「相澤先生」

 ほっとしたように眉尻を下げたのは、相澤の生徒──だっただ。かつて雄英でヒーローを目指していただろうに、ヴィランを前にして身を震わせる姿は、その辺にいる一般人と少しも変わらない。
 相澤は事もなくヴィランを捕縛し、他のヒーローに後始末を任せて、素早くゴーグルを外して群衆に紛れる。ヴィランだ、ヒーローだ、と色めきだっている奴らに紛れることは、対して大変なことではない。相澤はほとんどメディアに露出していないおかげで、ヒーローだとは気づかれない。

 立ち竦むの腕を掴んで、さっさと現場を後にする。足をもつれさせるが転ばぬように、相澤はさり気なくその肩を支える。
 少し歩いて、喧騒が十分に遠のいたところで、相澤は足を止めてを見下ろした。

 びく、との肩が跳ねる。こういった反応は、生徒だった頃と同じだ。

「個性を使おうとしたな?」
「あ……こ、こっちに、ヴィランが来たから、」

 その時の様子を思い出したのか、が身を震わせ、唇を噛んでうつむいた。「まあいい、お前はもう俺の生徒じゃないからな」相澤は口調をゆるめ、の頭をぽんと軽く叩いた。

「お前はやっぱり、ヒーローには向いてないよ」

 泣きそうな顔をして、が小さくうなずいた。
 元々、ヒーロー向きの個性だっただけで、本人の性格はそれほどヒーローへの適正はなかった。人一倍、他人を傷つけることを嫌がるような優しい性格で、ヴィランにまで情けをかける。除籍を言い渡した時、がほっとした顔をしたことを相澤は覚えている。

「相澤先生、すごく格好良かったです。あ……もう、先生じゃありませんね。ええと」

 が口元に手を当てて、小首をかしげて相澤を見上げた。

「相澤さん? へ、変な感じですね」

 相澤は視線を逸らした。妙にむず痒い感じがして、どうにも落ち着かない。
 の頬がわずかに赤らんでいるのは、見なかったことにする。

「なんだか、いつも怒られてばかりだったから、やさしい相澤さんって落ち着かないです」
「……怒ってやろうか」
「い、いやですよ。あんな思いは、もう懲り懲りです」

 が慌てて首を振る。相澤はじっとを見下ろし、呼吸の乱れや指先の震えが収まっているのを確認して、口元をゆるめた。

「気をつけて帰れよ」

 相澤はもう一度、の頭に手を乗せた。



 色々と理由をつけて除籍処分としたが、その実、心のどこかで彼女にはヒーローになってほしくないという思いがなかったとは言えない。演習ではいつも怪我を負い、叱責にはいつも涙をこらえて食いしばり、雄英での学生生活は楽しいものではなかっただろう。

「相澤先生」

 の声が、踵を返した相澤の足を止めた。

「わたし、ヒーローになりたいわけじゃなかったけど、相澤先生の隣で格好よく戦いたかったんです。いつもいつも、先生を失望させてたわたしが言える台詞じゃありませんけど、でもその思いで雄英で頑張ってました」

 振り向いた先で、がうつむいている。「助けてくださって、ありがとうございました」頭が下げられる。組まれた手の指先に力が籠っているのが見えた。

 相澤はほとんど衝動的にを抱きしめた。

「ばかやろう」

 腕の中のがびくりと震える。先生、とひどく弱弱しい声が聞こえた。じわじわと胸元がの涙で濡れていく。「お前はヒーローになんてならなくていい」その台詞を、在学中に伝えられたらよかった。
 涙にきらめく瞳が、相澤を見上げた。

「……相澤先生?」
「俺はもう、お前の先生じゃない」
「…………」
「ただのヒーローだ」

 だからこそ、こうして抱きしめることができるのだ。

捕まえた

(もう放さない、離れない)