どうせ誰だって同じなのだから、興味など欠片も湧かなかった。
 ゴーティエの嫡男である以上、それに見合う家柄の令嬢が選ばれるだけだ。そこに恋愛感情など必要であるわけがない。馬鹿馬鹿しい、と手にした葡萄酒を飲みながら、シルヴァンは伏し目で周囲を見やった。
 華々しく着飾った令嬢たちが、舐めるように視線を注いでいるのが、嫌でもわかる。

 このわざとらしいほど豪勢な誕生会は、いわばシルヴァンの花嫁探しである。
 シルヴァンの素行は知っているはずだが、それでもゴーティエ夫人になりたいとこぞって群がるのだ。シルヴァンにはあまりに理解し難く、度し難い。
 もし自身が女性ならば、こんなちゃらんぽらんは願い下げである。

 女性の名前と顔を覚えるのは得意だ。しかし、この場に限っては、シルヴァンは誰一人として記憶するつもりがない。
 令嬢の挨拶がようやく終わったかと思えば、次は舞踏である。
 誰が一番初めにシルヴァンと踊るか──そんなくだらないことで、互いを牽制し合っている令嬢たちにはうんざりする。幼なじみに助けを求めようかとイングリットを見やるが、皿いっぱいに馳走を乗せたその顔には「絶対に嫌です」と大きく書かれている。

「参ったな……」

 見た顔の女生徒でも良かったが、“ゴーティエ次期当主に選ばれた”のだと勘違いされて、士官学校で妙なことを吹聴されても困る。

「シルヴァン様、わたしと踊ってくださいませんか」

 周囲にどよめきが走る。
 先を越されたと悔しがる声や、身の程知らずと罵る声さえもある。醜いな、とシルヴァンは唇を歪めた。

「もちろん。喜んで、麗しいお嬢さん」

 シルヴァンの差し出した手に、ほっそりとした指先が重ねられる。
 細い腰を引き寄せると白い首筋から、淡く甘い香りがした。

 踊りは得意でも苦手ではない。他の幼なじみと違って、シルヴァンは人並みに貴族の嗜みを身につけてきた。
 一番手に名乗りを挙げるのだからよほど踊りに自信があるのだろうと思ったが、どうやらその読みは外れたらしい。足運びに問題はないが、緊張のせいか全身に力が入りすぎている。その上、少し顔を近づけるだけで視線を伏せてしまう。

「目を逸らさないで、俺を見て」
「あ……」

 シルヴァンの囁きに調子を外したのか、重心がぶれる。傾きかけた身体を抱き寄せて、シルヴァンは彼女の失態が晒されることを防いだ。

「悪い、余計なことを言っちまったね」
「い、いいえ。そんなふうにお声をかけてくださるとは、夢にも思わなかったものですから」

 ふ、とその顔が滲むようにそっと綻ぶ。
 シルヴァンはそのとき初めて、彼女の顔を見たような気がした。曲が終わると同時に手が離れ、彼女が丁寧に一礼をした。
 他の令嬢たちに押し退けられ、彼女の姿があっという間に見えなくなる。名を呼び、手を差し伸べられたらよかった。けれども、先ほど挨拶に来てくれたのだろうが、シルヴァンの脳裏に名前が浮かぶことはなかった。

 差し出された手のうちの一つを取って「踊りましょうか、お嬢さん」と、シルヴァンは器用に片目をつぶって見せる。
 選ばれた令嬢が嬉しげに頬を赤く染めるが、どの手を取ったって変わりやしない。当然ながら、シルヴァンは見つめた相手の顔に見覚えもなければ、名前が浮かぶこともなかった。ただただ、頃合いが来るまで、義務感で踊り続けた。


「もう少し、楽しそうな顔をしたらどう? あなたの生誕を祝う場なのよ」

 気の置けない幼なじみの元に足を運べば、イングリットが眉をひそめて開口一番に告げた。つまらなそうに壁に寄りかかるフェリクスに至っては「飯が不味くなる。向こうへ行け」と、追い払う仕草をする始末だ。

「まあまあ、そんなつれないこと言うなって」

 着飾ったイングリットの肩を抱けば、手の甲をきつく抓られる。シルヴァンは慌てて距離を取った。

「それにしてもイングリット、今日は随分と見違えたな。どこのご令嬢かと思ったぜ」
「……シルヴァン」

 イングリットの冷ややかな視線を受けて、シルヴァンは肩を竦めた。
 話しかける機会を窺う令嬢たちの視線を感じる。さすがに、幼なじみの間に割って入る無粋な真似をするような貴族令嬢はいないらしい。もしくは、あからさまに不機嫌そうなフェリクスを恐れて近づいてこないのかもしれない。

 この場を離れれば、また笑みを貼りつけて、興味のない相手に愛想を振りまかなければならない。さすがにうんざりする。

「本当に、まるで蟻みたいだな」

 ぽつりと呟く。
 せめて士官学校に通う間くらいは、家のことなど考えたくなかった。
 早く解放されたい、と小さくため息を吐いたシルヴァンの瞳は、先ほどのイングリットの視線よりもよほど冷え冷えとしていた。





 適当に令嬢たちをあしらって、シルヴァンは広間をそっと抜け出した。
 暖かくなってきたとはいえ、ファーガスの最北端に位置するここは、夜になるとまだ風が冷たく感じることがある。

 誰もいないと思った庭には、先客がいた。
 月明かりではその姿をはっきりと捉えることはできない。酔い覚ましに風に当たりにきたのか、はたまた人目のつかぬ場所で逢引という可能性もある。
 シルヴァンはわざとらしく足音を立てて近づいた。はっ、と息を呑む気配があった。

「お庭に立ち入ってしまい、申し訳ありません。戻ります」

 向こうにもシルヴァンの姿は確認できていないようだった。ゴーティエの者だと判断し、そそくさとその場を立ち去ろうとする。
 シルヴァンの近くで立ち止まり、丁寧に腰を折る。その姿に既視感を覚えた。

 ふわ、とかすかな甘い香りが鼻先を掠める。一番初めに踊った相手だと気づいたが、シルヴァンは声をかけなかった。
 ──蟻に興味はない。










 廃嫡された長男マイクランによる醜態を晒してなお、シルヴァンに群がる蟻が途絶えることはなかった。
 女性は好きだ。華やかで気分が上向きになるし、その柔らかさには癒しをもらえる。ただ、シルヴァンが求めるのは、一時の楽しさに過ぎない。

 婚約者が決まった。
 シルヴァンがそれを聞いたのは、マイクラン率いる賊の残党討伐のために、ゴーティエに赴いた際だ。
 何の感慨も湧かなかった。渡された姿絵を見る気にもならなかった。「士官学校を卒業したら周知するからそのつもりでいるように」という父の言葉はつまり、それまでにだらしない女性関係を精算しろという意味なのだろう。

 これまで、シルヴァンの自由すぎる振る舞いに対して、両親に直接的に何かを言われたことはなかった。いつも叱りつけてくるのも、起きてしまった問題の尻拭いをするのも、幼なじみのイングリットだった。思い返してみると、申し訳ないなという気持ちになってくる。

「わかっていますよ、父上」

 その声は、自分でも驚くほど平坦だった。


 これまで多大な迷惑をかけたのだと自覚して、イングリットに謝るつもりだった。しかし、食堂という大衆の前であれやこれやと思い出したくない過去を責められ、シルヴァンはぐうの音も出ずに退散した。
 人気がない場所で落ち着こう。
 そう思って温室に足を運んだが、そこには女生徒が一人佇んでいた。シルヴァンは反射的に笑みを浮かべる。

「やあ、。ここに咲くどの花よりも、君が一番綺麗だ」

 青獅子の学級の生徒ではあるものの、シルヴァンと言葉を交わしたことはほとんどない。
 が二、三度瞬きを繰り返してから、はっとしたように恭しく頭を下げた。

「すみません、お邪魔する前に退散いたします」
「ん? 邪魔って?」
「どなたかと待ち合わせなのかと……」

 が気まずげに瞼を伏せる。これも日頃の行いがすべてである。はは、とシルヴァンは乾いた笑いを漏らした。

「まさか。の姿が見えたから、蝶のように引き寄せられただけさ」
「え……」

 困惑した顔が、シルヴァンを見つめる。
 王家の遠縁にあたる血筋だったはずだが、本人は地味で目立たない控えめな女生徒だった。シルヴァンが普段声をかけている女性たちとは、まったく異なる。

「おかしなことをおっしゃるのですね」

 ふい、と顔を背けたが、シルヴァンの横を足早に通り抜ける。
 シルヴァンはの手を掴むと、じっとその瞳を覗き込んだ。

「本当のことを言っただけだぜ」
「ご冗談を。わたしなどに、あなたが興味を抱くわけがありません」
「それこそ冗談だろ? 俺は、君のことをもっと知りたいよ。そうだな、他の女の子なんてどうでもいいと思うくらいに」

 捉えた手を、おもむろに口元へと持っていく。ほっそりとした指先に口づければ、が訝しげに眉をひそめた。


 に嫌われているのかもしれないな、ということは、薄々感じていた。
 真面目な性格だからイングリットと馬が合うのだろう。よく二人でいるところを見かけて声をかけたこともあるのだが、いつも「失礼します」とすぐには席を外していた。その後ろ姿をシルヴァンが見つめていると、イングリットが刺々しい視線を向けてきた。

を泣かすような真似は、私が許さないわよ」

 イングリットの言葉が脳裏を過ぎって、また謝らなければならないことが増えるかもしれないと、シルヴァンは呑気に考える。
 街の子と遊ぶにもそろそろ限界を感じていた。どうせなら、後腐れない関係を築きたい。
 できるなら、絶対に自分を好きにならない相手と──

「ちょっと、俺と火遊びしてみないかい?」

 が鮮やかに目を見開く。
 返事も待たずに、シルヴァンはの唇を素早く奪った。温室で花に囲まれていたせいか、ほのかに甘い香りがした。

「っ、」

 小さな手がシルヴァンの胸板を押し返す。可愛い抵抗だ。
 柔らかい唇の感触を十分に味わってから、シルヴァンはを解放した。慌てたの身体が後ろに傾く。

「おっと、大丈夫かい?」

 シルヴァンは伸ばした手で肩を抱き寄せる。覗き込もうとした顔は、シルヴァンの視線を逃れて伏せられる。

「火遊びだなんて、」
「まあ、それは言葉のあやっていうか」
「…………」
「楽しくお茶して食事して、気持ちいいことをするだけさ」

 耳朶に唇を近づけて、低く囁く。
 が、非難がましい視線をシルヴァンに向けた。

なら、俺に本気になったりしないだろ?」

 何かを言おうとして開かれたの唇は、震えた吐息を吐き出しただけだった。きゅっと唇が結ばれる。
 シルヴァンはそっと、その下唇に指を這わせた。

「いい思い出、作ろうぜ」

 この学生生活だって、残りはそう長くないのだ。
 シルヴァンの手を振り払うようにかぶりを振ったの顎を掬い上げ、もう一度口づける。がどこか諦めたように瞼を下ろした。