(捏造過多かつ不道徳です)













 仕様がないのよ、とため息を吐くように言ったその顔には諦めと憐れみが浮かんでいた。そうして、粗相のないようにと言い含められ、兵士が寝食する天幕へと背を押される。には、なぜ彼女がそのような顔をするのかも、粗相が具体的に何を指すのかも、そもそも何のためにこのような夜更けに兵士を訪ねなければならないのかもわからなかった。
 手元の小さな蝋燭の火は、いまにも消えてしまいそうなほど頼りなく、の心を不安にさせる。

「お呼びでしょうか?」

 問いかける声は、ひどく硬く緊張していた。兵士たちと顔を合わせるのは、もっぱら治療の場でしかなかったのだ。入り口の垂れ幕が開いて、中から一人の兵士が顔を出した。を見て顔を綻ばせる男には、生憎見覚えがなかったが、治療の折に見ているかもしれなかった。
 立ち尽くすの腕を掴んだ手は、その笑みからは予想し得ない、引きずり込むような力を持っていた。天幕の中は薄暗いが、腕を掴む兵士のほかに二人、にやにやと笑う兵士の姿を見つけることができた。

「あ……あの、」

 その中の一人は、言葉を交わした覚えがあったものの、名までは知らない。は掴まれたままの腕を気にしながら、男を見上げた。燭台を取り上げられ、行き場をなくしたの手に指を絡めてくる。

「待ちくたびれたよ」
「も、申し訳──……っっ」

 は慌てて頭を下げるが、謝罪の言葉が途切れて引きつれた悲鳴が喉の奥で漏れた。男の手が、乱暴にの服の合わせ目を開けたのだ。釦が弾け飛ぶ。
 反射的に逃げようと動いた身体を羽交い絞めにされ、息が詰まる。
 は首をひねって、男を見上げた。相変わらず、その顔には笑みが浮かんでいたが、を見つめる瞳はぎらついている。

 いつの間にか、二人の兵士も立ち上がっていて、を取り囲むように迫る。
 仕様がないのよ、とその声が脳裏に蘇る。

「こんなに器量のいい娘さんを、あんな安値で売ってくれるなんて、良い親御さんだなぁ」

 ふふふ、と耳元で男が笑う。はようやく自分の立場を理解した。いまの今まで、看護婦の真似ごとをさせられていただけなのだ──本来の役目は、傷ついた兵士の治療などではない。
 そうとわかった瞬間に、の身体はガタガタと震え始めた。

「震えてるの? 可愛いねぇ、いやあ初物をもらえるなんて、俺たちはついてるよ」
「や、やめて、ください」

 の震える小さな声を聞いて、男たちが笑いあう。露わになった肌に男の手が伸びて、はぎゅっと目を瞑った。

「いやっ……ん、ぐっ……!」
「ちょっと黙っててくれるかな? 大丈夫大丈夫、痛いのは最初だけだから」

 大きな手のひらがの口元を覆い、声を奪う。じわ、と滲んだ涙が目尻からこぼれ落ちていく。


「怪我人なんだ、ゆっくり寝かせてくれよ」

 声と同時に、鈍い打撃音がした。を羽交い絞めする力が緩んで、支えを失った身体はふっと崩れ落ちた。再び拳がぶつかる音がして、背後にいた男の身体が吹き飛んだ。

「杉元、起きて……あぐッ!」

 残っていたもう一人の男にも拳が沈んだらしく、悲鳴を上げて卒倒する。
 はのろのろと顔を上げた。それに気づいた声の主が、膝をついての顔を覗き込む。薄暗いが、近づいた距離のおかげで相手の顔がよく見えた。顔に走る大きな傷跡には見覚えがあったし、彼が何と呼ばれているかもは知っていた。

 昼間、怪我の手当てをしたばかりだというのに、もう兵站病院から帰っているなんて──さすがは不死身の杉元である。
 の格好を見て眉をひそめた杉元が、外套を被せてくれる。

「……戻れるかい?」

 とてもやさしい声音だった。戦場では鬼神のようと言われるとは、信じがたいとすら思えるほどだった。けれど、は彼がいつも怪我をして戦地から戻ることを、よく知っているのだ。
 は小さく頷いて、よろよろと立ち上がる。助けてくれたのは杉元だと理解していても、男性に、とても手を借りるような気にはなれなかった。ぎゅっと外套を握りしめて、深く首を垂れる。礼を言おうにも唇は震えるばかりで、声が出そうになかった。

「いつも、怪我の手当てありがとう。怖い思いさせてごめんな」

 指先が触れ合わぬように気を遣いながら、杉元が燭台を渡してくれる。やさしさが身に染みるようで、は再び頭を下げながら、涙を落とした。







「なるほど、それで君はいまだ処女ということか」

 口元に蓄えた髭を指先で弄りながら、鶴見が呟く。処女、と直接的な言い方をされて、は羞恥心から瞼を伏せた。が難を逃れたことを知っているのは、あの場にいた三人の兵士と、杉元のみである。

 小馬鹿にした様子のようにも思えるが、鶴見がそう言った人間ではないことを、は短い付き合いの中でも知っていた。髭に触れていた指がに伸びて、俯きかけた顎をすくう。じ、と鶴見の瞳がの心のうちまで見透かすように、見つめる。
 は畏怖しそうになる自分に気づいて、きゅっと唇を噛み締めた。

「その後も手付かずだったのは、運がいい」

 鶴見の指先が、の唇をなぞる。
 ごくりと固唾を呑んで、は鶴見を見つめ返した。

「その貞操、私が守ろう。その代わり……」

 ふ、と鶴見が唇に笑みを乗せる。顔を寄せて、耳朶に鶴見の吐息が触れた。びく、とは小さく肩を揺らし、ぎゅっと目を閉じる。

「私に尽くせ」

 囁きを落として、鶴見が身を離す。は強張った身体を動かせずに、視線をそろりと鶴見に向ける。の怯えも困惑も、すべて理解していると言ったふうに、鶴見が目を細めて笑みを深める。
 鶴見は本来前線に立つ必要のない方だ。
 彼の庇護があるならば、の貞操は必ず守られる。二度とあんな目に遭うことはないだろう。

 指を組んだまま石のように固まってしまったの手を解すように、鶴見の指先が絡まり、こじ開けるような強引さで手を開かれる。の手のひらにしっとりと汗が滲んでいた。

「何故、わたしに声をかけてくださったのですか?」
「君に手当てをしてもらっただろう」

 鶴見の怪我は大きなものではなく、処置はすぐに終わった。交わした言葉も多くはなかったはずだ。

「君は頭がいい。それでいて、謙虚で従順だ。軍人ではない駒に最適だと思ってね」
「そ、そのようなことを言われたのは初めてです」

 はたじろぎ、鶴見に向けていた視線を落とす。
 良い親御さん、と揶揄された両親は、一度だってを褒めたことなどなかった。女であることを煩って、穀潰しと罵り、ついには軍に売りつけてまで厄介払いした──そんな自分が、鶴見の期待に応えられるとは到底思えなかった。

「鶴見様のお言葉は、とても嬉しいです。ですが、不惜身命に努めようとも、鶴見様にお返しできるものがわたしにあるのでしょうか」
「そういうところが気に入っているんだが、君にはわからんのだろうな」

 鶴見の言う通り、にはよくわからない。ぎゅっと鶴見の手のひらがの手を包み込む。

「そのままでいい。君は私の頼みを聞いてくれさえすれば、それでいい」
「……鶴見様」
「せいぜい、私が戦場で死なんように祈ってくれよ。草葉の陰からでは、君を守れんからな」

 くくく、と鶴見が喉の奥で低く笑う。明日にでも戦地に向かう鶴見にとっては冗談にもならない軽口に、はとてもじゃないが愛想笑いもできなかった。が神妙に口を噤んだことに気づいて、鶴見がふと笑うのをやめた。そして、少しだけ目じりを下げて表情をやわらげる。

「その純潔が穢れなきよう、私も尽くそう」

 は戸惑いながら、鶴見の手を握り返した。

コラール

(さながら君は慈愛に満ちた女神のよう)