顔の造形だけで言えば、この学園でも上位に食い込むくらい整った顔立ちをしているだろうに、その難のありすぎる性格のせいでジョーカーにバレンタインチョコを上げようと考える女子はほとんどいない。そもそも受け取ってもらえない。
 彼が待ち望んでいるのは、義理だろうと何だろうと構うことなく、ただ一人のチョコレートなのだ。

 それを知っていながらも毎年せっせとチョコレートを作っては、ぞんざいに鞄に放り込まれる様子を目の当たりにする自分は、救いようがない。今年もまた、彼はただ一人のためだけに、ホワイトデーのお返しを丹精込めて作っていることだろう。明日を考えると泣けてくる。
 近年、目の前で捨てられることがなくなったと思えば、にとってみればとんでもない進歩なのである。


「おはようございます」

 いつものように出迎えたレオンの手には大きいな紙袋が二つあって、はごく自然にそれを受け取った。かなりの量だな、と思うと同時にレオンがもらったバレンタインデーのチョコレートの山を思って、すこしだけうんざりした。何せ、レオン一人では食べきれない量なので、にも処理係が回ってきたのだ。しばらくチョコレートは見たくもないと思う量だった。
 一部では冷たい、とも陰口を叩かれるレオンだが、名前のわかるものにはきちんとこうしてお返しを用意している。配るのはレオン自身ではないとしても、これは確かなやさしさである。

 ずしりとした重みを腕に感じたとき、レオンにひょいと紙袋を奪われる。「いいよ、これは僕が持つ」と言いつつ、一袋はいつの間にか寄り添っているゼロに渡している。

「今年も頼むね」
「はい、勿論でございます」
にはこっち」

 紙袋の中身とは違う様相をした包みが差し出される。いつものことながら、頭が下がる思いである。「ありがとうございます」と、は深く腰を折って包みを受け取った。
 顔を上げるとにやにやと笑うゼロに気づいて、は眉をしかめた。

「フフ……今年はどうなるかな、と思ってね」

 ちなみにこれは俺から、と素早く鞄の中に押し込まれる。鞄を開けられていることにも気づかなかった。は慌てて鞄の口を閉めて、ぎゅっと抱え込む。

「ま、落ち込んだら俺がじっくりたっぷり、気の済むまで慰めてヤるよ……」
「……それはどうも」

 はなるべく素っ気なく返したが、相変わらずゼロの顔にはにやにやとした笑みが張り付いていた。



 紙袋の中身がなくなったのは、昼休みが終わる頃だった。ほとんどの教室を回ったのではないだろうか。抜けがないか律儀にもリストアップされた紙をチェックして、はほっと息を吐いた。義理か本命かは定かではないが、レオンからと言えば皆頬を赤らめて受け取ってくれる。王子、と囁かれることだけはある。
 顔もよければ頭もいいし、良いとこの坊ちゃんときたら、ときめかないわけがない。近くに居すぎたせいか、にはそのときめきはないのだけれど、ふいにドキッとすることはある。
 ──けれどそれは恋ではない。

 すべて無事に配り終えました、とレオンに連絡を入れれば「ご苦労さま」とすぐに返信があった。そろそろ予鈴が鳴る時間だ。教室に戻らないと、と顔を上げたところでは廊下の向こうから近づく人影に気づいた。
 はっと息を呑む。反射的に踵を返したの腕を掴む手は、そのままの身体を近くの空き教室に押し込んだ。
 したたかに背を壁に打ち付けて、は呻く。

「おいてめぇ、何で逃げやがる」

 地を這うようなドスの利いた声だった。ジョーカーの指先が食い込むほどに頬を掴まれて、答えようにも口を開くことができない。痛みに涙目になったところで、ようやくジョーカーの手が離れた。ちっ、と鋭い舌打ち付きである。
 びくりと竦んだ身を誤魔化すように、は力なく笑って痛む頬をさする。

「ご、ごめんなさい、ジョーカー先輩」

 ジョーカーが不愉快そうに眉間の皺を深めた。「ヘラヘラするな」と、吐き捨てるように言われて、は下手くそな愛想笑いを消した。

「……あ、あの、教室に戻らないと」
「黙れ」

 は慌てて唇を結ぶ。沈黙が降りて、は激しく脈打つ心臓の音が聞こえていないか気になって、そわそわと視線を彷徨わせた。いや、何をどう繕おうとも、ジョーカーには無駄だとわかっている。どうせ、この想いはとうに知られている──
 キーンコーンカーンコーン、と予鈴が鳴り響く。間もなく授業が始まってしまう。

「…………」

 は俯きがちにジョーカーを見上げた。「授業が、」と、口を開きかけるが、睨みを利かされて押し黙る。
 そうするうちに、本鈴も鳴り終わってしまって、は初めて経験するさぼりというやつに落ち着かない気持ちになる。もし、教師がこの空き教室を覗いたら、と思うと気になって仕方がない。

 いまだ壁とジョーカーとの間に挟まれて、は身じろぎもろくにできず、視線を足元へと落とす。

「いつまでも捕まらねぇと思ったら、レオン様の使いか」
「は、はい……え?」

 頷いてから、はジョーカーの言葉を脳内で反芻させ、顔を上げた。ジョーカーがわざわざ自分を探してくれていたと言うこと、だろうか。すでに紅潮していた頬が、さらに熱を持つような気がした。

「わ、わたしに何かご用でしたか?」

 ジョーカーが顎先に指を添えて、思案するように目を閉じる。「そうだな……」と、呟きを落として、ジョーカーが瞼を押し上げた。はじっとジョーカーを見上げて、言葉の続きを待った。
 心臓が口から飛び出そうだ。
 いつもカムイだけを見ているその瞳が、を見下ろしている。

 ぎゅうっと握りしめていた拳を取られ、汗ばむ手のひらを開かれる。恥ずかしさに手を引っ込めようにも、ジョーカーの手がそれを許すわけがなかった。

「お前にやる」

 手のひらに握らされたのはちいさな小箱だった。はごくりと固唾を飲んだ。すぐには言葉が出てこなかった。

 まさかホワイトデーにお返しをくれるなんて、思ってもいなかった。
 毎年、カムイのおこぼれさえも貰えずに、飴玉一個やチョコレート一粒など、のために用意したことなど一度たりともなかったのだ。

「意味は分かるな」
「えっ、え? い、意味って──

 あまりのことには目を白黒させる。ジョーカーがため息を吐いたが、存外その顔は不機嫌なものではなかった。

「か、カムイ様に言われて仕方なく、とかではなく?」
「……カムイ様には毎年言われている」
「あ、そ、そうですか……」

 カムイの言葉を受けてなお、あの扱いだったということか。
 これまでのことに悲しむべきか、いまこの事態に喜ぶべきかわからずに、はただ眉尻を下げた。

「そろそろ首輪の一つでもつけておくべきかと思ってな」
「は、はい?」

 ふ、とジョーカーが笑みを一つこぼす。
 笑みに見惚れていると、おもむろにジョーカーがの髪をかきあげて首筋に唇を寄せた。びく、との身体が跳ねる。「これでもいいが、消えちまうからな」と、囁く声と共に吐息が触れて、唇が肌を吸い上げる。

「っ、じょ、」
「貸してみろ」
「あ、」

 手のうちから小箱を取り上げて、ジョーカーの手が包みを開けて、中身を取りだす。そうして、固まるの首にネックレスを装着させた。ジョーカーの指先が満足気に首元に触れる。

「正直癪だが、どうやら俺はお前に惚れたらしい。諦めが悪くてよかったな」
「せ、んぱい」

 決して甘い囁きなどではなかったが、ジョーカーの頬が薄らと赤らんでいることに気づいた。夢ではないのだ、とはようやく認識した。

「……すきです」
「知ってる」

 じわ、と目尻ん滲んだ涙を、ジョーカーの指先が驚くほどやさしい手つきで拭った。


 ガラッ、と勢いよく放たれた教室の扉に、はびくりと身を跳ね上げたが、ジョーカーが動じる様子はなかった。振り向いた先で、珍しく息を切らしたレオンの姿と、にやつくゼロの姿があった。

「授業さぼって何しているかと思えば……」
「おアツイねぇ、お二人さん」
「これはこれはレオン様、まさか授業を抜け出して探しに来るとは……」
「あ、え、レオン様?」

 ジョーカーがわざとらしく感心したように呟く。レオンの美しいかんばせが怒りに歪んでいるが、怒った顔もこれまた見惚れるほどに美しい。は恐縮して身を竦めた。

「放課後、迎えに行く」

 小さな声が耳元に落とされて、ジョーカーの手のひらがの頬をひと撫ぜした。そのままレオンに恭しく会釈して、ジョーカーが教室を後にする。

「慰める必要はなさそうだな、残念」

 ゼロがちっとも残念そうじゃない様子で、笑いを含んで言った。
 そうして、授業の終わりを告げるチャイムが鳴ったのだった。

想いを手のひらに

(触れた手は一等やさしかった)