(バレンタイン夢「内緒話は白い吐息」続き)
去年のクリスマス、わたしとベレトさんはまだ、家庭教師と生徒という関係に過ぎなかった。つまり、何が言いたいのかというと、ベレトさんと恋人になって初めて迎えるクリスマスなのである。
ああでもないこうでもないと悩みながら選んだクリスマスプレゼントを抱えながら、鏡の前に立つ。
去年、ベレトさんがクリスマスにくれた白い手袋は、寒い季節を過ぎてなお目のつくところに飾っていた。それを身に着けて、ふうと息を吐く。今日は、ベレトさんのお家にお邪魔することになっていて、初めてではないのに緊張してしょうがない。そわそわして落ち着かない気持ちをなんとかなだめて、ちょうどいい時間に家を出る。
早く着きすぎてしまったら、ベレトさんを困らせる。だけど、わたしの足はどうしたってスキップをするように軽くなってしまった。
結局、約束の時間よりも二十分ほど早くお家に到着してしまって、わたしはベレトさんの住むアパートの近くをうろうろしていた。どうしよう、遅刻じゃないだけマシだけど、早すぎるよね。
鞄の中からスマホを取り出して、時間を確認する。
……すこし前見た時間とほとんど変わりがない。当たり前だけど。
「」
スマホを見ながらうんうんうなっていると、聞きなれた声がした。
「わあっ、せんせい!」
「……先生?」
「あっ、ちが、えっ? ベレトさん、どうして」
あまりに驚いてしまって、ぽろりと呼び慣れた言葉がこぼれてしまった。ベレトさんはわたしの手を掴むと「窓から君の姿が見えた」と言いながら、お家に向かって歩き出した。
右往左往して、百面相しているところを見られていたのかと思うと、恥ずかしくて顔に熱が集まる。
「早く着いたのなら連絡をくれたらいい。風邪をひくだろう」
すこしだけ、怒ったような呆れたような声は、心配から出たものだ。「はい」と、わたしは小さく返事をして、ベレトさんの手を握った。
ベレトさんのお家は、ものが少なくて、いつもきれいだ。クリスマスらしい装飾もないので、今日ってクリスマスだよねと一瞬不安を覚えるくらいだ。
わたしをいつもの定位置──ソファーの左側──に座らせて、ベレトさんはキッチンに向かった。
実を言うと、クリスマスを恋人がどんなふうに過ごすのか、想像がつかない。いつ、どのタイミングでプレゼントを渡すのだろう、とわたしは鞄の中できれいにラッピングされた存在を意識する。
ベレトさんがいつものように、わたしの前にココアを、自分の前にコーヒーを置いた。
今日って、クリスマスだよね? わたしはいま一度自分の胸に問いかけて、壁にかかったカレンダーをちらりと確認した。うん、大丈夫、今日は間違いなく十二月二十五日だ。
「……? 落ち着きがない」
不思議そうに首を傾げて、ベレトさんがわたしの顔を覗き込む。その硝子玉みたいにきれいな瞳の中に、見つめられて赤くなったわたしの顔が映っていた。
だ、だ、だって。
恋人として一緒に過ごすクリスマスなのだから、色々と期待をしてしまってもおかしいことではないはずだ。
「緊張している?」
ベレトさんの手が、わたしの頬に触れる。その熱さを確かめるように手のひらがくっついて、指先が輪郭をくすぐる。ぎゅ、とわたしは寒くもないのに首を竦めてしまった。
「し、して、ます」
答える声が震えて、上ずっていた。恥ずかしい。
「部屋に来るのは初めてじゃないだろう」
「でも、こ、恋人としてクリスマスを一緒に過ごすのは、初めてです」
ベレトさんが、わずかに目を瞠った。
頬を撫でた手が顎先へと下りて、俯きそうになるわたしの顔を持ち上げた。視線が近い。わたしはどこを見ればいいのかわからずに、視線をさまよわせた。
すり、とベレトさんの親指が、わたしの下唇をやさしくなぞる。
「確かに、の言う通りだ」
納得したように頷いたベレトさんは、唇を掠めるようにキスをくれた。
「……」
互いの睫毛が肌に触れてしまったのではないかと思う。反射的に閉じた目を開けると、ベレトさんのきれいな瞳の色がぼやけていた。ベレトさんの唇が動くのが、吐息とその感触でわかった。
「メリークリスマス」
もう一度重なった唇は、すぐには離れていかなかった。
すこしぬるくなったココアに口をつけながら、再びキッチンに立つベレトさんを見つめる。
ベレトさんは生活感があまりないが、意外にもお料理が上手だった。クリスマスのディナーもベレトさんが手料理をふるまってくれる、というので、彼女としてどうかなと思いつつもお言葉に甘えてしまった。残念ながら、わたしはそんなに料理が得意ではない。
クリスマスプレゼントは、食事の後でいいのかな。全然わからない。
ベレトさんが手際よくテーブルに手料理を並べていく。わたしが手伝う暇もない。
「わあ、すごい! 全部ベレトさんが作ったんですか?」
「そうだ。口に合えばいいんだが」
「どれもおいしそうです。いただきます」
「いただきます」
ふたりで手を合わせてから、フォークに手を伸ばす。前菜と思われる、たっぷり野菜の上に乗ったローストビーフを口にする。
「柔らかくっておいしいです!」
ローストビーフをはじめとして、ピラフもシチューも、レストランで食べるものと全然遜色ない。おいしいおいしいと食べていると、ベレトさんが「それはよかった」と小さく笑った。
わたしははっとして口元を押さえた。もしかして、子どもっぽかっただろうか。食い意地が張っていると思われただろうか。
「が美味しそうに食べてくれると、自分も嬉しい」
ベレトさんがそう言うので、わたしはそのままパクパクと食べすすめた。
ケーキと紅茶までお腹に収めて、ふうと息を吐く。おいしいからって、食べ過ぎちゃったかもしれない。
これでは、完全に色気より食い気である。
「、ついてる」
ベレトさんが、わたしの口の端についたクリームを拭った。は、恥ずかしい!
わたしはその恥ずかしさを誤魔化そうと、あわあわしながら鞄に手を伸ばした。勢いで鞄の中身を潰さないように気をつけながら、わたしはきれいな包みを取り出した。
「メリークリスマス、ベレトさん!」
思いのほか大きくなってしまった声が部屋に響いて、わたしはますます恥ずかしくなって俯いた。差し出したプレゼントを、ベレトさんがそうっと受け取った。
「ありがとう」
ちら、とわたしは俯きがちにベレトさんの様子を伺う。
「そういえば、去年は貰えなかったな」
ベレトさんが目尻をほんのりと赤く染めて、笑っていた。
実は去年も用意してたんです、という言葉が、喉に詰まって出てこない。だって、ベレトさんがそんなふうに笑うところ、初めて見たから。思わずぽかんと見つめてしまう。
もちろん、ベレトさんもクリスマスプレゼントを用意してくれていたのだけれど、わたしはもうプレゼントをもらった気分だった。
──いままで見た中で一番の、笑顔が見れたんだもん。