以前見た姿よりも少し痩せた様子の彼女は、ジョルジュを見てもにこりともしなかった。かといって、目に涙を溜めたわけでもない。ふう、とが貴族の令嬢らしくお上品な仕草で、憂い気な溜息をその唇に乗せた。

「五体満足であなたのお姿を拝めるとは、思いもしませんでした」
「それはつまり、死んだものと思っていたということか?」
「どうお考えになってくださっても構いません」

 やわらかい髪を手の甲で背に払って、がふいと顔を背ける。
 こうも取り付く島もない態度を取られては、さすがのジョルジュも閉口してしまう。を相手に、口先だけの言葉で機嫌を取るつもりにもなれない。
 ジョルジュは肩をすくめて、から視線を外した。

 祖国に弓を引いた身として、そこに残してきたを案じなかったわけではない。もっと言うべき言葉があるとわかっていても、ジョルジュは素直な人間ではなかった。

「私のことなど、忘れておいでだったのでしょう」

 の顔はジョルジュからは見えなかった。
 当てつけのようには聞こえなかった。声が震えるわけでも、細い肩を震わせるわけでもない。
 すっと伸びた背筋は見ているこちらが清々しい気持ちになるほど、凛とした佇まいである。貴族然として優美な姿を横目に、ジョルジュはなおも口を噤む。

 闇のオーブに支配されたハーディンを打倒したが、いまだニーナを含めたシスターたちの行方は知れないままだ。祖国へ帰って来たかと思えば、ジョルジュはまたマルスたちとともにすぐに発たねばならない。大陸一の、などという大層な二つ名はお飾りに過ぎないのだから、この先いつ命を落としてもおかしくはない。
 だからこそ、言葉は選ばなければならない。必ず戻る、などと気安く言えるわけがなかった。

 が振り向いて、何も言わぬジョルジュを見つめた。そして、細い指先を唇に添えて「まあ」と、驚いた風に瞳を瞬く。

「相変わらず、卑怯なお方」
「……なんだと?」

 ジョルジュは柳眉を顰める。の指先が、今度はジョルジュの唇に触れた。ひんやりと冷たかった。

「いつもは雄弁ですのに、私には何ひとつおっしゃらないおつもり?」

 ──この口が、いったい何を言えるというのだ。
 じっとジョルジュを見つめる瞳が、揺らぐ。それを隠すように、が顔を俯かせた。

「私は、ミディアのようには、」

 紡がれる言葉には、たしかに温度があった。悔しさややるせなさの滲む声色だった。
 コンコン、とふいに響いたノックがの言葉を遮った。「ジョルジュ殿、いらっしゃいますか?」マルスの近衛騎士であるクリスの声を無視するわけにはいかなった。
 が顔を伏せたまま、ジョルジュに背を向けた。

「……ああ、いま開ける」

 ドアを開けて初めて、ジョルジュ以外に人がいたことに気づいた様子で、クリスが申し訳なさそうに眉毛を下げる。

「すみません、お話の途中に……」
「構わん」

 なおも不安げなクリスに、がにこりと微笑んだ。それは、再開してから初めて見る笑みだった。

「騎士様、どうかお気になさらないでください」

 クリスに向けられているのに、ジョルジュに対して見えない壁がつくられているような気がした。参ったな、とジョルジュは内心で呟いた。








「待って、ジョルジュ」

 軍議が終わったと同時に席を立ったジョルジュを引き留めたのはミディアだった。

のことだけど……」

 ジョルジュとミディアは長い付き合いである。彼女の性格や人柄はよく知っている。だからこそ、躊躇いがちに口を開くのが不思議だった。

「……大事にしてあげて」

 言葉を選んだ様子で、結局はそれだけを告げるに終わる。
 ジョルジュは肩透かしを食らったような気分になる。

「わざわざ呼び止めて、言いたいのはそれだけか?」
「……そ、そんな言い方しなくても」
「ふっ……悪いな。言われなくてもわかっている、と言えばいいか?」
「ジョルジュ!」

 咎めるように名を呼ばれ、ジョルジュは軽く肩をすくめた。
 ジョルジュは馬鹿ではない。むしろ、勘は鋭いほうだ。ミディアの言わんとしていることが、何となく察しがついてしまった。恐らく、はハーディンに──そこまで考えて、胸糞が悪くなる。言葉にすることすらおぞましい。

 心配そうに顔を曇らせるミディアの肩を叩き、ジョルジュは「わかってるさ」と、無理やり口角を上げた。




 ドアノブに手をかけて、室内から声が聞こえてくることに気づいた。ジョルジュは多少悪いと思いつつ、それ以上の興味を持って聞き耳を立てた。の声とクリスの声が、くぐもって聞こえてくる。

「メニディ家の方々が、貴族とはいえ自分たちよりも劣る一族の私を、認めてくださるわけがないのです」

 ぴく、とノブにかけた指先に力が籠る。

「でも、殿は、ジョルジュ殿の恋人で……」
「恋人なんて名ばかりの、気の乗らないお誘いを断るための、体のいい都合のいい女ですよ」
「そ、そんな……ジョルジュ殿は、そんな風には思っていないと思います」

 恋人らしいことをしてこなかったつけが、ここにきて回ってきたのだ。ジョルジュは細く、ため息をはき出した。

「私などよりもよほど、クリス様のほうがジョルジュの隣に相応しいお方ですよ」

 ジョルジュは扉を開け放った。
 驚いた瞳がジョルジュを見て、ひとつは気まずげにさっと逸らされる。「ジョルジュ殿」と、戸惑うクリスを部屋から追い出し、ジョルジュは素早くドアを閉めた。

「聞き捨てならないな」
「……」
「誰に何と言われようと、オレのことはオレ自身が決める」

 目を逸らしたままのの手首を捉え、壁に押し付ける。伏せた顔があげられることはない。ジョルジュは苛立って、片手での手をまとめ上げると、頬を掴んで無理やり目を合わせた。

「恋人とは名ばかり? 笑わせるなよ」

 薄く開かれたの唇が震えて「卑怯者」と、吐き捨てる。

「好き勝手なさってきたのは、あなたのくせに。また、私を置いて行ってしまうくせに」

 恨み言をなおも言い募ろうとしたその唇を、ジョルジュは口づけで封じてしまう。
 己が卑怯であることなど百も承知である。

 は、と吐息が重なる。ジョルジュを見つめるの瞳が潤んで、涙粒が目尻からあふれて頬を伝い落ちた。の涙を見たことなどこれまであっただろうか。
 いつだって貴族然としていた。どれほどの浮名を流そうと、小言のひとつも言わなかった。
 たしかに、都合よく利用していたことに、間違いはない。今さら、ほんとうに今さらだが、ジョルジュの胸が痛んだ。

「オレはお前を手放すつもりはない」
「……ずるいわ」
「ああ、そうだな。オレはこれからも好き勝手にするさ」

 が目を閉じる。睫毛が涙で濡れていた。「仕方のない人ですね」と、吐息交じりに呟く唇に、ジョルジュはもう一度口づける。

「……ああ、覚悟してくれ」

 できることなら、二度と手の届かぬところへ置きたくはない。しかし、ジョルジュがこれから向かう先は、熾烈を極める戦場である。
 恥ずかしそうに睫毛を伏せた瞳が、そうっと窺うようにジョルジュを見た。

「あなたのお帰りをお待ちしています」

 その言葉だけで、必ずここに戻ってこられるような気がした。

放蕩貴族の

(謝ることができるほど、素直でも出来た人間でもなくて)