「ほんとうに、ほんとうにほんとうに、わたしたちが行かなければならないんですか?」

 モコモコに着込んで、すでに雪山入りの準備はばっちりだというのに、がドラゴンスパインを前にして俺の腕を掴んだ。
 俺にしてみれば、雪や寒さなどへのかっぱだったが、はそうではないらしい。この期に及んで往生際が悪い、と揶揄ったが最後、おそらく彼女はモンド城へと引き返すことだろう。それだけは避けたい。

「なに、すぐ終わるさ」
「……そう、でしょうか」

 へにゃり、との眉尻が下がる。
 そんなに寒さに弱いなら、温暖なモンド城を離れなけりゃいいのに。ふらっとどこかへ行っては帰ってこないを、俺はどうしたってこの手にすることができない。

「ほら、行くぞ」

 分厚い手袋に包まれたの手を掴む。一瞬だけ踏ん張ったが、眉を八の字にしたまま俺に続く。

「ガイアさん、ちょっと待ってください」
「ん?」
「どうしていつもと変わらない格好なんですか? 見ているこっちが寒いです」

 が首に巻いていたマフラーを外し、俺にぐるぐると巻きつける。「そういうは、雪だるまみたいで可愛いな」と笑えば、ぎゅっときつめに結び目を作られた。

「アルベドさんは、いつもの研究拠点にいるんですよね?」

 いつもの研究拠点。
 なんだ、ドラゴンスパインにいるアルベドを訪ねるのは初めてじゃないのか。
 「たぶんな」と、俺は肩を竦めて答える。アルベドは自由気ままだから、もしかしたら雪山に繰り出しているかもしれない。そうなれば、俺たちは雪山の拠点で待ちぼうけになるのだが、まあ別に目くじらを立てるようなことじゃない。

 何やらアルベドは、雪山で元素を用いた実験をしたいらしい。氷の神の目を持つガイアの力を借りたい、と名指しされたのは俺だけだったのだが、ついでにも適当な理由をつけて連れてきたのだ。ひとりでドラゴンスパインに行ったって、つまらないからな。

「では、早く用事を済ませて、モンド城に戻りましょう」
「せっかちなやつだな。まだドラゴンスパインに入ってもいないんだぜ」

 そう言って小さく笑えば、が軽く睨みつけてきた。悪いが、そんな顔をされたって痛くもかゆくもない。



 雪を踏みしめるたびに、ぎゅっぎゅっと音がする。
 の足跡が思った以上に小さくて、可愛く見える。それを上書きするように、俺はわざと自分の足跡を重ねた。

「フフ、せっかくの雪だ。怪談でもしてやろう」
「まあ、ガイアさん。口より足を動かしてくださいね」

 いつになく、真剣な顔をしてが振り返る。寒さのせいで、の鼻先も頬も赤くなっていた。

「寒いのか?」
「当たり前です」
「仕方ない、急いでやろうじゃないか」

 忙しないのは好きではないが、もたもたしていればに置いて行かれそうである。俺は、の手を握って、前を行くことにする。より背の高い俺を、吹きつける風よけにでもしてくれればいい。
 しかし、こんな分厚い手袋をしていたら、武器を握るのも一苦労だろうに。そもそも、これだけ着込んでいては動きづらいに違いない。ふと気になって後ろを振り返ってみるが、はいつもと変わらぬ足取りで俺の後をついてきている。が赤くなった鼻をすすりながら「どうかしましたか?」と首を傾げた。

「いいや、なんでもない」

 の顔ならいくらだって眺めていられるが、俺は前を向いた。よそ見をして雪に足をとられでもしたら、格好悪いことこの上ないからだ。
 少し速度を上げようと踏み出したとことで「あっ」と、後ろから声が上がった。ぎゅうと手を握られ、引っ張られる感覚がした。

──

 振り向いた先で、がこちらに倒れ込んでくる。
 分厚い手袋越しに咄嗟にの手を引いて、その身体が雪にダイブするのを何とか防ぐ。ぽふん、との身体は俺の胸元に収まったが、残念なことに着ぐるみを抱いた感触しかなかった。

「大丈夫か?」
「す、すみません、ありがとうございます」

 俺の腕にしがみつきながら、が顔をあげる。ずいぶんと近い位置で視線がかち合った。
 ぽわりと赤いその顔が、照れからくるものだったら嬉しいのだが、寒さによるものであることは明白だった。むしろ、こっちのほうが照れ臭い。

「あの、急かしたのに申し訳ないんですが、もう少しゆっくり歩いてくれると助かります」

 その距離を保ったまま、が言いづらそうに告げる。これだけ背丈が違えば、歩幅も違う。当然だ。

「ああ、すまんすまん」

 ぽん、と頭に手を乗せれば、が不服そうにかぶりを振った。


 辿り着いたアルベドの研究拠点には、ティマイオスの姿しかなかった。「アルベドさんがいない」と、が大げさに嘆くので、ティマイオスは慌ててアルベドを探しに行くことになった。かわいそうに。
 が篝火で暖をとりながら、毛糸の帽子を脱いだ。帽子から落ちた雪が髪の毛にくっつく。

 俺はに近づいて、指先でそれを払ってやる。
 雪が小さな粒となって、まるでの髪が粉砂糖でデコレーションされているみたいだった。美味しそうにすら見えて、ぱくりと食らいついてやりたいくらいだった。

「ガイアさん、寒くありませんか?」

 が心配そうに、マフラーやら毛皮についた雪を払ってくれる。別に寒くはないのだが、に心配してもらえて気分がいいので、あえて教えてやらない。

「そっちこそ風邪ひくなよ」

 赤くなった頬に指を這わせれば、がくすぐったそうに身を捩った。見た目通り冷えている。単なる思いつきでをドラゴンスパインにつき合わせた身としては、風邪をひかせたとなれば負い目を感じざるを得ない。

「わたしの心配よりも、自分の心配をしてください。そんな薄着で……」
「こう見えて、このマントは暖かいんだ」
「雪山仕様には見えません」
「ほう? 着てみるか?」

 が胡乱な目を向けてくるので、俺は肩を竦めた。

「ははっ、モンド城に戻ったらエンジェルズシェアで奢ってやるさ。目の前にニンジンがぶら下がってりゃ、やる気も出るだろ?」
「まあ、ガイアさん。わたしは馬じゃありませんよ」

 ふい、とが顔を背ける。
 そりゃあそうだ、お前は馬よりずっと可愛いさ。赤い耳朶を眺めながら、俺は小さく笑った。


「やあ、ガイア。待たせたね……あれ、も来てくれたのかい?」

 アルベドが不思議そうに首を傾げ、もまた不思議そうに俺を見上げる。
 ああ、まずはアルベドに口裏を合わせてもらうように頼むべきだった。そんな小さな後悔が生まれるが、もはやどうしようもないので、俺は素直に両手を挙げて「すまん、実はお前は呼ばれてない」と告げた。

「……ガイアさん」
「ハハハ」
「高いお酒をごちそうしてもらいますからね」

 は怒った声音を出しながらも、眉尻を下げて困ったように笑みを漏らした。

 それくらいで許してもらえるのなら、安いものだ。はとんだ甘ちゃんである。
 そういうところが可愛くて、愛おしくて仕方がないのだと──俺がそう思っていることをお前は微塵も気づかない。

「キミも人が悪いね、ガイア」

 アルベドが冷ややかに言ったが、別に構いやしない。ふふん、とアルベドに向かって笑ってやる。
 こうしてと二人きりで過ごせただけで、俺は満足しているのだ。繋いだ手の感触は残念ながら望んだものとは違っていたが、触れた頬の冷たさとその滑らかさが、指に残っている。

ふわふわもこもこの天使

(この上なく可愛いだろう?)