「何が……狙いですか」
忌々しげに舐めつけられ、は思わず言葉を失う。レムナンのほうから協力しようと持ちかけておいて、了承した途端にこの態度である。
は咄嗟に哀しげに目を伏せた。
「あ……! ……す、すいません……」
レムナンが小さな声で謝るが、そこにどれだけの誠意が込められているのかは不明だ。ちら、とはレムナンの様子を伺う。俯くレムナンと視線が合うことはない。
「……あ、あの……でもどうし、て……僕なんか……と」
歯切れが悪いのは、先の失言のせいではない。話すのが苦手だというレムナンの声はいつも小さく、途切れがちだ。
初日の話し合いを終えたばかりでは敵味方の判断材料に乏しいが、相手がグノーシアだろうと協力体制を作るに越したことはない。いざとなれば、切り捨てる非情さをはもう身につけているのだ。
レムナンを信用する理由。
彼は直感力が高く、嘘を見抜ける割にカリスマがないので話し合いでの影響力がない。がそこを補えれば、生存率があがるのではないかと──
「……、さん?」
視線を落としたまま思案に耽っていると、レムナンが訝しげにを見つめていた。
「かわいそうだから」
頭の中で並べていた言葉の羅列をすべてかなぐり捨てて、はさらりと告げた。
レムナンの瞳が鮮やかに見開かれる。
しかし、それだけだ。レムナンがすぐにその目を逸らして「……そう、ですか」と、喘ぐように小さく呟く。反論もしない、哀しむこともない。ましてや協力関係をやめようとも言わない。
「生き残ろう、レムナン」
レムナンの絶望的な顔が、ほんの少しだけ和らいだような気がした。
トラストミィ、という声が聞こえてきて、は足を止めた。廊下の先には、沙明とセツの姿が見える。
「悪いが、君と手を組む気はない」
眉根に皺が寄るほど険しい顔でセツが沙明を睨みつける。何度ループしたセツかはわからないが、時おり「やってしまう」程度には沙明を嫌悪していると知っている。
肩を竦めた沙明がこれ以上の不興を買っては敵わないとばかりに、ホールドアップして見せる。と同時に、こちらに気づいて眼鏡の向こうで細い目を小さく見開いた。その表情の変化を見逃さず、セツの視線も素早くに向いた。
「」
両者の反応は、まさしく正反対であった。
柔らかく微笑んだセツに対し、沙明が怪訝に眉をひそめて胡乱な目を向けてくる。
「ずいぶん態度が違うじゃねェか。こちとら大人しく留守番してた無力な人間だって言うのによ。なァ、サンよ~?」
先の話し合いで沙明は自ら留守番と名乗り出ていたが、もう一人が名乗り出なかったことでグノーシアに汚染されていないという証明には至らなかった。だからこそ、何名かは沙明をコールドスリープの投票先にしていた。
気安く肩を抱かれるが、は甘んじてそれを受け入れる。
何故なら、こそが沙明と共に船に残っていた留守番なのだから。
ふいに、いつかの夜に、人を信じるのは怖いことだと言ったレムナンのことを思い出した。
「沙明、やめるんだ」
ふっ、と肩の重みがなくなる。セツが沙明の腕を捻り上げていた。
軍人であるセツは、見た目に反して腕っ節が強い。「いでででででッ!」と、沙明が半ば叫ぶように声をあげるので、は慌ててセツを止める。
「暴力反対だっつーの! お前ら仲良過ぎねェ? もしかして、できてんの? セツ、お前汎だ何だ言いながら、にはやけに優しいんじゃねェの」
はセツを見て、セツもまたを見た。「恋人だ」と宣言したこともあったが、今回はどうするべきか迷ったのだ。
セツが当惑するように目を伏せる。
「……沙明と付き合うくらいなら、セツを選ぶ」
「オイオイオイ、正気か? リアリィ? この色男を差し置いて?」
「冗談は休み休み言ってくれないか、沙明」
セツの鋭い視線に怯んだ沙明が「カーッ、付き合ってらんねーわ」と、踵を返した。
悪態をつきながら遠ざかる沙明の背をぼんやりと見送って、は小さくため息を漏らす。悪いとは思ってはいるのだが、留守番を名乗るのはあまりにリスクが大きい。
「ふふ……も言うようになったね。頼もしいよ」
「そう、かな」
何度繰り返しても正しい選択などわからないのに。けれど、それはセツとて同じだ。
おやすみ、と互いの肩を叩き合う。
はセツの背が見えなくなってから、おもむろに歩き出す。自室に向かう足が重くてたまらない。眠る前の恐怖は、いつまで経っても慣れることがない。
フォン、と無機質な音を鳴らして扉が開く。「あ」と声をあげたのがどちらだったのか、はっきりしなかった。
「おはよう、レムナン」
「お、おはよう……ございます……」
視線は合わない。扉の前で待っていたと言うことは、に用事があるのだと思われるが、レムナンが口を開く様子はない。
寝起きの腹が小さく音を立てる。はお腹を押さえ、はにかんだ。
「話があるなら食べながらでもいいかな」
「あ! す、すいま……せん、気が利かなくて……」
「いや、こちらこそ。我慢の効かないお腹でごめんね」
こんな状況でも腹は空くのだ。食堂に向かう道すがらも、レムナンと視線が合うことはなかった。
食べながらでも、と言ったが結局レムナンの話は聞けずに、は軽い朝食を終えてしまう。大きな欠伸をしながら食堂に入ってきた沙明が「お、セツからレムナンに鞍替えか? おっかねぇ女」と挨拶がわりに揶揄ってくる。
「気をつけろよ、レムナン。コイツァ……」
「沙明さん……失礼な……ことを、言うのは……やめてください」
レムナンが俯きがちに沙明を睨む。昨日と同じくさっと両手を上げて、沙明が退散する。
──庇ってくれたのだろうか。
はきょとんとレムナンを見た。協力関係を結んだとはいえ、昨日のやりとりは到底良好とは言い難い。
「……昨日は、すいませんでした」
「え?」
「もし……あれが、最後のやりとりになったら、と……思うと怖く……なって」
ぎゅう、とレムナンが襟元を握りしめる。その手は震えていた。
には“次”がある。けれども、レムナンには今回限りしかないのだ。ループを繰り返すうちに、色々と鈍くなっているのかもしれない。
かけるべき言葉が見つからずに、は視線を落とす。カップの中のコーヒーが手付かずのまま、ただただ冷えていく。
沈黙が続く中、LeViのアナウンスが聞こえて、は立ち上がった。
「僕なんかを信じてくれて……ありがとう、ございます」
そう言ったレムナンの声は、小さすぎるのをいいことに、聞こえないふりをした。
コールドスリープを見届けて、空間転移まで時間に余裕があるとわかっていても、誰かと話をする気分にはなれなかった。グノーシアではないと知っている沙明の眠る部屋を後にして、は俯きがちに歩く。
自室の前で、今朝と同じようにレムナンがいることに気づいて、は立ち止まった。
「……さん」
「ごめん。疲れているから」
目を合わせずに、レムナンの前を通り過ぎて自室に身を滑り込ませる。「ま、待って……くださいっ!」レムナンの手が伸ばされるが、に触れることはなかった。
「レムナン」
「……僕は、さんを……信じ、ます」
「やめて」
はかぶりを振った。
「わたしのせいで、沙明は」
つんと鼻の奥が痛んだ。嗚咽が混じってしまいそうで、それ以上の言葉は紡げずに、は唇を噛み締める。すでにセツは消失してしまった。この宇宙で本当の意味でわかり合える存在はもういない。
「嘘を、つきましたよね」
嘘なんて、もう数え切れないほどついている。そのせいで、レムナンの指す嘘がどれのことなのか、には見当がつかなかった。絶対に敵だ、と指摘された時のように、押し黙ることしかできない。
はじっと滲んだつま先を見つめる。
「……かわいそうだから、僕を……信じてくれた、わけでは……ないです、よね」
直感力が高いというのは、厄介だ。
中途半端に伸ばされていたレムナンの手が、躊躇いながらの腕を掴んだ。はのろのろと顔を上げる。いつも伏せられているレムナンの瞳が、真っ直ぐを見つめていた。
「僕と……生き残り、ましょう。さんと、なら……大丈夫、だと……思えますから……」
相変わらず小さな声だ。けれども、聞こえなかったふりなど、できるはずもない。
うん、と頷いた拍子に、目尻に溜まっていた涙が落ちる。滲んだ視界がほんのわずかにクリアになって、レムナンのぎこちない微笑みが見えた。
「だから……な、泣かないで、ください」
うん、とはもう一度頷いたが、涙が止まる気配はなかった。
留守番だと名乗り出なかったことで沙明を凍らせてしまったこと、敵対していようと信頼のおけるセツがいなくなったこと、レムナンが自分を信じてくれたこと──にも感情の整理がつかなくて、泣き止むことが難しい。
ちょうど扉の位置で立っていたレムナンが室内に踏み込んだ。フォンという音と同時に扉が閉まる。ぎゅ、と腕を掴んだままのレムナンの手に力がこもった。緊張が手のひらから伝わってくる。
「レム……」
レムナンの指先が頬をなぞるように触れた。「泣かないで」と、レムナンが懇願するように言った。は何も言えずに、瞬きを繰り返す。幾度もループを繰り返してきた中で、こんなふうにレムナンに触れられるのは初めてだった。
沈黙が降りる。
『様、レムナン様。間もなく空間転移が始まります』
僕が貴方を守ります、とLeViのアナウンスに混じってレムナンが囁いたような気がしたが、には確かめる勇気が出なかった。
「……おやすみなさい。あの……さん……また、明日」
「あ、うん。また……明日」
自室のベッドに身を横たえて、は目を閉じる。レムナンと無事に生き残ることができたのなら、先ほどの言葉を確認しようと思う。そして、レムナンを信じる本当の理由を告げてみよう。好きだから、と正直に言ったら怯えさせてしまうだろうか。レムナンの誠意に真摯に応えるには、その言葉しかないのだから仕方がない。
恐怖ではなく、希望を持ちながら眠りにつくのは、いつぶりだろう。つ、と頬を伝う生温い感触を感じながら、は口角を上げた。頬に触れたレムナンの指先の熱が、まだ残っているような気がした。