「ご無沙汰しています、エンデヴァーさん」
ぺこりと頭を下げる。
何度かヒーローとして顔を合わせ、治療させてもらった程度には、知り合いと言っていいだろう。期待の息子の勇姿を見にきたのか、エンデヴァーは父親というよりも一ヒーローという立場でここにいるように思えた。
炎を纏う状態が何よりもその証拠である。一瞥をくれたエンデヴァーが「焦凍が世話になっている」と、呟くように告げた。
「い、いえ、わたしは世話というほど関わりはありませんから……試合、次ですね」
「……あいつは勝つ」
オールマイトのせいで長年NO.2に甘んじるエンデヴァーが、強さに固執していることは知っている。自分を超える存在として、轟焦凍を育成してきたのだろうことは、想像に容易い。
「焦凍くんに怪我がないといいですね」
思わず、目を覆いたくなるような試合だった。
未だに個性を持て余すような緑谷の戦い方は、あまりに犠牲が大きすぎる。けれど、そのおかげで拮抗した戦いが繰り広げられており、轟も確かに消耗している様子である。
「緑谷くん……」
緑谷を見ていると、自分を重ね合わせてしまう。個性を制御できない。個性にふりまわされる。けれども、と違うのは、緑谷は自分の個性にしっかりと向き合っている──は、目を背けてばかりだ。
リカバリーガールが顔をしかめて「またあの子は」と、呆れたふうに呟く。怪我がないといい、とエンデヴァーに言った言葉が、脳裏によぎった。
「ばっちゃん……いくらなんでも、こんな……」
「止めることはできないよ。私らにできるのは、治癒だけさ」
リカバリーガールの言葉に小さく頷く。こんなにも真剣にぶつかり合い、しのぎを削る生徒たちから、目を逸らすことは許されない。涙がにじみそうになって、はぐっと眦に力を込めた。
彼が入学してから、半冷半燃の燃を使ったとは聞いたことがなかった。半分はエンデヴァーと同じ髪と同じ瞳の色をしているが、もう半分は母親と同じなのだろう。爆豪の爆破をまともに受けて場外まで吹き飛ばされた轟だが、その身体の怪我は思ったよりもひどくない。
試合を見ていたエンデヴァーは、この結果に落胆しただろうか。
轟の瞳がゆっくりと開かれる。それに気づいて、は顔を覗き込んだ。
「気がついた? 痛みや吐き気はない?」
「……ない、です」
答えた轟が、再び目を閉じて深く息を吐いた。
緑谷との試合で炎を使って勝利した轟だったが、決勝戦ではその個性を使うことなく、爆豪に敗北を期した。彼は確かに左手の個性を使おうとしていたが、躊躇いがあり、無意識か意識的かはわからないが自分で制御してしまったようだ。
「お疲れさま。もうすぐ表彰式だけど、出られそう?」
「大丈夫……です」
轟がおもむろに身体を起こす。気を失っていた時間はそう長くはないし、顔色の悪さもない。決して無理をしている様子ではないので、は安堵した。
「あんた、あいつの知り合いか? 見覚えがある……昔、家に来てただろ」
「よく覚えてるね。だいぶ昔のことだけど、たまにエンデヴァーさんの治療をさせてもらってたよ」
今よりも幼い轟の姿を思い出して、は小さく笑った。その頃からすでに目元の火傷の跡はあったように思う。
やっぱりな、と呟いて轟が不機嫌そうに口をつぐんだ。
「自分の個性が嫌い?」
逸らされていた轟の視線が、ゆっくりとを捉えた。
「わたしも」
轟がかすかに目を瞠る。
それからすぐに、轟の視線は自身の左手へと落とされた。右手は氷を、左手は炎を生み出す個性は、言うまでもなく強力でヒーロー向きである。ぎゅっ、と轟が左手で拳を作る。
「絶対に使わねぇって思ってたのに、使っちまった」
まるで使ったことを後悔し、責めているような口調だった。
「でもね、それもあなたの個性なんだよ。わたしは、今だってそうやって自分に言い聞かせてる。ふふ、情けないからこれ秘密ね」
人差し指を唇の前で立てて笑い、はきつく握られた左手をほぐすようにして開かせる。轟が顔を上げて、を見た。
「大丈夫。時間はいっぱいあるんだから、たくさん悩んで、たくさん考えなさい」
「……」
「さあ、そろそろ時間ね。轟くん、二位おめでとう」
轟がベッドから足を下ろす。立ち上がる前に、動きを止めてじっとを見つめた。ふいに、伸ばされた手がの長い前髪を払った。ぎくりと身体が強張り、慌てて仰け反る。
「……全然、目が合ってる気がしねえ」
「あ、あはは、わたし眼鏡がないと何も見えないの」
は指先で眼鏡を押さえる。きっと、轟にはの表情さえも良く見えていないのだろう。怪訝そうに眉をひそめた轟に対し誤魔化すように笑ったが、不自然だったかもしれない。
ふーん、と素っ気ない呟きを落としたくせに、なおもその眼はを見つめてくる。
生徒とわかっていても、その端正な顔立ちには思わず目を奪われる。母親似なのか、あまりエンデヴァーには似ていないように思えた。この王子のような見目も、成長とともに筋骨隆々になるのだろうか。想像がつかない。
「なあ、あんたの個性は治癒だろ?」
轟が立ち上がり、は見下ろしていた視線を上げる。視線を合わせようと距離を詰められ、逃れるように後ずさる。
「きゃっ」
しかし、すぐ後ろには轟の寝ていたベッドと横並びのベッドが位置していて、思ったようには後退できずに躓いてしまう。倒れそうになったの身体を、轟の手が素早く背に回って支えてくれた。しかし、咄嗟にしがみついてしまったのが悪かったのか、二人ともバランスを崩してベッドに倒れこんでしまった。
背中の衝撃は、轟のおかげでそれほど強いものではなかった。は眼鏡のズレがないか反射的に確認して、いつもの位置にあることにホッと息を吐く。
「あっ、ごめんね! 大丈夫?」
は慌てて身体を起こそうとするが、轟が覆いかぶさるように倒れこんでいるため、身動ぐことしかできなかった。「焦凍くん?」思わず、かつてのように呼びかけると、ようやく轟がはっとして身を起こした。
「……悪い」
「ううん。わたしのほうこそ、慌てちゃって……」
立ち上がろうとしたは、ふいに手を引かれて勢いあまってつんのめる。「わ、危な……」顔を上げると、すぐそこに轟の整った顔があった。轟の手が、先ほどと同じように前髪を退けた。
左右の異なる色の瞳が、じいっとの眼鏡の奥を覗き込む。
「と、どろ……」
「あんたはなんで個性が嫌いなんだ?」
「えっと」
は視線から逃れるように俯く。教師ではないが、看護教諭として正直に答えるか否か、迷う。轟がを見つめていたのはごく短い間だったかもしれないが、はひどく長く逡巡していたような気がした。
ふっと視線が逸らされると同時に、身体の緊張が解けた。
「戻る」
「あ、うん……」
質問の答えなど少しも期待していなかったかのように、潔さすら感じさせて轟が踵を返した。「あのね」と、その背に向かっては声をかけた。轟が足を止めることはなかったが、構わずには続ける。
「わたしの個性は、相手に迷惑をかけてしまうから。治癒だけなら良かった、って何度も思った。だけど……わたしはこうして、個性を使う道を選んだ」
不思議だよね、と最後に漏らした呟きは、小さくて轟まで届かなかったかもしれない。
轟が振り向く。
「嫌いでも憎くても、小さい頃から一緒にある自分の個性なんだもの。それはわたしがわたしである証だと思ってる」
「……証」
「そう。あなたの個性は、わたしにはご両親からのプレゼントのように思えるよ」
は、と喘ぐように轟が嘲笑した。
「迷惑なもん押し付けてくれたな」
けれども、思いのほか、轟の瞳はやさしく柔らかく細められたのだった。
エンデヴァーは、ヒーローとしてとても偉大である。支持率は高くないとされているが、それでもNo.2であり続ける彼は、オールマイトへの情景や対抗心で並々ならぬ努力で実績を築いてきたと言える。
威厳があり威圧的でもあるエンデヴァーには近づきがたいというのはよくわかるが、は彼を信頼しているし、尊敬もしている。そして、厳しく苛烈に接していたとしても、轟や家族への愛情がないわけではないということも、は知っている。多くの傷を負ってきたエンデヴァーは、いつも皆を守るべきヒーローであり続けようとしていた──その姿をは見てきたのだ。
「あなたの二位は、自分の矜持を守って得た素晴らしい結果だと思う。ほんとうにおめでとう、轟くん」
申し訳程度に小さく頭を下げた轟の顔には、はにかむような笑みが浮かんでいた。
「大きな怪我がなくて良かったです」
の言葉にはうんともすんとも言わず、エンデヴァーの纏う炎がぼうっと一瞬だけ強く燃え上がった。眉間には深く皺が刻まれている。常にオールマイトを超えることを目標としてきたエンデヴァーにとって、息子の敗北はさぞ納得のいかないことだろう。
「つまらん意地を張るからだ」
「でも、立派な姿だったと思います。きっと、彼は乗り越えられます」
ふん、とエンデヴァーが鼻を鳴らす。
「今はただの反抗期だ。いずれは、くだらない意地だと理解する」
エンデヴァーと轟の間にある確執が、思春期特有の反抗期で片付けていいものなのかは、には推し量れない。轟の左目とよく似た、淡いブルーの瞳を見上げる。
長身からじろりと見下ろされるが、恐ろしさはなかった。
「ご心配なさっていたのなら、焦凍くんに声をかけたらよかったのに。言葉にしないと伝わらないこともありますよ」
エンデヴァーはむっつりと口をつぐんだまま答えない。わざわざ、リカバリーガールの出張保健室を訪ねてきたのだから顔を合わせたらいいというのに、意地を張っているのはどちらだというのだろう。
いまの今まで黙っていたリカバリーガールが傍まで来て、エンデヴァーの脛を小突いた。
「の言う通りだよ。まったく、家族だからって甘えてるんじゃないよ」
リカバリーガールの小言にも、エンデヴァーは唇を結んだままだった。去り際に「焦凍を頼む」とだけ短く告げたエンデヴァーに対し、リカバリーガールが呆れたように肩をすくめた。
結果を見れば、表彰台はA組で埋まっていた。B組の生徒ももちろん優秀だが、今回ばかりは敵連合襲撃による実戦経験が物を言ったのかもしれない。
首からメダルを下げた轟の表情は、とくに喜んでいるようには見えなかった。
ジャージから制服に着替えた轟の首には、もうメダルはない。
「さようなら、轟くん」
ぴた、と轟が足を止めた。不思議に首をかしげるが、轟の視線はを見ることはない。「……焦凍でいい」と、小さく告げられた言葉をの脳が咀嚼する頃には、すでに轟の歩みは再び動いていた。心なしか、足早になっている気がする。は慌ててその背へ声を投げた。
「気をつけて帰ってね、焦凍くん!」
轟が足を止めることはなかったし、振り返ることもなかった。けれど、小さく手を振り返してくれた。は頬を緩めて、その背が見えなくなるまで見送った。