かつて、こんなにも最低最悪なハロウィーンがあっただろうか。
 ハロウィーンウィークは例年以上の盛り上がりを見せて、運営委員会の生徒たちも鼻高々であったが、イベント三日目にしてその様相は一変した。一部の非常識な来訪者──マジカメモンスターは、その名の通り魔物のような、厄介な存在だった。

 が慌てて駆けつけた植物園でも、思っていた通り、トラブルが発生していた。
 植物園を飾りつけたのはハーツラビュルの生徒たちだ。墓地らしく仕立てられた植物園に、続々と人が押しかけている。それは昨日までと同様だ。

 ずかずかと花壇に踏み入られて、は顔を青ざめる。
 この植物園は、ただの植物園ではない。何故ならここは、ナイトレイブンカレッジの植物園なのだ。当然、貴重な魔法植物も山ほどある。それらはが大事に大事に育ててきたのだ。
 は慌てて「花壇に入らないでください!」と叫ぶ。誰も聞いちゃいない。

「花壇にずかずか入るだなんて……ハートの女王の法律以前の、マナー違反だ!」

 ぴしゃりと跳ね除けるように言ったのは、ハーツラビュル寮寮長リドルだった。は内心で「いいぞ、もっとやれ」とエールを送る。

「規則違反者はたとえゲストであろうと、容赦はしないよ!」

 マジカルペンを取り出そうとしたリドルを、慌てて副寮長が止める。このままリドルを応援したい気持ちはあるが、さすがに魔法を持ち出されるのはまずい。
 もリドルの制止に加勢することにした。

「リドル・ローズハート。もうすこし、穏便な方法を考えよう」
先生、」
「ほら、彼らは一応一般人なのだし、魔法で懲らしめてはいけない。わかるね?」

 だって、本音はものすごく腹立たしい。
 このマジカメモンスターたちは、あのグレートセブンでさえも、世間の注目を集める餌にしか思っていない。

 真面目なリドルは、教師であるの言葉に耳を貸して、素直にマジカルペンを持つ手を下ろした。ふう、とは一息つく。「助かりました、先生」と、トレイがまなじりを緩めた。

「うわ、勢いやっべ、花への愛情? つーか熱意? マジぱねぇ!」

 ぎゃはは、と耳障りな笑い声に、は眉をひそめた。
 魔法を使わずに彼らを追い出すことが困難であることは、メインストリートでの一件でよくわかっている。クロウリー学園長の言っていた防犯システムなど、存在するわけがないこともわかっていた。基本、あの学園長はどのつくケチである。

「こんなところにひっそりと咲いてるのもったいなくない?」

 と言うが否や、男性がぶちりと花を引きちぎった。そうして、パシャパシャと写真を撮る。
 は思わず呆然と立ち尽くす。

「寮長サンも記念に一枚撮りましょうよ!」

 リドルの腕を引っ張って、無理やりスマホを向ける。フラッシュを受けたリドルの顔が、怒りで真っ赤に染まっていく。

「あっれー? かっわいい、女の子じゃん!」
「ひっ」
「それって犬耳? 猫耳? ま、可愛いからどっちでもいっかー」

 唐突に、の腕を掴む手があった。リドルの隣に押しやられて、先ほどと同じようにフラッシュを浴びせられる。は眩しさに目を瞑る。
 視界がチカチカしているうちに、ぐいっと肩を抱き寄せられる。の身体が緊張に強張った。

 見知らぬ男の手が、作りものの獣耳と尻尾に触れた。それは猫でも犬でもなく、狼である。スカラビア寮長に「寮生が先生にも仮装してもらいたいって!」と屈託ない笑顔で言われてしまえば、断ることなどできはしなかったのだ。
 リドルよりもさらに背の低いは、あっという間に男たちにもみくちゃにされる。
 これでは、教師の威厳のいの字もない。

「でもナイトレイブンカレッジに女の子いるわけないよなー」
「あっ、鏡の間にも美少年いたよな!」
「じゃあこの子もそれかぁ。こんな可愛い子いるなら、男子校も悪くないじゃん」

 好き勝手言いながら、四方から伸びた手が獣耳や尻尾を無遠慮に引っ張るので、無理に逃げてはうっかり壊れてしまいそうだ。は身動きが取れない。

「ちょ、ちょっとやめ……」

 だいたい──は正真正銘、女性である。男たちの間でもがいていると「今すぐ首をはねてやる!!!!!」と、およそリドルと思えない怒声が響き渡った。
 はぎょっとして、慌てて男たちを押しやる。

「ろ、ローズハート、落ち着い……っきゃあ!」
「悲鳴まで可愛い! って、あれ……柔らか……」

 押しのけていたはずが、逆に押されて転びかけたを、伸びた手が胴に回って支えた。意図せず胸元に添えられた手が、むにゅりと膨らみを揉んだ。確かめるように、二度三度と手が動く。
 あまりのことに、は言葉も出なければ、動くこともできなかった。

「あちゃあ、先生……」

 ケイトが額に手を当てて天を仰ぐ。「なんとかして」とは涙目になりながら、口パクで伝えた。




「遅かったか」

 やれやれ、とかぶりを振るクルーウェルを、は軽く睨む。
 マジカメモンスターは、何とかケイトとデュースが追い返してくれた。リドルの怒りもようやく収まったところだ。
 の担当する魔法薬学と、クルーウェルの担当する錬金術は、切っても切れない関係である。植物園の管理を任されているのはだが、クルーウェルも魔法植物には目をかけている。

「おやおや、だいぶしょげた駄犬だな」
「……狼ですっ」

 触られまくって、仮装はよれよれである。踏みつけられた魔法植物も、同じようによれよれだった。は指先で葉っぱを撫でる。
 クルーウェルは、オクタヴィネル寮のいる魔法薬学室に向かったはずだ。あそこでマジカメモンスターが、ここのような振る舞いをしたのなら、魔法薬に被害が及んだことだろう。そのうえ、オクタヴィネルにはあのフロイドがいる。リドルのようにブチ切れていたら、とぞっとする。

「先生のほうも大変だったんじゃ」

 くい、と顎先にクルーウェルの教鞭が触れて、言葉が途切れる。
 クルーウェルにじっと見下ろされると落ち着かない。はそれでも負けじと、「なんです?」とクルーウェルを見つめ返した。

「何があった?」

 クルーウェルの指先が、の目尻をなぞった。その仕草がやけにやさしいので、は戸惑いながら目を伏せて、視線を外す。

「別に……ちょっと、もみくちゃにされただけです」
「ちょっと?」
「…………と、とても、と言ってもいいかもしれません」

 はあ、とクルーウェルがため息を吐く。顎を持ち上げていた教鞭が、喉元をくすぐる。

「首輪が必要か?」
「な、なに言って……わたしは駄犬でも仔犬でもありません!」

 は教鞭を手で払って、ふいと顔を背けた。
 きょとんとした顔のリドルと目が合って、それからニコニコとしたケイトと目が合う。気がつけば、生徒たちの視線を独り占めしていた。

 クルーウェルがぱしんと手の内で教鞭を鳴らし、視線を蹴散らす。相変わらず乱暴なやり方である。

「それより、魔法薬は大丈夫でしたか?」
「大丈夫だと思うか? 貴重な薬品がめちゃくちゃだ」
「うわ……恐るべし、マジカメモンスター……」

 は思いきり顔をしかめて呟く。リンゴの木に登るわ、花を踏んだり詰んだり、挙句に何が起こるかもわからない薬品さえも破壊するなんて、信じられない。
 よれよれの尻尾を触りながら、この衣装を作ってくれた寮のことを思い出す。

「ちょっとアルアジームのところ、見てこようかな」
「その必要はない。トレイン先生が向かっているはずだ」
「あ、そう……じゃあ、他のところに」

 教師が揃って同じ場所にいる必要はないだろう、と思って口にしたのだが、クルーウェルが不愉快そうに眉を跳ね上げる。

「な、なんですか」
「お前が行っても、どうにもならないと思うがな。こっちに来い」

 クルーウェルに手を握られて、反射的にはびくりと後ずさった。先ほど腕を掴まれた感触が蘇る。
 はっと息を呑んだときには、クルーウェルの険しい顔がを見下ろしていた。誤魔化しようもなく、は気まずげに目を逸らした。

 生徒たちの陰になるところへ連れられて来たかと思えば、クルーウェルの手が髪を撫でつけた。頭につけた獣耳だけならず、髪の毛もぼさぼさだったのだろう。

「クルー……」
「ビークワイエット」

 子どもじゃないのだから、と思ってその手を止めようと思うも、クルーウェルは聞き耳を持たない。
 はしょんぼりとしながら、その手を受け入れる。クルーウェルの大きな手が、丁寧に髪を梳いて、獣耳を整えてくれる。
 ふいに指先が、本物の耳の縁をなぞって、は不安に顔を曇らせてクルーウェルを見た。

「…………」

 伝わってくるクルーウェルの怒りが、どこに向いているのか、にはわからない。
 魔法薬をめちゃくちゃにされたことか、植物園を荒らされたことか、はたまたマジカメモンスターを止められなかったに対してか。は止めるどころか、彼らを盛り上がらせてしまっただけだ。

 は目を伏せる。意味もなく、頭の中でクルーウェルのベストのボタンを数える。
 そうする間に、クルーウェルの手が服を整えていく。

「その恰好は、今日限りにしておくんだな」
「……え?」
「同じような目には遭いたくないだろう。生徒のように躾けられないのなら、自衛するべきだ」
「そう、です……よね」

 頭ではわかっていても声が沈んでしまう。
 余分な手間暇をかけての分の衣装を作ってくれたスカラビア寮生に、申しわけない。

「こんなに楽しくないハロウィーンは初めてです」

 むすっと唇を尖らせると、クルーウェルの教鞭がの尻を軽く叩いた。痛くはない。ふさふさの毛並みを取り戻した尻尾が、揺れる。

「奇遇だな、俺もだ」
「ちょっと、セクハラですよ」

 はますます唇を尖らせるが、クルーウェルはどこ吹く風である。

「まだ四日目ですよね。ハロウィーンパーティが心配です」

 ハロウィーンウィークはその名の通り、一週間の七日間である。
 残る三日間もこのようなイベント参加者が増えるのだろうか、という不安はもちろん、メインイベントであるパーティ当日を思うといまから頭が痛い。

「そうだな。このままでは……」

 クルーウェルがちら、と生徒のほうを見やる。

「中止も検討するべきだ」
「……初めてのハロウィーンがこうなんて、監督生とグリムが不憫ですね」

 くい、とクルーウェルの教鞭がの顎を持ち上げる。「それ、やめてくださいって、いつも言って」唇に押し当てられた教鞭の先が、の言葉を封じる。
 やられっぱなしは性に合わない。はその教鞭を取り上げるつもりで、右手で掴んだ。

「ステイ」

 クルーウェルが短く告げる。は教鞭を手にしたまま、クルーウェルを見上げた。
 これでは、彼が仔犬と呼ぶ生徒たちとなんら変わらない反応である。だが、クルーウェルの視線に縫いつけられたように、身体が固まってしまった。

 くい、と動いた教鞭と一緒に、の手も動く。唇を封じるものは何もないのに、の口は開かなかった。

「お前を泣かせた奴は、俺がこの手でお仕置きしたいくらいだ」

 閉じたままの唇に、クルーウェルの親指が触れる。「泣いていません」と普段なら、強気に答えるところだが、は何も言えなかった。クルーウェルが本気でを心配していることが、痛いほどわかるせいだ。
 胸にじんわりと広がるのは、安堵なのだろうか。
 自分のことなのに、抱いている感情がわからない。はなんだか落ち着かなくなって、顔を俯かせた。

「……やはり、首輪をつけておいたほうが良さそうだ」

 クルーウェルが小さく呟き、唇を押さえたままの指が顎先をやさしく持ち上げた。

「っ、痛……!」

 喉元に、クルーウェルの唇が触れて、吸いつく。
 は咄嗟にクルーウェルを突き飛ばし、手のひらで首元を押さえた。

「な、なな、なにを!」
「可愛い狼にも首輪は必要だと思ってね」
「か……」

 ふ、とクルーウェルが唇に笑みを乗せる。首輪なんていらないし、そもそもこんなものは首輪ではないし、というかいま本当に喉にクルーウェルの唇が──

「可愛いんじゃなくて、格好いい狼です!」

 は混乱し過ぎて、思わず意味のわからない言葉を叫ぶ。
 クルーウェルが目を丸くしたのち「それは失礼」と、まったく悪びれた様子もなく、笑いながら言ったのだった。

自覚

(強がったって、いつもあなたにまもられている)