こつ、と窓を叩く音に顔をあげる。
はぎょっとして、慌てて窓を開けた。ふわ、と外の冷たい空気が部屋に入り込んでくる。
「こんばんは、さん」
ゴーグルの向こうにある瞳が柔らかく細められる。赤い羽根をはためかせて、ホークスが窓から室内へと降り立った。
いつも思うのだが、大人しくドアから訪ねて来れないのだろうか。背中に羽根がある限り、人目を忍ぶなんてことはヒーロー界No.2の男には不可能に近いのかもしれないが、ホークスならやってのける。はそう信じているので、こうして窓からやってくるのは、自分を驚かせるためだと思っている。
どこから飛んできたのか知らないが、ホークスの鼻先と耳が羽根と同じような色をしている。温かい飲み物を淹れようと、はキッチンに行くためホークスに背を向けた。
「さんはあったかいな」
背後から伸びた手が、を絡めとる。耳朶にホークスの吐息が触れた。
「は、離してください」
「んー、嫌です。というか、毎回毎回、さんは隙だらけで助かります」
「……ホークスさんを信頼しているつもりだったんですけど」
ホークスの笑い声に対し、は目一杯尖った声を出した。から見て、ホークスはいつだってヒーローらしいヒーローなのだ。
はわずかに首を捻って振り返る。眼鏡越しに睨みつけても、あまり効果はないようだった。
「わたしで暖を取るのはやめてください。いま、コーヒーを淹れますから」
ホークスの腕が緩む気配はない。
本気で嫌がるそぶりを見せれば、きっとこの腕は容易く解けるのだろう。ホークスは、をきちんと見ている。を傷つける真似はしない。
ホークスが何も言わないまま、の首筋に顔を埋めた。顎髭が肌に触れて、くすぐったい。は反射的に首をすくめる。
ふ、とホークスの息が、肌をかすめていった。
「コーヒーはいただきます。でも、今日は他にも欲しいものがあるんですよね」
ひゅっ、と赤い羽根が一枚、飛んでいく。カレンダーの前で止まったそれが指し示す意味を、はすぐには理解できなかった。眉をひそめる。
「あれ? やだな、さん。今日はバレンタインデーじゃないですか」
「バレン……えっ、バレンタイン?」
にはあまり縁のないイベントごとだ。欲しいものとは、つまり──
ホークスの腕が緩んだかと思えば、くるりとの身体が反転した。ホークスがにこりと笑って、の顔を覗き込んでくる。
「そう、さんのチョコレートです」
はあ、と気の抜けた返事をしてしまったのも致し方あるまい。
がチョコレートを用意していないことなど、ホークスだって承知しているはずだ。それなのにわざわざ、バレンタインデー当日に訪ねてくるなんて、とはホークスをまじまじと見つめた。
バレンタイン云々は口実で、他に何か目的があるのだろうか。思わず疑ってしまうが、ホークスの真意などわかるわけがない。そもそも、ホークスのような超売れっ子プロヒーローの目的が、もはやヒーローですらないにあると考えるのも不自然だ。
「えーと、さん?」
ホークスが珍しく視線を泳がせた。鼻先の赤みは引いていたのに、今度は頬が赤い。
そこでは距離の近さに気がついて、慌てて身を離した。
「す、すみません」
「いや、もっとじっくり見てもらってもいいんですけど……何ていうか、調子狂いますね。さんが及び腰じゃないと」
「…………」
案外、強気でいけばホークスはあっさり引いてくれるのかもしれない。けれどもやはり、にはそんな度胸はなかった。
「……コーヒー、淹れますね」
はあ、とため息が出る。ホークスがいつもの調子で「お願いします」と言って、定位置であるダイニングテーブルの椅子に座った。
脱いだジャケットを、個性を使ってポールハンガーに掛けようとするので、は直接受け取った。形が崩れないようにハンガーを使う。
「さんはいいお嫁さんになりますね」
ヤジが飛んできたような気分で、はホークスを振り返った。
頬杖をついたホークスがニヤニヤと笑っている。
「ホークスさんは、そういう冗談ばっかり」
「冗談じゃないですって、本気でそう思ってますよ? ついでに言えば、さんがお嫁さんになってくれたらなーってマジで思ってます」
にやけた顔が、ふと真剣みを帯びる。
は何と答えたらよいのかわからずに、言葉に詰まった。本気なのか冗談なのか、判別が難しい──いつもだ。
ホークスが自分を慕ってくれているのはわかる。けれども、それが恋慕なのかまでは、にはよくわからないのだ。
一度だけではない過ちを犯してしまっているせいかもしれない。
ホークスの瞳は、の反応をつぶさに見つめているようだった。は目を伏せる。
ちょうどお湯が沸いて、はキッチンに逃げ込んだ。
及び腰にだってなる。
いつ、また”間違い”を犯すとも限らない。ホークスに触れられた箇所が、今さら熱をもつ気がした。
「……」
ふたつのカップにコーヒーを注いで、お茶請けを用意する。バレンタインデー用のチョコレートなんてなければ、チョコレート菓子すらもなかった。
「すみません、ホークスさん。本当に、チョコレートがなくて」
クッキーを乗せた皿を、コーヒーと共に差し出す。
ホークスが頬杖をついたまま、を見つめてくるばかりで、うんともすんとも言わない。
「ホークスさん?」
ふいに、ホークスの手がの手を掴んだ。びくっ、と身体が跳ねる。
「じゃあ、チョコレートはいらないんで、さんの愛をください」
「な、んですか」
「そうだ、さんからキスしてくださいよ。こう言っちゃあれだけど、いつも俺が無理やりしてるようなもんでしょ?」
「……自覚があったんですね」
ちょっとした嫌みのつもりだったが、ホークスには屁でもなかったようだ。「はは、すみません。我慢が利かないもので」と、悪びれずに笑う始末だ。
──いつも、こうやって揶揄われてばかりいる。
のほうが年上だし、元ではあるにせよプロヒーローとしての先輩でもある。
「ホークスさん」
はわざとらしく、むっとした顔をして見せる。侮らないでほしい。
「目を瞑ってください」
「え? あ、ハイ」
ホークスが目を閉じたのを確認して、は意を決して唇を押しつけた。ぎゅ、と掴まれた手に力が籠るのがわかったが、のほうがよほど緊張に身をこわばらせていた。
ちら、と薄目でホークスの様子を窺う。きちんと瞳は閉じられたままだ。
唇を離す。
恥ずかしくて俯いてしまいそうだったが、はじっとホークスを見つめた。
「……これで終わりですか?」
「終わりです! あんまり調子に乗らな」
「馬鹿だな、さん。調子に乗るに決まってるじゃないですか」
掴まれていた手を引かれて、はバランスを崩す。ホークスの腕がを抱きとめた。
「あー……ヤバいな。今すぐさんが欲しい」
えっ、と思ったときには、先ほど離れたばかりの唇に口を覆われていた。