「待て、チルチャック。に酒を飲ませたのか!」
チルチャックが手にする酒瓶を見て、ライオスは慌てて立ち上がった。「ライオス」と、存外すぐ傍での声がして、はっと息を呑む。振り返って見たの抱える酒瓶を、ライオスは素早く奪い取った。しかし、時すでに遅し──中身が三分の一ほど減っている。
取り上げられた反動で、の身体がふらついた。ライオスは慌ててその肩を支えた。
「す、すまない。大丈夫か?」
「……」
答えないまま、がじいっとライオスを見上げる。「え、酒弱いのかよ」とチルチャックが信じられないという様子でつぶやいた。
紅潮した頬と潤んだ瞳による上目遣いは、相当な破壊力をもっていた。ライオスは思わずつられるように顔を赤らめ、生唾をごくりと飲み込んだ。い、いや、いまはそんな場合じゃない。ライオスは軽くかぶりを振って、己のよこしまな思いをかき消した。
しかし、の身体が傾いて、こつりとライオスの胸元に頭部が預けられたことでその思いが首をもたげる。ぎゅ、と反射的に肩を支えた手に力が籠った。
「……ラブコメか」
チルチャックの呆れかえった呟きに、ライオスははっと我に返った。「、気をしっかり!」と、肩を掴んで顔を覗き込む。ぼんやりとした瞳に、涙の粒がぷくりと浮かんで、瞬きと共に頬を伝い落ちた。
息を呑んだのは、ライオスか。それともチルチャックか。
どちらにせよ、ライオスは二の句が継げないまま、の顔を見つめた。
「ライオス、ひどいこと言って、ごめんね」
「え……?」
「ファリンにあえて、よかった」
「…………」
「わたしは、こんなことも、お酒の力を借りなきゃ言えない」
ライオスはの涙を指で拭う。手のひらに、そうっと頬が摺り寄せられる。
「ファリンのことはわたしもすごく大事。だけど、これが本当に正しいことなのか、わからない」
ごめんね、ともう一度告げて、が身体を離した。「少し休む」と、踵を返したその小さな背を、ライオスは黙って見つめた。の言葉がひどく重く胸にのしかかるようだった。
ライオスは、に触れた手のひらを見やる。指先に涙の雫が残っていた。
「…俺も、正直と同じ気持ちだよ」
マルシルめ、とチルチャックが忌々しげにつぶやいた。
魔術については、ライオスも詳しくはよくわからない。ただ、ファリンが助かるのなら──藁にだって縋る。血を分けた妹、かけがえのない家族、それがファリンだ。
風呂から上がってきたファリンに服を手渡す。ファリンの血色の良い顔を見つめて、その存在が確かにここにあると実感する。ホッとする気持ちと同時に、苦い思いが込みあげてくる。ライオスは目を伏せて、つい数刻前のことを思い返す。
ようやくレッドドラゴンを打倒したというのに、ライオスたちを包む空気はこれでもかというほどに重い。ライオスは、心なしか息苦しささえ感じた。レッドドラゴンの体内から取り出した骨は、もはやファリンなのかさえもわからない。
そんなこと、とが首を横に振って、ライオスの腕を掴んだ。
どうしてが反対するのだ、とライオスは思った。同じ村で、幼いころから共に過ごし、互いを大切に思っている。ファリンを生き返らせたいという気持ちも、自分と同じくらい強いはずだ。
そう言おうとした口は重く、開いてはくれなかった。の視線が真っすぐにライオスを見上げる。
「ライオス、黒魔術で蘇生するなんて、理に反してる」
「……」
頼むから、そんなことを、よりにもよって君が言わないでくれ。
腕を掴むの手にぐっと力が籠る。
「魔術に善悪なんてない」
マルシルの言葉に、がもう一度首を横に振った。「どうする、ライオス……」と、マルシルが問いかけてくる。
がじっとライオスを見つめる。本気で彼女は止めている。けれど、どうする、なんて愚問だ──ライオスの心は初めから決まっている。腕を掴むの手をゆっくりとはがす。
「頼む、マルシル」
が諦めたように瞳を伏せた。その表情をライオスは直視することができなかった。
「ファリンを生き返らせてくれ……!」
それきり黙りこくってしまったを、チルチャックが気にかけていたようだが、ライオスには正直彼女に心を砕く余裕がなかった。ファリンの蘇生に賛成してくれなかったことが、思いのほかライオスを傷つけていたからかもしれない。
「が一緒だと思わなかったな」
何気なくファリンが放った言葉に、ライオスは表情を曇らせた。
「お風呂、気持ちよかったのに。は?」
「それが、酒が入っちゃって……あっちで休んでるよ」
「えっ、お酒飲んだの?」
ファリンが目を丸くして驚く。お酒弱いのに、と心配そうにファリンが言うので、ライオスは「少ししか飲んでないから大丈夫」と笑いかけた。
ベッドに腰を掛けているが顔を上げた。顔色は普段通りに戻っている。ライオスの姿を認めて、さっと視線が逸らされる。ライオスは胸を握りしめられるような痛みを覚えたが、それを悟られないように表情を取り繕う。
「、大丈夫か?」
「……うん」
「えーと、食事ができたんだが……」
「わかった」
立ち上がったの視線がライオスに向くことはなかった。
「」
ライオスは思わず、の腕を掴んでいた。びく、と震えた身体がたたらを踏む。
驚きに見開かれたの瞳と視線が合う前に、どん、と壁際にを追い詰めて、鋭く息を呑んだ唇を己のそれで塞いだ。ほのかに酒の香りが残っているような気がした。もっと、と求める己の欲深さを内心で自嘲して、ライオスはなんとか自制して唇を離した。
「俺は、でもきっと同じことをしていたと思う」
が伏せた瞳をライオスに向けた。ぎゅ、と目尻に力が籠って、見る間に目が潤む。
「…………知ってる……」
そこにある感情はわからない。ただ、愛おしくてたまらなくなって、ライオスはもう一度唇を寄せた。の身体が強張るが、抵抗らしい抵抗はなかった。
吐息が重なり、唇が触れ合う間際。
きい、と軽い音を立てて扉が開いて、ライオスは慌てて身体を離した。「おい、飯冷めるぞ」と、小さな姿が現れる。チルチャックが怪訝そうな顔をするので、ライオスはぎくりとする。
「なんだ、起きてんじゃねえか。さっさと来いよ」
「あ、ああ……」
「ごめんね、チルチャック。心配してくれた?」
冷や汗をにじませるライオスに対し、いつもの調子でがチルチャックに声をかける。涙の欠片も残さぬの瞳が、ライオスを一瞥する。しかし、ライオスに向けての言葉はなかった。二人がさっさと行ってしまい、取り残された部屋でライオスは小さくため息を吐く。
あまりに華奢な身体は、勢い余って壊してしまいそうな気がするほどだった。
身体だけ大きくなってしまった。
──村にいた頃から変わらずに、を好きなまま。
「……なにをやってるんだ、俺は」
ふう、ともう一度息を吐いたライオスは、気を取り直して食卓に着いた。食欲をそそる匂いに包まれたそこには、ファリンもいて、ライオスは頬を緩ませた。