「……卑劣な愚か者め。いつまで悪あがきをする心算だ。貴様のような者は──我が暗夜王国の恥さらしだ」

 冷え冷えとした声は、よく通って広間に響いた。
 はっと息を呑んだは緊張に身を強張らせたが、反して傍らのマクベスはその顔に喜色を浮かべた。”卑劣な愚か者”がまさか己を指しているとは思いも寄らないのだろう。我が叔父ながら、その浅はかさに呆れてしまう。

 天使のような美しいかんばせは声と同じく冷ややかで、すり寄るマクベスを見下ろす瞳には侮蔑の色が滲んでいた。はそれに気づいて、目を伏せた。
 もまた、卑劣な愚か者である。

「レオン様! 助けに来てくださったのですね!?」
「…………」
「ささ、この者たちを倒してください! 私もも、援護しますゆえ……」

 「お前」と、地を這うようなレオンの声が、マクベスの言葉を遮った。

「聞こえなかったのか? 僕は助けに来たわけじゃない」
「え?」
「お前のような卑劣な者を見ると……虫唾が走る」
「レ、レオン様……?」

 マクベスが顔色を変え、狼狽える。
 神器であるブリュンヒルデを手にするレオンを見て、マクベスがじりりと後ずさった。

「恥さらしめ。覚悟はいいね?」
「ひぃぃ、そんな……! お、お許しを、どうか」

 情けなくも、マクベスがの背に身を隠す。
 は震える手をぎゅっと胸の前で握ると、きつく目を閉じた。覚悟なら、ずいぶん前からできていた。

「見苦しいにもほどがある。塵になるがいい!」

 轟音。耳をつんざく悲鳴。不思議と痛みはなかった。
 訪れた静寂のなか、コツリコツリと近づく足音がすぐ傍で止まった。は恐る恐る目を開けた先、顔をあげずとも視界に映ったレオンの姿に、仰天した。



 片膝をついたレオンが手を差し出す。はわけもわからず、反射的に手を重ねていた。それが、貴族令嬢として当たり前のマナーだった。

「遅くなってごめん。これで、マクベスの支配から逃れられる」
「え? れ、レオン殿下?」

 マクベス同様に冷たい視線を向けられるならいざ知らず、レオンの眼差しはやさしく、は当惑する。なぜ、自身が塵と化していないのか、不思議でならない。

「長い間、辛い思いをさせたね」

 冷え切った指先に、熱が触れる。
 ひどく恭しい仕草で唇を落としたレオンが、まなじりを下げて微笑んだ。淡い金の髪も相まって、まるで、ほんとうに天使に見えた。確かめるように瞬いたの瞳から、ぽろりと涙が落ちる。

「わ、わた、わたしは」

 涙を止めるすべを持たずに、はぎゅっと目を瞑る。

「叔父上の命だとしても、許されないことを──
「すべて調べはついている。マクベスに母君の病気のことで脅され、逆らえなかったんだろう?」
「で、ですが、わたしはカムイ殿下に」
さん! よかった、無事で……レオンさん、さんを助けてくれてありがとうございます」

 カムイに勢いよく飛びつかれ、はよろめく。

「……別に、あなたのためじゃない」

 ふん、と軽く鼻を鳴らしたレオンが冷たく告げて、カムイから奪うようにしてを抱き寄せた。
 わけがわからずに、は呆然と立ち尽くす。

 レオンにやさしくされる理由も、カムイに好かれる理由も、何ひとつとしてないのだ。
 はマクベスに言われるがまま、いつもカムイに嫌がらせをしていた。ついには、こうして命さえも奪おうとしたのだから、たとえ脅されていたとしても許されるわけがない。

 ふと、カムイの傍に控える執事と目が合った。どんな罵詈雑言か飛んでくるかと思えば、丁寧に礼をされる。

「いつもカムイ様をお守りくださり、ありがとうございます」
「…………え?」

 には、守った覚えなどなかった。
 混乱しながらカムイを見やれば涙ぐんでいるし、レオンに至ってはすべてわかっているとばかりに微笑みと頷きが返ってくる。

 あれよあれよと離れの客室へと連れられて、ようやく我に返ったは、慌ててレオンの臣下を呼び止めた。

「あの、わたし、なぜ」
「すべての闇が打ち払われしとき、救いの手は再び伸ばされる…………あ、つまり、レオン様がまた来ると思います」

 ぱたんと閉じられたドアを見つめて「どういうこと?」と、は途方に暮れて呟いた。



 北の城塞から出ることなく育ったカムイの元へ、はよく足を運んでいた。カムイの動向を把握して、マクベスに伝えるためであった。

 マクベスの姪であるを、ジョーカーたちは警戒していたに違いない。はいつもカムイに小姑のごとく小言を放ち、決して友好的な態度とは言えなかった。
 それは、カムイが白夜王国に与してからも変わらなかったのだ。

 は、マクベスに情報を流していた。万が一、タクミが蝙蝠としての役目を果たせなかったときのための保険である。

「それなのに、どうして、わたしを生かすのですか」

 これまでの自分の行いを思えば、にはレオンの顔を見る勇気が出なかった。

「言ったはずだよ。は、マクベスに脅されて、逆らうことができなかっただけだ。母君は、無事だから安心していい」
「な、納得できません。レオン殿下はそのようなご慈悲を下さる方では」
「酷いな」

 レオンが少しばかり拗ねたように呟く。
 カムイに見せるのは姉思いでやさしい面だったが、レオンが敵に対して情け容赦ない冷血であることは、だって知っている。

「……ほんとうに、わからない?」

 俯くの顎先をやさしく持ち上げて、レオンが顔を覗き込む。見つめる瞳に冷たさなど微塵も感じられない。それどころか、焦れるような熱を感じる気がして、は慌てて瞼を伏せた。確かめることができそうにない。

「わたしは、カムイ殿下にはひどいことばかりをしました」
「ふぅん? どんな?」
「ど、どんなって、それは」

 レオンはすでに把握しているはずである。
 は、ぎゅうと冷たい手を握りしめて、これまでのことを思い起こした。

「カムイ殿下の味方のふりをして、叔父上に情報を漏らしていました」
「ああ、らしいね」

 それがどうした、と言わんばかりの相槌である。はさらに言葉を重ねる。

「カムイ殿下を孤立させようと、白夜の方々を近づけさせまいとしました」
「へえ、どうやって?」

 どうせできなかったんだろう、と言われているような気がする。カムイはどうしたって、ひとに好かれる性質だ。それでもは奮闘したつもりだった。

「カムイ殿下は皆さんと分け隔てなく接されていましたが、わたしはそれをことごとく邪魔したのです。未婚の男女が二人きりになるのははしたないと糾弾し、身分の近い方とご友人になるべきと口酸っぱく言わせていただきました」
「……そう、それで?」
「いつも傍に張りついて、王族らしからぬ立ち居振る舞いを細かく注意して、カムイ殿下はとても迷惑だったと思います」
「そうかな? たしかに、カムイは王女らしくないからね」

 レオンが肩を竦める。動きに合わせて揺れた法衣は、裏返しではなかった。
 
「逆に、いろいろ言ってくれて、カムイは助かったんじゃない? ジョーカーなんて、甘やかすばかりだからさ」
「まさか、そんな」
「というか、聞いている限り、初めのこと以外はなにも間違ったことじゃないと思うけど」
「……え?」
「育った環境が環境だから仕方ないけど、カムイは常識に欠けているんだよ」

 やれやれ、というようにレオンがかぶりを振った。「マークス兄さんたちも、カムイには甘かったからね」と、小さく呟く声には力がない。
 はそっと、視線を上げた。
 悲しげに伏せられた瞳を、長い睫毛が隠してしまっている。

「レオン殿下……」

 思わず、唇が動いた。
 おもむろに、睫毛が持ち上げられる。レオンの瞳に、視線が吸い込まれるような不思議な感覚がして、目を伏せることができなかった。

「納得できた? もし、まだ何か言い募るなら、口を塞いでやらないとね」

 悪戯っ子のように目を細めたレオンが、眼前に迫る。鼻先が触れ合う距離で「こんなふうにね」と、小さな囁きが落ちた。
 それとほとんど同時に、唇が重なる。
 あまりの驚きに、レオンの顔が離れていってもなお、は口を開くことができなかった。瞬きすらもままならない。冷たかった指先が、いまは熱いくらいだ。

 「あのさ」と、レオンの声にはわずかに険があったが、それは明らかな照れ隠しだった。

「……好きな相手にまで、冷血になれるわけないだろ」

天使

(の、頬が赤く色づいている)