ふぅん、と何気なく小さく呟いたを、チルチャックは見上げた。
そのが、本物か偽物かはわからない。吹雪の中でつないだ手を離さなければ、こんなことにはならなかっただろうが、いまさらそれを悔いても仕方がない。幸いなのは、ライオスの偽物たちが早々に明らかになったことである。
シェイプシフターによって増えた偽物は四人──そのうち見た目の違いが顕著になっているのは、やたらと巨乳が強調されているのがひとり、そして化粧がいやに濃いのがひとりいる。「なぁに、チルチャック?」と、視線に気づいて腰を屈めたこのは、外見では判断できないのだ。
「べつに」
ふい、とチルチャックは顔を背けた。
そのすげない態度に、腹を立てたり傷ついたり、そんな様子をが見せることはない。それどころか、くすりと小さく笑う。
「大丈夫。わたしはちゃんと、本物のチルチャックをわかってるよ」
「……はあ?」
「そうよ、わたしがチルを見間違うわけないでしょ」
「当たり前じゃない。チルチャックのことなら何でもわかるわ」
口々に言い始めたたちに、チルチャックはげんなりする。「じゃあ、せーので指さしてみろよ」と、別のチルチャックが呆れた顔で言った。
「せーの!」
目の前のの指は当たり前のように、チルチャックに向いていた。しかし、他のの指先は、バラバラである。一瞬の沈黙ののち「信憑性ない!」と、マルシルが叫んだ。
自分を指していた指がすいと動いた。が少しだけ怒った顔をしている。
「よく見て。このチルチャック、マフラーしてるわ」
「ついでに言えば、こっちのセンシは兜の穴がない」
じいっとその二人をライオスが見つめ、「言われてみれば……」とようやく合点がいった顔をする。チルチャックは大きくため息を吐いた。
たしかに、本物と確証がもてる者がいるのは、不幸中の幸いと言えよう。しかし、それがこんな違いにさえ気づかないライオスだというのは、不安しかない。前途多難である。
見た目や持ち物などで、ようやくそれぞれが二人に絞れたところで、チルチャックはふと気づいた。気がついてしまった。
「……なあ、」
「ん? どうしたの、チル」
「チルチャック、どうかした?」
二人ともが揃って腰を屈めてくるので、少しばかり腹立たしい。しかし、チルチャックはこれで確信を持てた。「こいつ、偽物だ」と、親指で指し示されたが、きょとんと瞳を瞬かせる。
ライオスもまた、同じような顔でを見比べている。
幼なじみですら見抜けない。こんな些細なことに違和感を覚えてしまう自分も嫌だったが、ガキ臭いことは言っていられない。チルチャックは身を切る思いで、口を開いた。
「チルなんて……は、呼んだことない」
残るもまた目を丸くして、それからふにゃりと笑った。
「チル、ひどーい!」と泣きながらしょっぴかれていくを見ながら、チルチャックはため息をひとつ零す。これで本物だとわかったのは二人に増えたが、依然として状況はあまり変わらない。
残っているもうひとりが、あまりに似すぎている。
「よし、食事にしよう」
膠着状態を打破するためか、ライオスがポンと手を打った。
ぎょっとしたのはチルチャックだけではない。
ライオスの提案を呑むしかないのはわかっていても、正直不安しかない──ふと、と目が合って、チルチャックはどきりとする。
「大丈夫。チルチャックのことなら、わたしはわかる」
たぶんね、とが付け足して笑うものだから、さらに不安は募ったのだった。
かわいい、ともてはやされるもう一方の己を見て、チルチャックは思わずよろける。目つきが悪いだと? 散々な言われようである。輪から離れているライオスに縋っても、望む返答は得られなかった。
そして、はと言えば──壁に背を預けて、我関せずといった態度を貫いている。かわいいと偽物にはしゃいでいないだけまし、と考えるべきだろうか。目が合うと、にこりと笑って手を振ってくる。腹立たしい。
「……ボケが」
ぼそっ、と口汚く罵る。それはライオスに向けたものでも、に向けたものでもあった。相変わらずニコニコとして、緊迫感のないには呆れるばかりだ。
だいたい、何故自分なんかに執着するのだ。
わけがわからない。理解ができない。
魔性の女ならば、男なんて手玉に取り放題で、選り取り見取りのはずだ。それとも、自分になびかない男が物珍しいだけなのだろうか。考えれば考えるほど、はらわたが煮えくり返るようだった。
チルチャックのことなら、わたしはわかる。
その言葉がどうして信じられるというのだろう。出会ってから、そう時間だって経っていない。
「……チッ」
悪態をつけば、もうひとりの自分が責めるような目で見てきた。
果たしてライオスが選んだのはまさしく本物である己だったのだが、その根拠たるや「なんとなく」という始末。チルチャックはもうひとりの自分を睨みつけた。やはりライオスには任せていられない。
こうなったら、自分の身は自分で守るしかない。
ちら、とを見やる。困った顔をして、小首を傾げるその様子に、やはり焦りなどは見られない。苛立ちをそのままに、チルチャックは偽物へと掴みかかった。
「ライオス」
「ああ、わかっている」
とライオスが何やら言葉を交わしているが、チルチャックはそれを気にする余裕がない。
突如として響いた犬の鳴き声にびくりと身体が竦む。犬というか猟犬、それどころかライオスの声真似である。「うまっ」と、チルチャックは状況も忘れて、思わず呟く。
いつの間にか、が距離を取って耳を塞いでいた。
「みんな見てっ! 幻が……」
マルシルの言葉にはっとする。掴みあっていた偽物が葉っぱになって消えていく。
正体を現したモンスターにライオスが向かっていったと同時に、マルシルが魔法を放った。どさり、とモンスターとライオス両名が地面に倒れた。チルチャックを含めた全員が心配など露ほどもしていないだろうことは、その表情からわかる。
チルチャックはライオスの頭をつま先で小突いた。
「生きてるかライオス……というか、正気か」
しゃがみ込んだチルチャックの傍らに、もまた膝をついた。にっこりとライオスに笑いかける。
「さすが、ライオス。相変わらずそっくりね」
その物言いは、幼なじみという親しさを表していた。
を横目に、チルチャックはライオスに呆れた視線を向ける。武器も抜かずにモンスターに飛び込んでいくやつがあるか。マルシルが魔法を放たなければ、どうなっていたことか。
チリチリと煙の上がるライオスの鼻先に、が指先を伸ばした。
「ご苦労様」
ちょいちょい、と労わるように人差し指が鼻を撫でる。情けないような照れ臭いような、そんな顔でライオスが笑いながら身体を起こす。むず痒いような、むかむかするような──なんとも言えないような気持ちになって、チルチャックは益々呆れた顔でライオスを見つめた。
ふいに、膝をついたままのが、チルチャックを見上げた。
「やっぱり、本物のチルチャックだった」
「……」
「ね、わたしの言ったとおりだったでしょう」
たしかにその通りなのだが、それをすんなりと認めてしまうのは癪である。何も言い返さないチルチャックをどう思ったのか、が小首を傾げた。さらりと髪が揺れる。
「それからね」と、続けてが立ち上がる。
「みんながどういうふうにお互いを思っているのか、ちょっとわかって面白かったな」
まさか、にはどれが誰のイメージによる偽物だったのかがわかっているとでもいうのだろうか。それを問いただそうとしたが「ああっ!」と、センシが叫んだことによって意識を持っていかれる。
そちらへ素早くも走って行ってしまい、残されたチルチャックはぽりと後ろ首を掻いた。
のことは信用していない。当然だ。
「……あいつ、ほんとに俺のことがわかってたんだな」
ぽつり、とチルチャックは小さく呟いた。
信じて疑わない眼差しを向けられると、なんだか調子が狂う。気がつけば、腹に溜まっていた怒りが、どこかに消えてしまっていた。
そういえば、のイメージしていた自分はどれだったのだろう。チルチャックはうーんと首を捻るが、答えは出なかった。
諦めて、チルチャックはセンシの手元を覗き込んだ。虚しくも皿に葉っぱが重なっている。ままごとをさせられていたのか、とチルチャックは頬を引き攣らせた。
「作りなおそう」
「ねえ、今度はわたしと一緒に作業しようよ」
「断る!」
チルチャックは腕に引っついてくるを、鬱陶しげに振り払った。しかし、めげずにが笑顔でくっついてくる。チルチャックはため息を吐いて、を引きはがすことを諦めた。元より、体格と力では敵わない。
「仕方ない……」
少しくらいは優しくしてやってもいいかもしれないな、と思うが、別にこれは絆されたわけではない。断じて違う。