泣き虫なところ、変わんないなぁ」
「ま、まだ泣いてないよ!」
出久が慌ててごしごしと目元を擦る。この姿を目に焼き付けたかった。ヒーローになっていく出久を見守りたいし、ヒーローらしい姿を見たいとも思うけれど、泣き虫の出久のままでいてほしくもある。
病院で告げたことは、すべての本心だ。
母親もも、誰よりも出久を応援しているけれど、それと同じくらい心配しているのだ。
夏休みが終われば、出久は雄英高校の寮に入る。こんなふうに、出久と話す機会も、めっきり減るのだろうと思うと寂しい。
──もちろん、爆豪も寮に入る。
考えると、ぎゅっと胸が掴まれたように苦しかった。
「お兄ちゃん、わたしね、勝己くんのことが好きなんだ」
「へー……え?」
「勝己くんが寮に入る前に、告白しようと思うの」
「えっ、あっ、ソ、ソウナンダ……」
驚きのせいか、出久が片言になっている。は笑って出久の顔を覗き込んだ。
「お兄ちゃんは、好きな人いる?」
ぼんっ、と出久の顔が赤くなる。「いいいいい、いないよ!」と全力で否定していたが、どこからどう見ても真っ赤な嘘だった。
爆豪は、出久と同じように、ずっと近くにいて当たり前の存在だった。
だから、爆豪を失うかもしれないと知って、はすごく怖くなったのだ。爆豪を絶対に失いたくなかったし、これから先もずっと傍にいたいと思った。そこで初めて、はこの気持ちが恋であることに気がついた。我ながら、鈍感さに呆れを覚える。
「勝己くん」
ブランコを揺らしていたは、爆豪の姿を見つけて立ち上がる。
不機嫌そうな顔をした爆豪がずんずん近づいてくるので、は思わず怯んで後ずさる。ふくらはぎに、ブランコが触れた。ガシャン、と荒々しく掴まれたブランコを吊り下げるチェーンが、悲鳴のように音を立てる。
「わざわざ呼び出して何の用だ?」
心を決めたはずなのに、いざ爆豪を前にすると言葉に詰まる。それでも、言わなければ、きっとは後悔する。
簡単に手を離してやらない、と爆豪は言ったけれど、手が届かなくなってしまってはどうしようもない。
「あのね」
緊張で口が乾く。は爆豪の顔を見ていられなくて、顔を俯かせた。
「わたし、勝己くんのことが好き」
しん、と落ちた沈黙が、には永遠のように感じられた。
しかし、には爆豪の反応を伺う勇気が出なかった。顔を俯かせたまま、爆豪の腹のあたりに視線を彷徨わせる。
爆豪の手がの顎を持ち上げた。赤い瞳がすぐそこにある。
「んなこたァ、知ってるわ」
「え? えっ、うそ……知ってるって、なんで、いつから」
「黙っとけ」
忙しなく動く唇が塞がれる。
目の前に爆豪の顔が広がって、は慌てて目を閉じた。唇に触れる柔らかい感触が、悪態をつく爆豪の唇だと思うと不思議な心地がした。顎を固定していた手が、いつの間にかの手を握っている。
ぎゅ、とは爆豪の手を握り返す。いつもこの手を温かいと感じていたのに、いまはほんのりと冷たくて、は自分の体温の高さに気がつく。
唇が離れた瞬間に、角度を変えてもう一度重なる。「ふ、」と、驚いて小さく開いた口の隙間を縫って、爆豪の舌がねじ込まれた。すり、と爆豪の指先が、の指をなぞるように撫でる。
「んっ、か、」
勝己くん、と呼ぼうとした名前は紡ぐことができなかった。
人気がないとはいえここは外なのに。ファーストキスなのに舌が入ってくるなんて。なんか勝己くん、慣れている感じがするんだけど。
ぐるぐる考えているうちに、何をどうすればいいのかわからなくなって、はただひたすらキスが終わるのを待つことしかできない。ぬるりと舌が絡み合うと、ぞわりと背中が震えた。悪寒とは違うその感覚を、は知らない。
かくん、と膝から力が抜けて、はブランコに凭れる。爆豪がなおも追い詰めるように腰を屈めたので、は咄嗟に顔を両手で覆った。
「ま、ま、待って、勝己くん」
爆豪がの手首を掴んで、顔からはがす。
真っ赤な顔を隠すものが何もない。は恨みがましい目で、爆豪を睨んだ。
「もう十分待っただろうが」
にや、と爆豪が口角を上げる。悪役顔負けの、実に悪っぽい笑みだった。
手を繋ぎながら、帰路につく。
こうして家まで送ってくれることも、しばらくはもうないのだろう。そう思うと、この帰り道がずっと続けばいいのにな、とすら思う。
「寂しいなぁ」
ぽつり、と本音が漏れてしまって、ははっと口を押えた。
「あ……で、でも、寮に入ったら、安心なんだもんね」
「……」
慌てて取り繕うが、あまりに薄っぺらい言葉だった。横から突き刺さる視線が痛い。はもじもじと俯く。
「今生の別れかよ」と、爆豪が笑い飛ばした。
なるべくゆっくり歩いたつもりでも、すぐに家が見えてきてしまって、は残念に思う。爆豪が躊躇うことなく階段を上っていくので、もついていく。
もうの部屋の階についてしまう。
「勝己くん」
は爆豪の手を引いて、すぐそこにある背中に顔を押し付けた。
「ちょっとだけ、こうさせて」
爆豪が動かずにいたのは、ほんとうにちょっとだった。
振り向いた爆豪が、階段を一段降りる。肩にかかるの髪を手で払って、露わになった首に爆豪が顔を埋めた。
「ひっ、な、に? や、勝己く、」
足を踏み外しそうで、碌に身動きが取れない。ちくりとした痛みに、はびくりと首を竦めた。
「なに? 痛い……」
「俺はてめェのほうがよっぽど心配だわ。絶っ対、夜に出歩くんじゃねぇぞ」
「わ、わかってるよ」
は赤べこのように何度も頷く。爆豪の目が、を探るように見ている。
「……わかってるもん。勝己くんこそ、危ないことしないでね」
「約束できねー」
ふん、と鼻を鳴らして爆豪がさっさと階段を上っていく。
はゆっくりと爆豪を追いかけながら、首に手を当てる。先ほど痛んだ部分は、とくに傷ができているわけでもなさそうだった。
「ねえ、いま何したの?」
爆豪の隣に並んで、問いかける。虚を突かれたように目を丸くした爆豪が、にやりと笑う。
「教えねぇ」
「えっ、なんで? 勝己くんの意地悪……」
むっと唇を尖らせるが、爆豪は笑うばかりである。ついに到着してしまったドアの前で、は爆豪と向き合う。名残惜しくて仕方がなかった。
「デクに”首洗って待ってろ”って言っとけ」
「ええ、物騒な」
「」
「うん?」
掠めるように唇を奪われて、は呆然と立ち尽くす。
「またな」
耳朶に声が降ってくる。
爆豪の背中が階段に消えていくところでようやく我に返り「かっちゃんの馬鹿!」と、は叫んで家の中へと飛び込んだ。を侵食する爆豪の熱は、ちょっとやそっとじゃ引いてくれそうになかった。