「ほら、お前にヤるよ」

 ひょい、と投げたそれを、慌てた様子で受け止めたが間抜け面を晒している。
 丸い瞳がいつもよりも大きくて、瞬きに合わせて睫毛が上下するのがよくわかる。「わたしに?」と、ようやく絞り出したかのような声は、戸惑いに満ちていた。

「アーハァ、そうだっつーの。見りゃわかんだろ」

 どうも照れ臭くて、ぶっきらぼうな物言いになってしまう。沙明はそれを悟られぬように、さっとから視線を逸らした。

 ただの気まぐれ──と、片づけてしまえればよかった。
 前回の停泊で、は一歩も船外に出ることがなかった。一緒に街をぶらついていたしげみちが、ステラに土産を買いたいと言い出して、沙明の頭にはが浮かんだ。何故かなんて、沙明自身もよくわからない。

 よくわからないからこそ、沙明は殊更ぶっきらぼうになってしまう。よろしくない態度であることは承知している。セツがこの場にいたなら、咎められていただろうし、責め立てられただろう。
 それにしたって、からろくに反応がない。

「……いらねェのかよ」

 沙明はムスッとして告げる。
 簡易にラッピングされた紙袋を手にしたが、沙明の真意を探るように見つめてくる。今にも「セツじゃなくて?」と言い出しそうな顔をしているので、沙明は念を押した。

「船に引きこもってたちゃんにプレゼント。アンダァスタン?」

 距離を詰めると、その分だけが後退する。警戒しているのか、の顔が少しばかり険しい。
 こんな顔をさせたいわけではなかった。

「開けても、いいですか?」

 が、上目遣いで沙明を窺う。
 不安げに、不審げに、あるいは期待しているように見える。

「そりゃ構いませんけど? もうお前のモンだし」

 にやりと口角を上げれば、が視線を伏せた。

「……じゃあ、開けますね」

 紙袋を慎重な手つきで開ける様を、沙明は横目で見やった。中に入った小瓶を取り出して、が灯りに透かすように持ち上げた。
 ガラス瓶の中身がの瞳に映って、虹色に輝く。

「すごくきれい……」

 強張っていたの顔に、ようやく笑みが浮かぶ。沙明は内心でひどく安堵しながら、しかしそれを表に出さぬよう細心の注意を払った。

「ちなみにそれ、食いモンな」
「えっ! 食べられるんですか?」
「琥珀糖っつーんだとよ。ま、せいぜい大事に食べろよ?」

 の頭をポンと軽く叩く。
 首をすくめたが、沙明の手が触れた部分を押さえながら「わかりました」と、小さく頷いた。

「ありがとうございます、沙明」

 少し頬を上気させ、はにかむように微笑んだから、沙明は目を背ける。
 を喜ばせるつもりだったとはいえ、こうも素直に礼を言われては、調子が狂う。いつもはよく回る口が、錆びついたように動いてくれない。

「あー……んじゃ、そんだけだから。俺ァ行くわ」

 沙明は素っ気なく答え、踵を返す。その瞬間、辺りが赤く光って警告音がけたたましく鳴った。
 咄嗟に、沙明はを引き寄せる。小さな悲鳴がLeViの声にかき消された。グノーシア──ルゥアンで命からがら逃げてきたというのに、安全だと思ったこの船にも“それ”がいるらしい。

「ハッ、冗談きついっつーの」

 怒りなのか、恐怖なのか、の肩を抱く手がぶるりと震えた。

「沙明、」
「……あ?」

 が沙明を見あげる。
 小瓶を大事そうに胸に抱えながら「大丈夫」と、が息を吐き出すように静かに言った。

「絶対に、大丈夫です」

 それは沙明に向けているようでいて、自分に言い聞かせているようにも見えた。沙明は怪訝に眉をひそめたが、次にはふっと口角を上げた。

「大丈夫、ねェ……どっからその自信がくんのか知らねェけど、まあアレだ。お前は俺を信じてりゃイイんだよ、、オゥケイ?」

 沙明はぐっとに顔を近づける。逃れようと身をよじったの肩を引き寄せ、沙明はじっとその目を見つめた。戸惑うようにの視線が辺りを彷徨う。
 薄々気づいていたが、どうやら沙明はに信用されてないらしい。
 何か信用を失うようなことをしただろうか、と考えてみるが、思い当たりがありすぎてどれがの心証を悪くしたのか定かではなかった。

 きゅっと結ばれていたの唇が、おもむろに開く。沙明は目を細めてそれを見つめた。

! よかった、ここに……」

 駆け寄ってきたセツが緩めた表情を一転させ、厳しい顔つきで沙明を見た。「に触るな」と、温度のない声とともに、沙明の手はの肩から引き剥がされて捻り上げられる。

「ちょっ、待て待てセツ! 何か勘違いしてんだろ!?」
「悪いが、君に弁明の余地はない」

 セツの声はどこまでも冷たい。ひくり、と沙明の口角が引きつる。

「セツ、沙明を離してあげて。守ろうとしてくれただけだから……たぶん」
、おま……いらねェ言葉つけてんじゃねーよ!」
「いちいち大きな声を出さなくても聞こえている。わかった、の言葉を信じよう」

 ため息まじりに言って、セツが手を離した。

 細身に見えても、やはり腐っても軍人である。沙明一人など、その気になればどうとでもできそうだ。
 セツの嫌がる顔を楽しんでいた節もあったが、あまり揶揄うと痛い目に合うかもしれない。沙明は己の振る舞いを少しばかり改める気になった。

「皆、メインコンソールに集まっている。行こう」
「あ、はい」
「……、それは?」

 セツが、の胸に抱くものに気づいて、問う。一瞬、窺うようにの視線が沙明を捉えた。沙明は気づかないふりをして、足早に二人の脇を通り過ぎる。が何て答えるのか気になって仕方がない──のだが、やはりそれを悟られては、格好がつかない。


「大事なものです」


 だから、の答えは、沙明の耳に届くことはなかった。








 前を歩くが、ふと足を止めた。かと思えば、吸い寄せられるように出店に近づいていくので、沙明はその手を掴んだ。振り返ったが、まるでいま沙明の存在に気づいたとばかりに目を丸くした。

「ったく、危なっかしくて見てらんねーわ。何か気になるモンあったのか?」
「は、はい。すみません、わたしが迷子にならないように付いてきてくれていたんですね」

 船を降りてからもずっと、難しい顔をしていたが、ほっとしたように表情を緩めた。

「……琥珀糖が、気になって」
「琥珀糖?」

 聞き覚えのない単語に、沙明は片眉を跳ね上げた。が「あれです」と指を向けた先に、キラキラとした宝石のようなものが、小瓶に詰められて並んでいた。

「食べ物だと聞いたんですが、以前頂いたときには、大事にしすぎて食べられなかったんです」
「で、心残りだったってか? 食い意地張ってんなァ」

 沙明はケラケラと笑った。
 が目を伏せて、寂しげに笑みをこぼした。そのときのことを思い出しているのだろうか。

「大事に食べろよ、って言われたのに」

 誰を、何を、思っているのか。沙明にわかるはずもない。
 けれども、何故だか無性に腹が立った。「仕方ねェな、俺が買ってやるよ」と、沙明はやけに大きな声を出し、掴んだままのの手を引いて出店の前に立った。が呆然と沙明を見あげる。

「ホレ、俺の気が変わんねェうちに、さっさと選べよ?」
「えっと、じゃあ……」

 がキョロキョロと視線を迷わせる。そうして、の手が伸びた。

「これにします。何となく、沙明っぽい気がしませんか?」
「ハァ?」
「ふふ。ほんとうに、ただ何となくですけどね」

 その小瓶に詰められた琥珀糖は、アメジストのように輝いていた。沙明っぽい、の意味がわからずに、沙明は眉をひそめる。
 観光客向けなのだろうその小瓶にはすでに小さなリボンが結ばれていて、ラッピングの必要もない。支払いを済ませて、沙明はそのままに小瓶を手渡した。

「俺様を思い出しながら食えよ?」

 がきょとんと瞳を瞬く。

「はい、そうします」

 小瓶を大事そうに胸に抱いて、が微笑んだ。「船に戻ったら、一緒に食べましょう」と、笑いかけられて、沙明は満足して口角を上げた。

あの日のロマンス

(今度こそ、とが小さく呟く)