(ヒロイン→リヴァイ前提)
そこにはあまりにも奇妙な光景が広がっていた。調査兵団に入ったばかりのエレンが、疑問符を浮かべて立ち尽くすのも無理はなかった。
「リヴァイ兵長、あの、よかったらこれどうぞっ」
「……」
「紅茶に合うかと思って、その、美味しそうなクッキーがあったので兵長に食べて頂きたくて」
「…………」
「あっ、もしかして甘いもの苦手でしたか? リサーチ不足でした……すみません」
一向に受け取る気配がないことに気付いて、は頬を染めたまま肩を落とした。
カラン、とエレンの持っていた箒が手を離れて、乾いた音を立てる。その音で我に返ったのは、ペトラだった。恐ろしい形相での肩を掴んだので、掴まれた本人でもないのにエレンが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
「、ちょっと待って、だれが兵長ですって?」
「え?」
は首をかしげる。ぐっ、と肩を掴むペトラの手に力が籠った。
「……? 兵長、」
は目の前の人物へと視線を戻す。
いつものように独特の持ち方でカップを手にして、そのまま固まっている──「どうみてもオルオでしょうが!」ペトラが鬼の形相のまま叫んだ。そのあまりの剣幕に、エレンが拾い上げた箒をまたもや手放して、カランと音を鳴らした。
「え? でも、こんなカップの持ち方、兵長しか……」
はそこまで言って、確かにいつもよりも視線の位置が高いことに気がついた。「ふっ…まあ、間違えるも無理はない」と、カップを持ち上げたままの男が口を開いて、そこで初めては自分の間違いを知った。
紅潮していた頬からさっと熱が引く。胸の高鳴りも嘘のように静まる。はスイッチを切り替えるように、冷めた目を向けた。
「なんだ、オルオか」
「おい、なんだとはなんだ」
「紛らわしい真似しないでよ」
「……おい」
「ちょっと、今度は声真似? いい加減に……」
ははたと気づく。
このリヴァイによく似た声は、目の前の男ではなく、背後から聞こえた。は飛び退くようにして振り返り、悲鳴を上げた。
「リヴァイ兵長っ、いつからそこにいらっしゃったんですか!?」
の金切り声に、リヴァイが顔をしかめて耳を塞ぐ。うるさいと言われるより早く、ははっとして口を押さえた。
が黙ると、辺りは水を打ったように静まり返った。ごくりと誰かが生唾を飲み込む音すら聞こえたような気がした。コツリ、とリヴァイが足音を立ててに近づく。にはその足音が死刑宣告のように聞こえた。
リヴァイの手が、の頬を掴んだ。骨が軋むほどの強さに涙がにじむ。
「てめぇも躾が必要か?」
リヴァイの背後で「ひいっ」と、エレンが引きつった悲鳴を上げた。
いつか、リヴァイ班と親しげに話していたが、なんの感慨もない様子で遺体の処理をしている。ペトラとオルオが同期だと教えてくれたはずなのに、その彼女はまるで知らない人を前にしたように、表情一つ変えないまま黙々と作業している。
エレンは頭を鈍器で殴られたような衝撃と、言葉にできないような憤りを覚えた。
ぎゅう、と手を握りしめる。できるのならば、このまま殴り飛ばしたかったが、エレンには身体を動かす気力がなかった。けれども、口は開いた。
「……アンタ…………」
地を這うような声だった。傍にいたミカサが心配そうに、顔を覗き込んでくる。
「なあ、アンタはなんでそんな平気な顔してるんだよ!」
「えっ?」
心底不思議そうな顔がエレンを振り返る。「エレン、」とミカサが咎めるように名を呼んで、肩を押さえてくるがエレンの言葉は止まらなかった。
「ペトラさんとオルオさんは、同期なんだろ? リヴァイ班と、仲良くしてたじゃないか! ……なんでっ、そんな、……おれの、せいで、みんな……!」
じわ、と涙がにじむ。もっと早くに、自分が巨人になっていたら、結果は違っていたのかもしれない。そう思うと悔やんでも悔やみきれない。
の指先が遺体の顔を、そうっと撫でた。濡れた視界ではの表情は見えなかった。
「……ペトラ? ……そっか、お疲れさま。ゆっくり休んでね」
やさしい声音だった。
そして、その声はエレンにも向けられた。
「リヴァイ班の新兵だったね。あなたは、無事でよかった」
何故責めないんだ、とエレンはそれを口にすることができなくて、ただ嗚咽ばかりが漏れる。近づいてきたがエレンの目元にハンカチを押し当てた。
「さあ、帰ろう」
どこまでもやさしい声が、エレンの涙を増長させる。「エレン、あの人は」そっと、ミカサが耳打ちする。
「人の顔を認識できない」
エレンは顔を上げた。すでに作業に戻っているの背しか見えず、やはり彼女がどんな顔をしているかなんてわからなかった。