(100題「バラバラの視線」続き)
(※ホークスの自慰行為あり)
あまりに無防備なさんには、正直不安になる。始めこそ、緊張に身を強張らせていたが、いまではすでに安らかな寝息を立てている。もちろん、俺の腕の中で、だ。
長い前髪が、閉じた瞼を隠している。触れて起きやしないだろうか、という不安よりも、触れたい欲のほうが勝ってしまうのだから、ほんとうに俺はしょうもない奴である。そっと掻きあげた前髪は、さらりとした指ざわりをしていた。眼鏡をかけていないさんの姿は貴重である。
寝顔は、思っていたよりもずっと、あどけなかった。俺よりも年上なんて信じられないくらいだ。
──顔を見るだけのつもりだった。
誰に言うわけでもない言い訳が、頭に浮かぶ。こっそりさんの姿を拝もうと思っていたのだが、仕事に追われてすっかり日が暮れてしまい、カーテンが閉め切られていたのだ。速すぎる男の名が泣いている。
警戒心の欠片もなく、窓を開けるさんが悪い。顔を見るだけのはずが、言葉を交わしたら、とてもじゃないが帰りがたくなった。
「…………」
相変わらず、さんからは静かな寝息が聞こえる。俺はと言えば、こんな状況では寝るに寝られるわけもない。
邪な思いがないはずがないだろう。こちとら健全な青年なのだ。
さんの身体はどこかしこもやわらかくて、いい匂いがする。
はあ、とひとつため息をついて、俺は目を閉じた。
さんは、俺の下心に気づいていながらも、こうしてベッドに入ることを許したのだろうか。つくづく、呑気なひとだ。どうして俺に対してこうも無防備でいられるのだ。
俺がしたことを忘れたわけではないだろうに、さんは優しすぎる。もちろん、さんが俺にしてしまったことを気に病んで、突き放せないことはわかりきっている。“デビルクイーン“の失態は、何もさんのせいだけというわけではない。むしろ、俺にだって多大な責任がある。
それでもさんの瞳が見たかった。
「だめです! いけませんっ、やめてください!」
さんの言葉をすべて無視したのは、俺だ。しかしまさか、ああも我を失うとは思いもしなかった。サキュバスの個性を舐めていた、というよりも、やはり俺は欲しいものに我慢が効かなかったのだ。
だから、本来謝るべきは俺のほうだというのに、さんは額を床につけてまで謝罪を繰り返した。それから間もなく、デビルクイーンは引退してしまった。どう考えても俺とのことが原因だというのに「わたしにはヒーローなんて、向いていなかったんです」と、さんは苦く笑うばかりで俺を責めることはない。
はじめは確かにただの好奇心だった。けれど、いまはそれだけではない。
さんが好きだ。
散々酷いことしておいて、今さらそんなことを言えるわけがない。さんの弱みにつけ込んで、甘えてばかりだ。俺は最低なクズ野郎である。たとえこの想いを伝えたとして、さんが信じるわけがない。
「ん……」
ふいに、腕の中のさんがもぞりと動く。
俺はゆっくりと目を開いて、さんを見つめた。個性がある限り、俺はさんとまともに目を合わせることすら叶わない。それはなんとも寂しいことである。
それにしたって、この状況は俺が招いたとはいえ、とんでもなく。
「生殺し……」
もう一度ため息をつき、俺は身を起こした。どうせ、朝まで眠りこけているわけにはいかないのだから、早々に立ち去るべきだ。
その前に、ちょっとした悪戯くらいなら、許されるだろうか。
さんを抱きしめていた俺の下半身は、健全ゆえに臨戦態勢である。チラ、とさんの様子を伺うが目覚める気配はない。
「……ま、これ以上嫌われることもないか」
小さく呟いて、俺はさんの唇に手を伸ばす。薄く開かれた唇に人差し指を押しつける。ゆっくり、慎重に、唇を押し開いて、指先を口内へ侵入させる。
さんの舌先に触れて、表面をやさしく撫でる。唾液に含まれる催淫効果はあまりないと言っていたが、じんわりと身体の芯が熱くなるような気がした。指はそのままに、俺は空いている手で勃ち上がった自身を取り出す。
「指だけなんで、勘弁してくださいね。さん」
こんな言葉は、彼女が聞いていたって、何の意味もない。何があっても信じると言ってくれたさんには申し訳ないが、俺の気持ちだってほんの少しくらい汲んでほしい。
「……据え膳、食わないんですから」
さんはぐっすり寝ていて、答えることなどない。それでいい。口に突っ込まれた指だって、舐めるでも吸うでもないが、その無防備さが征服したような気分にさせてくれる。
握った陰茎をゆっくりと上下に扱く。
潤滑剤がないので滑りが悪い。さんの口から指を引き抜いて、唾液を塗り込む。ぞわりと甘い痺れが走るのは、さんの唾液のせいか、背徳感からか、判断が難しい。
「さん……」
小さく名を呼ぶ声は掠れていた。
さんを抱いた記憶はおぼろげで、夢を見たような感覚でしか覚えていない。残念で仕方がない。だけれども、忘れてしまっているわけではないのが救いだ。
たとえば、さんは羽根の付け根や、尾がひどく敏感だ。弄るとすぐに身体から力が抜けてしまうし、膣内がきゅうと反応する。それから、さんはミッドナイト顔負けのエロボディの持ち主である。
すぐ傍にあるさんを見下ろし、裸体を思い浮かべる。どれだけ野暮ったい格好をしようとも、豊満な乳房は隠せやしない。胸に触れたい衝動を抑え込みながら、扱く手を速めていく。
さんの唾液と、先端に滲んだカウパー液が、にちゃにちゃと卑猥な音を立てている。
「は……っ」
息が弾む。怒張したそれは、もう限界が近い。
好きだ。さんが、好きだ。
──頼むからどうか、俺を拒んでくれ。
「っ、さん、……」
さんの膣内に吐精する想像をしながら、ティッシュに向けて射精する。欲望を吐き出してなおまだ首をもたげていたが、俺は理性を総動員させることでそれを抑え込んだ。これ以上、さんを汚すのは忍びない。最も、今さらではある。
丸めたティッシュを適当なビニール袋に放って、口を閉じる。こんなものを、さんの部屋のゴミ箱に捨てていくわけにはいかない。
「……ごめん」
さんに向けて呟く。幸い、さんは眠りこけている。
できることなら、朝日を浴びて、さんの寝起きの顔を拝みたい。けれど、そんなことをしてしまえば、俺はこの部屋を出るのに相当な労力を必要とするだろう。いまだって相当だ。帰りたくないと口にしてしまえば最後、俺の足は動いてくれそうになかった。
しばらく、さんには会えないだろう。次の仕事はそういうものだ。
確かに気が滅入た時にさんの顔を見にくるのだが、気合いを入れるためでもある。俺がヒーローであるために、ヒーローとしてさんを守るために。
「じゃあまた。……さん、行ってきます」
ちょっと迷ったが、行ってきますのキスを、さんの瞼に落とす。
仕事を終えてまた会いにきた時、ただいまと言えば、「おかえりなさい」とさんはきっと笑ってくれるだろう。俺はそれを望みながらも、さんが俺の手の届かぬ場所に行ってほしいとも思う。
速すぎる男からは逃れられない、と知っているくせに。さんは、酷くて欲深くて、ロクでもない男に目をつけられてしまった。