、と名前を呼ぶその声に含まれる苛立ちに、わたしはなにも言えぬままにレオン様を振り返る。レオン様に仕えるようになって早数年、こんな風に感情をぶつけてくるお姿は、初めて見るかもしれなかった。
 カムイ様が暗夜王国を去った。
 それがレオン様方ご兄弟にとって、どれほどの衝撃であったのか、わたしなどには計り知れない。

 レオン様の、すこし抜けた可愛らしい面は影を潜めてしまった。そして、ときおりカムイ様へのどうしようもない感情をこぼすようになった。あれだけ慕っていた姉君を、貶したり恨んだり──かつて、カムイ様にお仕えした身としては聞くにも心苦しい。
 だけど、
 わたしなんかよりもずっと、レオン様は苦しいのだ。そう思って、ただただ、わたしはお傍に仕えてきた。

「カムイは、裏切り者だよ」

 ぞっとするほど冷たい声で、レオン様の手はわたしの背を押した。裏切り者には死を、とレオン様の綺麗な声が囁いた。
 カムイ様と戦えとわたしの主は言う。



 カムイ様の長い御髪が風に揺れている。
 美しいそのお姿は、城塞にいた頃とお変わりない。長い睫毛に縁どられた大きな目が、じっとわたしを見つめる。「さん、」カムイ様がわたしの名をそっと呟いた。
 ぐっ、とカムイ様が剣を握りしめ、構える。わたしは暗器を手に立ち尽くす。



 カムイ様とわたしの間に、するりと身を滑り込ませたのは──

「し、執事長!」
「おいてめぇ、カムイ様に剣を向けるとはいい度胸だな」
「ひえっ」

 執事長に凄まれると、反射的に身がすくむ。わたしをご指導してくださったジョーカー様は、それはもうほんとうに厳しかったのだ。

「もう一度、よーく指導してやる。ほら、来いよ」

 くるり、と執事長の手の中で暗器が回る。
 執事長には何度地面を舐めさせられたことか。わたしなんかが敵うわけがないのだ。尻込みして思わず後ずさるけれど、背後からはレオン様のプレッシャーがかかる。

、今のお前の主人は僕だ。勘違いするな」
「……」
「武器を持て。裏切り者のカムイを討つんだ」
「れ、レオン様」

 畳みかけられるほど、怖気づいてしまう。わたしは戸惑いながら、レオン様を見やった。

「よそ見している暇があるのか?」

 その台詞とともにトン、と足元に落ちた暗器に、わたしは震えあがる。執事長はこの上なく本気だ。ごくりと生唾を飲み込んで、わたしは執事長をじっと見つめる。執事長の腕が動いて、暗器が放たれる。ひゅっ。軽い音がわたしのすぐ傍を通っていった。

「執事長……」
「安心しろ、すぐに終わらせてやる」

 ──カムイ様が、心配そうな顔で、わたしたちのやりとりを見ている。
 お優しいカムイ様。暗夜王国を裏切ることが、ほんとうにあなたにできたというのでしょうか。いまあなたは、どんなお気持ちでこの場に立ち、レオン様と対峙しているのですか。

 わたしは暗器を懐にしまい、レオン様に向かって跪いた。

「ごめんなさい、レオン様。わたしはカムイ様とは、戦えません」

 レオン様が、一等傷ついた表情をした、ように見えた。

おしまいのひ

(その顔が裏切り者と言うようで、)