はグイード・ミスタを知っていた。
といっても、言葉を交わしたことはなく、一方的に知っているだけである。ブチャラティが時おりその名を口にしていたし、遠目に見たことも何度かあった。けれど、いまこの目の前にいる彼が、の知るミスタと同一人物だとはどうしたって思えなかった。
パッショーネの新しいボスの傍らに控える彼は、無表情で寡黙だ。もし、がすこしでも妙な真似をしたのなら、刹那に眉間を撃ち抜かれていることだろう。恐らく、は撃たれたのだと自覚する間もなく、息絶える。
「あんたがですね」
耳に心地よいボーイソプラノだ。は伏し目のまま、ミスタに向けていた視線をボスへと移す。
ギャングのボスに似つかわしい豪奢な椅子に腰かけ、ゆったりとやけに優雅な仕草で足を組み替える。じぃっとこちらを見つめる瞳は、探るわけでも見定めるわけでもなく、ただ静かな水面のようにの姿を映していた。
顔立ちはどこか幼さを残しているが、まるで年下であるとは思えない余裕と、威圧感である。数ヶ月前まで、ギャングとは無縁であったなんて信じがたい。
「ええ、そうよ」
は気後れしてしまっていることを決して気づかれないように、無理やり口角を上げた。
腐ってもギャングの一員である。いくら内心では混乱し、怯えていようとも、それをおくびにも出してはいけない。震えそうになる指先をぎゅっと握って押さえ込む。
ふうん、と実に興味なさげに呟くボス──ジョルノ・ジョバァーナが、に向かって指先を突き付ける。優雅さを伴いながらも、傲慢な仕草だった。
「どこで何をしていたのか、報告してください」
丁寧な口調のくせに、それは有無を言わさぬ命令に違いなかった。
こんなふうに緊張を覚えるのは、いつぶりだろうか。言葉を選ばなければいけない。は震えた唇を、一度ぐっと結んだ。
「まどろっこしいことはやめようぜ」
ふいに、ミスタが口を開いた。
ため息交じりの言葉と共に、ミスタが銃口をに向けた。びくりと跳ねた身体が強張る。握りしめた手のひらに、じわりと汗が滲んだ。これはただの脅しではない。
は、ミスタの持つ銃を見つめた。
「洗い浚い吐け、っつーだけでいいだろうがよォ」
「ミスタ、仮にも同じパッショーネの人間ですよ。もう少し穏便に」
「けどよー、こいつも“あの”暗殺チームの一員だろ?」
そうして言葉を交わす間も、ミスタの銃口はを捉えて、わずかですらブレることはない。
ミスタの指す”あの”には、よい感情が含まれていないことは確かである。幾度もジョルノたちの邪魔をして、彼らの仲間の命をも奪った暗殺チームは、の仲間だった。
「……ええ、ですから。彼女はチーム全員を、一度に失っているんです」
そこに同情的な響きはなかったが、ジョルノの手は、ミスタの銃を下げさせた。ミスタがなおも納得のいかない顔をしているのが見えたが、途端にじわりと視界が滲んだ。
暗殺チームのみんなはもういない。
家族のように慕っていたブチャラティもいない。
その事実が突きつけられるたびに、信じたくないと嘘だと胸の内が叫んで、軋んだ。まるでギャングらしくないとわかっている。わかっているからせめて、泣き顔を見られぬように、は顔を俯かせた。
「報告書ならできているわ」
本来なら、チームリーダーであるリゾットに渡すべきものだった。
手の内でくしゃりと歪んだ紙を、ジョルノが顎をしゃくるだけで求める。少年らしさの欠片もない、ボスらしい高慢じみた仕草だった。
「今日はもう下がっていいですよ。ミスタ、彼女を部屋に案内して」
案内、という言葉の意味を考えてしまうほどミスタの歩調は速く、は小走りに物言わぬ背中を追いかけた。軽く息が上がる頃に、ミスタが立ち止まって、なおも黙ったままドアを開けた。入れ、とミスタの視線が語る。
は正面に立って、ミスタを見上げた。記憶にあるグイード・ミスタと変わらぬ出で立ちでありながら、やはり雰囲気が違い過ぎる。
礼を言うべきか否かわからなくて、ただ反射的に動いた唇からは、言葉はなく吐息だけが漏れた。は、視線を足元へと落とす。
「いいか?」
ミスタがの肩を抱き寄せて、耳元へと唇を寄せる。傍から見れば、まるで恋人にするような距離感で、親しげだったかもしれない。
「妙な真似をしたら──ズドン、だぜ」
ミスタが手を銃の形にして、の左胸に当てた。おどけるふうな口調のくせ、その目は恐ろしく鋭く、口角はかすかにも上がっていない。
ぞくりと背筋が凍りつく感覚がした。ミスタの腕の中で、は石造のように身を強張らせる。
「わかってる」
辛うじて紡いだ声は、情けなくも震えていた。
ミスタの手が、を部屋の中へと押し込んだ。ドアが閉まって、ガチャンと鍵も閉められる。部屋の内側に鍵は見当たらず、は外に出ることはできないようだった。そこかしこに隠しカメラも設置されているみたいだが、どうだっていいことである。別に、パッショーネを裏切るつもりはない。
緊張が解けると同時に、どっと疲れが押し寄せてくる。はベッドに身を投げた。
「……わたしは、ペッシよりもマンモーナだってこと?」
見上げた天井が歪んで、手のひらで目元を覆う。
はペッシと並んで、チーム内で下っ端であったのは間違いのないことだ。だけど、だからって、こんな──
わからない。何故、という疑問が尽きない。
は意図的にイタリアを離れさせられたのだ。それがリゾットの独断だったのか、チームの総意だったのか、知るすべはない。確かであることは、そのせいで、そのおかげで、この命はいまここにあるということだけだ。
小さく鍵の開く音がして、は目を開けた。どうやら眠ってしまっていたらしい。
「勝手に入らないでって、何回言え、ば」
身体を起こしながら枕を振りかぶろうとして、は力なく腕を下ろした。
ここは自分の家ではないし、鍵を開けて入ってきたのは親しい間柄のチームメンバーでもなければ、ブチャラティでもない。は入り口を見やって、手にした枕に視線を落とした。反射的に投げつけてしまっていれば、どうなっていたかわからない。ミスタの手には湯気の立つ食事があった。
「ご、めんなさい。寝ぼけていたわ」
声が掠れたのは、寝起きのせいではない。
「……メシだ」
ミスタが素っ気なく言い放つ。
小さなテーブルに食事を置くと、ガタンと椅子を引いてミスタが腰を下ろした。テーブルが小さく見えたのは、二人分の食事が並べられたせいかもしれなかった。ちら、とミスタがを一瞥するが、それ以上何かを言うことはなかった。
勝手にセッティングして、勝手に食べ始めるミスタを、ぼんやりと見つめる。一緒に食べよう、だなんて気になれるわけがなかったが、身体は正直で腹の虫が小さく鳴いた。
自分を殺すかもしれない存在を前に、はどうするべきかわからない。わからないことだらけだ。
「──……」
ふと、小さな話し声が聞こえて、は耳を澄ませた。廊下から聞こえたのかと思ったが、どうやら部屋の中のものらしい。当然ながら、ミスタもも言葉を交わしていない。
目を凝らすと、ミスタの周りに小さな存在が確認できた。
「グイード・ミスタ」
ミスタが横目で答える。はベッドから立ち上がり、ミスタの肩を掴んだ。
「いますぐ部屋を出て」
「はあ?」
「スタンド能力は、そう簡単に他人に見せちゃあいけない。当たり前でしょう」
だって、口酸っぱく言われてきたことである。リゾットに、ブチャラティに、プロシュートに──思えば、随分と過保護だった。
ミスタがの手を振り払う。席を立つ気配が微塵もなければ、食事をする手が止まる気配すらない。
「オイオイミスタ、無視してイイノカァー?」
「女の言ウトーリダロー?」
やいのやいの、と小さな存在が騒ぎ立てている。群体型のスタンドであり、自我を持っているらしい。確認できるのは六体、それぞれにナンバーが振られているが、四番目がいない。
自然とスタンドの分析を始めている自分に気がついて、は視線を逸らした。
「お前もパッショーネの人間なんだろ?」
ため息交じりに言ったミスタが、ステーキを刺したフォークをに向ける。
「オレの能力は、見られて困るようなもんじゃあねぇ。見られたとしたって、お前を消すくらいどうってことねぇんだよ~」
カチンとくる物言いである。しかし、悔しくも事実だった。
「だいたい、ベソかいてるような女が偉そうに御託垂れるんじゃあねーよ」と、呆れたように吐き捨てて、ミスタがステーキを口に放った。
「馬鹿にしないで!」
反射的に手が出ていた。
の平手打ちはきれいにミスタの頬に決まったが、音のわりに大した威力はない。「ヒュー!」と小さな声が囃し立て、の苛立ちを煽った。まるで痴話げんかに首を突っ込む野次馬である。
「なんで、」
ミスタがナイフとフォーク置いて、の手首を掴んだ。捻りあげるわけでもなく、ほんとうに、ただ握っただけだった。これが妙な真似でなければ、何だというのだ。ミスタは銃すらも手にしていない。
ぽろ、と涙が落ちる。
敵にすらならないと侮られているのだろうか。力不足である、と暗に言われている気がした。
「どうして、わたしだけ、置いていったの」
「…………」
「わたしだってチームの一員なのに、何も教えてくれないなんて、ひどい……」
は俯いたが、座ったままのミスタからは顔を隠せない。ぽろぽろと涙が落ちる。ふと、ミスタのスタンドが、を気遣うように周りを漂っていた。
「……ブチャラティが言ってたぜ」
囁くような声と共に、武骨な指がの涙を乱暴に拭った。
「妹みたいに可愛がっている奴がいるって。いつも後をついて回って、ついにはギャングの仲間入りしちまったけど、ホントは足を洗わせたいってよぉ」
お前のことだろ、とミスタが続ける。
はゆっくりと瞬きをくり返した。ブチャラティがそんなふうに思っていたなんて、知らなかった。
「ま、その気持ち何となくわかる気がするぜ」
ふっ、と息を吐くようにしてミスタが笑った。敵意や殺意を、きれいにどこかへ置いてきたようなその笑みに、の肩の力が抜ける。
は確かにグイード・ミスタを知っていた。
けれど、目の前にいる彼は、ブチャラティの隣でチンピラの風貌をしていた姿とも、仲間たちと馬鹿騒ぎに興じていた姿とも異なっていた。
武骨で乱暴なのに、やさしい手のひらがぽんぽんと頭を叩くので、の涙はいつまで経っても止まらなかった。ああ、ほんとうに、これではペッシよりもよほどマンモーナである。
「あーあ、すっかり飯が冷めちまったじゃあねぇか」
ようやく涙が落ち着いて、は小さく鼻をすする。
テーブルの上に視線を落としたミスタが「つーかお前らなあ、肉全部食ってんじゃねー!」と、自身のスタンドに怒鳴っている。自我が強いと、本体の意志に反したこともするらしい。は赤らんだ瞳をぱちくりと瞬くと、小さく噴き出した。
はたとミスタが黙り込み、じっとを見つめた。ぎくりとしたのか、どきりとしたのか、には判断がつかないまま身構える。
「……なに?」
問いかけると、ミスタが不自然に目を逸らす。
「いや……なんつーかよォ、お前、笑ってるほうがいいよ」
「え?」
妙にぼそぼそと歯切れが悪いが、聞こえなかったわけではない。
意味を理解しかねて、は思わず聞き返した。
「ミスタ、ヤルナーッ!」
「押し倒セー!」
「YEEEEE HAAHHHHーーーッ」
ミスタのスタンドたちが騒いでいる。はぽかんとその様子を見ていたが、小さな彼らが何を言っているのか理解して、かあっと頬を紅潮させた。
「わ、笑ってなんか……! わたしはあなたに気を許したわけじゃあ、ないのよ!」
命を脅かす存在に対し、そんなことはあってはならない。
「ミスタ、振ラレターッ!」と、はしゃぐスタンドたちを横目に、ミスタが不機嫌そうにどかりと椅子に座る。目の前の皿には、ソースしか残っていない。何だかそれが妙に不憫に思えた。
「……よかったら、わたしのステーキあげる。その、冷めちゃったけど」
の差し出した皿の周りを、スタンドたちが囲んでいる。虫を蹴散らすように手で払って「いい加減座れよ」と言いながら、皿を受け取る。は小さく頷くと、壊れたブリキ人形のごとくぎこちなく、席に座って食事を共にした。
当然のように味などわからなかったし、何を話したかさえもよく覚えていない。
「…………わたし、生きてる……よね?」
ミスタが去った部屋でひとり、は左胸を押さえて、赤くなった顔で首をかしげた。だって何故だか、心臓を撃ち抜かれたような気がしてならないのだ。