気温はすこしも変化していないというのに、景色一つでこうも寒々しいとは不思議なものである。フェリシアが一生懸命集めた落ち葉を、持ち前のドジによって巻き散らすのを横目に、は目の前の木を見上げた。
 つい最近までは、白夜王国で春にしか咲かない桜という木で、薄紅色の花弁を舞い散らしていた。には馴染みのない花だったが、決して嫌いではなかった。

 それが今や、枯れ葉を所々つけた枝の先に、青々とした葉が丸く塊になってついている。宿木を前に、は深いため息と共にしゃがみ込んだ。

「カムイ様~……」

 この模様替えは、恐らく自分が原因である。それが知れたら、ジョーカーの小言は必至だし、白夜王国の面々もいい顔をしない。皆、桜を見上げては、懐かしそうに満足げに目を細めていたことをは知っている。

 カムイの自室で思わずぽろりと口から溢れてしまったのは、本音でも冗談でもある。
 たしかには言った。「もうすぐ冬祭りの季節ですよ、宿木くらいあったって良くないですか?」と、ほんの出来心でもあったし、あわよくば宿木の伝説にあやかりたいとも思った。まさか、ルビー色の瞳をあんなふうに輝かせるだなんて、思いも寄らなかったのだとせめて言い訳をさせて欲しい。
 雪が降っていないことを幸いと思えばいいのだろうか。は晴れた空を仰ぐ。

 常闇の暗夜王国にだって、祝い事や祭り事は存在している。暗夜の冬は、凍えるほどに寒い。そして、より一層暗い。冬祭りは、そんな中でも一縷の光のようで、人々の心を温めてくれるのだ。
 一方、白夜王国はこの時期、新年に向けて様々な準備を行うらしい。降り積もる雪も、白夜では陽を受けて白銀の如く煌くというのだから、それは眼福だろう。

「……具合でも悪いわけ?」

 呆れを含んだ声音は、端々に嫌味っぽさを滲ませていた。素直に心配などできない性質でありながらも、見て見ぬふりをしないやさしさを持ち合わせているのだから難儀である。
 振り向いた先では、タクミが何とも言えない顔でを見下ろしていた。

「まあちょっと胃が痛い思いです」
「はあ?」

 タクミが器用に片眉を跳ね上げる。「何だよそれ。痛いの、痛くないの、どっち」苛立ちが伝わってきて、は苦笑しながら立ち上がる。

「痛くはないですけど、胃痛がしそうなくらい頭を抱えてます」
「……あんた、またなんかしたの」
「またって。わたし、そんなにやらかしてました?」

 ジョーカーにあれこれ言われるのは日常茶飯事だが、それだってフェリシアよりは少ないし、一応ギュンターに鍛え上げられた騎士だ。不祥事を起こした覚えはない。
 は不服げにタクミを見たが、答えずに肩を竦めるのみである。

「えっ、ひどい。タクミ様にそんなふうに思われてたとは、心外です」
「ああそう。具合が悪いわけじゃないなら、僕はもう行く」

 もう興味は一欠片もありません、というように、タクミが踵を返す。馬の尾のような後ろ髪が、少しも引かれる様子もなく揺れながら遠ざかっていく。
 は脱力して、再びしゃがみ込んだ。じわじわと熱くなる頬を両手で覆う。

「あれ~? さん、どうしたんですか?」

 フェリシアの声が頭上から降ってくるが、すぐには顔を上げることができなかった。



 毎年、この季節になると、北の城塞は慌ただしくなったものだ。水面下で進められるパーティの準備は、決してカムイに気づかれてはいけないからだ。
 懐かしいと口にしながら、ジョーカーとフェリシアが朝から厨房に篭っている。フローラが不在では大変だろうとも顔を出したが、にべもなく追い出されてしまった。仕方なく、辺りをとぼとぼと歩く。

 ひらりと舞い落ちた枯れ葉を踏みしめると、クシャッと音が鳴る。寂しげで寒々しい木々だが、は好きだ。
 暗夜王国の冷えた空気を思い出して、心地がよい。周囲には白夜の人間ばかりの今は、とても口にはできないことだった。北の城塞が、今はひどく遠い。

さん?」

 なんとはなしに落ち葉を蹴飛ばしたを、不思議そうに首を傾げるカムイが見つめる。
 ピン、と反射的にの背筋が伸びる。

「カムイ様、もしかして見回りですか?」
「見回りよりも、散歩のほうが近いかもしれませんね」

 カムイがはにかむように笑う。
 当然ながら、いつも影のように付き添うジョーカーの姿はなかった。代わりに、白夜の忍が気配を殺して傍に付いているようだった。

「……なんだかこの景色、懐かしいですよね」
「えっ」
「北の城塞は、冬になると一層寒かったです。でも、さんたちのおかけで、すごく温かい気持ちで過ごせました」

 カムイがルビー色の瞳をやさしく細める。

「こんな所まで、私についてきてくれてありがとうございます」

 物心がつく前に攫われた白夜の王女は、それでも暗夜王国で過ごした日々をなかったことになんてしていない。

 どきりとした。
 には口にできないと思ったことを、カムイがこうもすんなりと言葉にするなんて、思いもしなかった。「だから、これはさんへのお礼です」ふふっ、とカムイが笑んだ唇に人差し指を立てる。

「宿木の下で、誰かと逢瀬なんて素敵ですね」
「はいっ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げたのことなど気にも留めず、カムイが笑みを深める。

さん、頑張って!」

 カムイが小さく拳を作る。
 は呆然としたまま、上機嫌にその場を立ち去るカムイの背を見送った。





 陽が沈むと、辺りの景色は益々暗夜王国を思わせた。宿木に背を預けながら、は目を伏せる。カムイに頑張れと言われても、何をどう頑張ったらいいのかわからない。の想い人は、白夜の王子だ。
 ジョーカーたちの料理が振る舞われている食堂へ、足を運ぶ気にはなれなかった。にとってカムイの御きょうだいは、今でもマークスやカミラなのだ。

 ──あまりに口にできないことが多すぎる。

 ふわ、と白い綿毛のようなものが視界にちらつき、は空を仰いだ。

「雪……」

 手のひらで受けたそれはたしかに冷たく、すぐに溶けて消えた。「あんた、ここで何してるんだ」刺々しい声音が飛んできて、冷や水をかけられたような気持ちになる。

「タクミ様。藪から棒に何ですか、のっけから随分と不機嫌ですね」
「……いつも、姉さんの傍をウロウロしているくせに」
「タクミ様、わたしのことを何だと思ってるんですか? わたし、カムイ様の騎士なんですけど……」
「知ってるよ」

 ふん、と鼻を鳴らしながら、タクミが宿木の根本に身を寄せてくる。楽しいパーティの最中だったはずなのに、抜け出してきたのだろうか。そう言えば、王族でありながらあまり人前が得意ではないと言っていた気もする。

「あんたの国では、今日は大事な人と過ごす日なんじゃないの?」
「はい、そうですよ」
「じゃあ何で食堂に来ないんだ」

 苛々とした口調で詰問され、は狼狽える。

「えっと、それは、わたしがお邪魔すべきではないと思ったので」
「どういう意味」

 間髪入れずに返ってきた言葉は鋭い。は眉毛を下げた。

「タクミ様? どうされたんです、そんなに怒るようなことありますか?」

 の困惑に気づいたのか、タクミが怒りを抑えるように長いため息を吐いた。苛立った様子で前髪をかきあげるタクミを、は不安に見つめた。

「僕はただ、あんたと……」

 ひゅうっ、と一際強い風が吹き抜けて、は寒さに身を竦めた。気がつけば、薄っすらと雪が積もっている。
 ふいに、タクミの拳が叩きつけるように木の幹を押さえた。宿木とタクミに挟まれる形になって、は身動きが取れない。まさかのタクミを風除けにしてしまっていることと、あまりに近い距離には混乱した。

「フェリシア、もう少し加減しなよ……!」
「た、た、タクミさま、」
「うるさいな! 大体、あんたが食堂にいないから」
「ち、ち、近いです~……」
「は?」

 はぎゅうと目を閉じて、顔を背ける。タクミの視線が突き刺さるのがわかるが、ちらりともその様子を伺うことができない。恥ずかしい。

「……何だよ、その顔」

 タクミの勢いがすっかり削がれている。
 何だよと言われても、と思いつつも、は返事ができなかった。慌てて両手で顔を覆い隠す。暗がりでもわかるほど、頬が紅潮しているのだ。
 再び吹き付けた冷たい風のせいで、一瞬だけさらに距離が詰まった。

「ほとんど吹雪じゃないか!」
「うちのフェリシアがすみません……」

 は恥ずかしさよりも申し訳なさが勝って、思わず頭を下げた。こつ、とタクミの肩口に額がぶつかる。
 はあ、とため息を吐いたタクミが帯を緩めて、腰元の毛皮を肩にかけごと包んだ。ぴたりと身がくっつく。

「……こんな所で凍死なんて冗談じゃない」

 いつもの軽口が凍りついてしまったように、の口はうんともすんとも言わなかった。顔を覗き込んでくるタクミが、目を細めた。

「ねえ、この木の下では、女性は口づけを拒めないんだって?」
「だ、誰がそんなことを、」
「ジョーカーに聞いたよ」
「そ、そんな伝説もありましたっけね、あは……は、」

 タクミの手がの顔を持ち上げて、引きつった唇を掠めるように奪っていく。それは、の声すらも奪ってしまい、それ以上何かを言い募ることはできなかった。
 自分から口づけておきながら、タクミが恥ずかしそうに目を伏せた。その顔が寒さのせいではない熱を帯びて、赤く染まる。

「僕は、と一緒に過ごしたいと思ってたんだけど、あんたはそうじゃないんだ」
「……タクミ様、ずるいです。宿木の伝説はそれだけじゃないんですから、タクミ様はわたしと永遠の愛を誓ったんですからね!」

 はぷいっ、と顔を背けた。先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、小さく笑ったタクミが「望む所だよ」と頬にも口づける。
 タクミ様、ずるい。は言葉にしないまま、タクミにぎゅっと抱きついた。
 雪が止んでもしばらく身を離せそうにない。

スノーマンとダンス

(新雪にふたりの足跡が並ぶ)