隠されると余計に知りたくなるのは、人の性だろうか。前回のループで格納庫を調べることに失敗して、またループ初日である。空間転移まで何をしようかと思っていたのだが、格納庫の前での足は止まってしまった。
 ジョナスが何を隠しているのかはわからないし、そもそも隠したいものがあるのかも定かではない。ジョナスの考えは読めないし、何も考えていない可能性もある。

 しかし、あれで能力は高く、敵であった場合は厄介だ。下手に動いて疑われては、目的を果たすことは愚か、ループを生き残ることさえ危うい。
 は格納庫のドアをしばし見つめて、沈黙する。
 ふいにそのドアが開いて、ジョナスが出てきた。どきっ、と心臓が跳ねる。やましいことをしていたわけではないのに、は視線を逸らしてうつむいた。

「おや? フフ、もしやジョナスをお探しかな?」

 は顔をあげ、曖昧な言葉で誤魔化した。格納庫に興味があると思われては、色々とまずい。早々に立ち去ろうと踵を返したの前に、ジョナスが立ちはだかる。
 そこで初めて、ジョナスが何か手にしていることに気づいた。

「ふむ……、か。まあ悪くはない」

 ジョナスがじろじろと頭のてっぺんから爪先まで、不躾に視線を走らせる。は警戒心を露わに一歩後ずさった。

「なに?」
「フフ、さて……何だと思う?」

 ジョナスが意味深に笑みを深めて、ぱちんと指を鳴らした。「ステラ、にこれを着付けてやってくれ」と、どこからともなく現れたステラに紙袋を預ける。
 は訝しげに紙袋を見つめた。
 一瞬、「またか」と言わんばかりに呆れ顔をしたステラだが、に振り返った時にはいつもの柔和な笑みが浮かんでいた。説明を求めようとジョナスを見るが、すでに背中を向けている。訳がわからず、立ち尽くすの手を、ステラがやさしく引いた。

様……少しだけ、お付き合いください」

 ステラに申し訳なさそうに言われては、付き合うほかあるまい。は困惑したまま、頷いた。



 しゅる、と衣擦れの音を立てながら、ステラが慣れた手つきで布地を広げた。浴衣だ。濃紺色に、絞りで花火模様が描かれている。

 は言われるがままに手を通す。裾が床につくほど長いが、紐で括れば踝が見えた。「解けないように、少しきつくしますね」と、帯で胴を絞められ、は一瞬息を詰める。
 後ろに回ったステラが、やはり慣れた手つきでリボンを形作った。仕上げに、簡単に髪をまとめあげ、簪を指してくれる。

「まあ、お似合いです。様」

 ご丁寧に下駄まで用意されている。が歩くたびに、カランコロンと音を立てる。
 いつの間にか、ジョナスが近くに立っていた。驚いて、思わずよろめいたを、ジョナスがエスコートするかの如くごく自然に手を取った。いつもの帽子はそのままに、浴衣を着ている。この着こなしが正解なのか、にはわからない。

「あ、ありがとう」
「着心地は如何かな? フフ、やはり私の目に狂いはなかった。浴衣に帯、簪……どれもが最高に互いを引き立てている。ジナか夕里子を想定していたが、君も確かに悪くない」
「はあ、どうも……」
「何、礼などいらんさ。我々は同志、もはや友と呼んでいい。派手さのない顔立ちには、そのくらい落ち着いていたほうがよかろう。馬子にも衣装という言葉は、なるほど君のためのようなものだ。その格好で意中のお相手に会ってきたらどうかね?」

 ジョナスの指先が首元に伸び「いいうなじだ」と、満足げに頷く。

「ククルシカには似合わないだろう? どう処分しようかと悩んでいたのだが──

 なおも話し続けるジョナスはつまり、ククルシカにはもっと派手で鮮やかな浴衣が似合うと言いたいようだ。地味な顔で悪かったな、と心の中で吐き捨てて、はジョナスに背を向けた。
 ニコニコと笑うステラが小首を傾げる。

「意中の殿方がいらっしゃるのですか?」

 見つめるステラの瞳がキラキラと輝いているような気がして、は慌てて首を横に振った。ぶんぶんと勢いよく振った。






 地球という惑星の、小さな島国の衣装らしい。らしい、というのも、実際にこうして目にするのは初めてだ。ジョナスは地球の出身だ。かつ、旧時代の服を好んで着ていることからも、浴衣を所持していても何ら不思議なことではなかった。
 にはこの船に乗る以前の記憶はなく、すべてはループを繰り返す中で得た情報、知識に過ぎない。思えば記憶喪失、ということを不安に思う暇さえなく、騒動の渦中にいる。いまは、いつまでループが続くのか、グノーシアの脅威にさらされることがなくなるのか、そのことばかり考えている。もセツも、立ち止まることができない。
 前方に見慣れた後ろ姿を見つける。カラリと響く足音に、セツが振り返った。

? その格好は一体……」

 セツが丸く見開いた瞳を瞬く。は苦笑をこぼしながら、事情を説明した。
 ジョナスの名が出ただけで、セツは納得したようだ。ループをするうち、ジョナスの人物像は嫌になるほどわかっているし、何度も振り回されているせいだろう。

「似合ってるね」

 そう言って、セツがやわらかく微笑む。
 よりもよほど、浴衣姿が映えそうである。汎という性でありながら、沙明が言い寄る気持ちがわかったような気がしてしまう。

「ありがとう。もしかして、わたしを探してた?」
「ああ、そうだ。シピが料理を振る舞ってくれると言うから、食堂に行かないか? 皆も集まっているし、何か情報が得られるかもしれない」

 みんな、という言葉に、の身体が強張る。しかし、それを悟られぬようには笑って頷いた。
 行こう、と歩き出すセツに続くが、距離が開いていく。浴衣では歩幅が出ず、いつもの速度で歩くには小走りにならなければならないのだが、履き慣れない下駄ではそれも難しい。

「セツ、ごめん。待っ……」

 大きく足を踏み出したせいで、浴衣の裾が肌蹴る。慌てて浴衣を押さえるが、勢いを殺せずにはたたらを踏んだ。下駄の音が廊下に響く。振り向いたセツが驚いた顔で手を伸ばすのが見えた。
 前のめりになった身体を立て直すことは、もはやには不可能だった。

!」

 セツが叫ぶ。は衝撃に備えて目を瞑った。

「あっぶねーな、オイ!」

 ぐいっと腕を掴んで引き寄せられる。大きく跳ねた心臓もまた、掴まれたような感覚を覚えた。気がつけば、は沙明の腕の中に収まっていた。

「沙明」

 呆れたような、ホッとしたような、刺があるような、判別しがたい声音で名を呼んだのは、セツだ。牽制じみた視線を受けて、沙明がさっと身を離した。そればかりか、両手を挙げている。
 掴まれた腕が痛かったわけでもないのに、は手のひらでそこを押さえた。

「おー怖。むしろ、を助けてヤったんだから感謝してほしいわ」
「…………、大丈夫?」
「あ、う、うん。どうもありがとう、沙明」

 呆けていたは、セツに心配そうに顔を覗き込まれてようやくハッとする。わけもなく、うなじに手が伸びてしまうのは慣れない髪型に戸惑っているからだろうか。

「つーか、そんなに大事なら、仲良くお手てでも繋いだらどうよ?」

 沙明に無理やりセツと手を重ねられる。
 とセツは、困惑して顔を見合わせた。セツが気まずげに、あるいは照れたように、目を逸らした。

「ハッ! お似合いなこって」

 吐き捨てるように言って、沙明は足を踏み鳴らしながら遠ざかっていく。
 何が気に食わないのか知らないが、相当お冠らしい。
 肩を怒らせるその背を見つめていると、ふいに手を握られては隣に視線を向けた。セツの眉尻がわずかに下がっている。

「気づかなくてごめん。今度はゆっくり歩くよ」

 に合わせて、セツが歩調をゆるめて歩き出す。

「ねえ、セツ」
「ん?」
「……わたし、沙明のことが好きなのかな」
「え?」

 セツが思わずと言ったように、足を止めた。繋いだ手はそのままに、はルビー色の瞳を見つめる。とセツのループは滅多に重ならない。今回のループでは、セツのほうがループ数が多い。

「まだ、はっきりとはわからないの。何だか、これ以上彼に近づいてはいけないような気がしていて……セツの知るわたしは、沙明に対して何か言っていなかったかなって」

 ギュ、と手を握る力が強まる。セツの眉間に皺が刻まれていた。

「……いや、何も。私では力になれそうにない」

 悔しげに、セツが目を伏せた。


 食堂に足を踏み入れると、鮮やかな紅色の浴衣に身を包んだククルシカが出迎えてくれた。長い髪が、高い位置でお団子を形作っている。美少女の浴衣姿は愛らしく、同時にどこか色香も感じさせる。
 ククルシカが笑顔で「の浴衣姿、可愛いね」と伝えてくれる。

「ククルシカこそ、すごく素敵だよ」

 うれしそうにククルシカが笑った。食堂内を見回すが、浴衣を着ているのはとククルシカ、そしてジョナスだけだ。何だか恥ずかしい。チラチラと向けられる視線に混じって、SQやしげみちが可愛いだの何だのと冷やかしてくるから尚更だ。
 騒がしい一帯には沙明の姿もあったが、彼はちらりともこちらを見ようとしない。妙に意識してしまって、もまともに沙明を視界に収めることができなかったので、都合がよかった。

 「、あそこに座ろう」と、セツがの手を引いて、席まで誘導してくれる。
 シピが作ってくれた焼きそばを前に、は破顔する。料理が得意だと言っていた通り、とても美味しそうだ。

、さっきの話だけど」
「ん? うん」
「沙明を警戒しているだけなんじゃないのかな……近づいてはいけないと感じるんだよね?」

 セツの表情はやや険しい。話すべきではなかったのかもしれない。

「警戒……」
「それとも、にはそう思う根拠がある? 何か、彼と特別な出来事があった?」

 セツが沙明を苦手に思っていることは自明だ。
 けれど、セツだってこれまでに何度もグノーシアの沙明を見てきたはずだ。

 語れるほど“特別”なことはない。ただ、沙明にはじめに抱いた印象とは、違っていることは確かだ。
 恋が何であるかもわからないのに、根拠などなおさらわかるわけもない。はかぶりを振る。セツがほっとしたように息を吐いて、表情をゆるめた。

「思ったより、空間転移まで時間がないね。とりあえず、食べちゃおうか」

 セツに倣って、は箸を手にする。あれだけ美味しそうだと思ったのに、口にした焼きそばの味は、よくわからなかった。