手のひらに乗せた小さな物体を見つめるレムナンの顔は、訝しげである。「君たちの呑気加減には呆れを通り越して、哀れみを覚えるよ。まったく馬鹿げているとしか言いようがない」と、息つく間もなく言い切ったラキオが、指でつまみ上げたそれをレムナンの手のひらに放った。
思いの外勢いがよかったせいで転げ落ちそうになって、レムナンが慌てている。
「ら、ラキオさん……」
「レムナンにあげるよ。僕はこんなものを口にする気はないからね。当然だろう? チョコレートだかなんだか知らないけど、わざわざ溶かして捏ねくり回す奴の気が知れないよ。ああ、が作ったンだったね。一体どういうつもりで」
「ラキオさん!」
レムナンが叫ぶように言って、ラキオの言葉を遮った。一瞬、目を丸くしたラキオが、興が削がれたとばかりにため息を吐いて踵を返す。
は呆然とただそれを見つめていた。
「すいません……」
レムナンが、ラキオの非礼を詫びるように恐縮しきっている。ははっと我にかえると、慌てて首を横に振った。
「いえ、レムナンが謝る必要なんてないですよ」
俯きがちに、レムナンが窺うように視線をあげた。
目が合ったかと思えば、すぐに目蓋が伏せられる。レムナンの長い睫毛が、その瞳に繊細な影をつくっていた。
「ラキオの言うことも、もっともです。レムナンも無理しないでください」
手のひらに乗ったままのふた粒のチョコレートは、どこか物悲しげである。「溶けちゃいますよ」と、はチョコレートを回収しようと手を伸ばした。
「あ……そ、その……いただきます!」
レムナンが手を引っ込め、意を決したようにチョコレートを口に入れた。固く目を瞑って咀嚼していたレムナンだが、ふと不思議そうに開けた瞳を瞬いた。チョコレートを見るのは初めてなのだろう。
ごくんと嚥下して、戸惑ったようにを見やる。「あまい……」と、呟くレムナンの唇の端がチョコレートで汚れている。
「お口に合いました?」
くす、と笑って、はウェットシートを差し出した。口元を示すと、レムナンが慌てた様子で唇を拭う。
「お、美味しかった……です。あの……僕が貰って、よかったん……でしょう、か……」
レムナンが不安げに視線を彷徨わせる。
「もちろんです、レムナン様。寧ろ、食べてくださらないと困ります。何せ、ジョナス様がうっかり溶かしてしまったチョコレートは大量ですもの」
ステラが困ったふうに言って、焼き上がったガトーショコラをテーブルに置いた。
「お料理が得意な方がいらっしゃって、助かりました」
にこりと笑って、ステラが食堂の奥へと消えていく。
その背を見送って、はテーブルに視線を戻した。レムナンが興味深げにガトーショコラを見つめている。
食べ物に関する雑談をした際、レムナンは調理用プラントから食べられるものが出てくることに感動していたから、あまり恵まれた食事環境になかったのかもしれない。
「そのケーキは、焼きたてよりも、すこし時間をおいたほうがおいしんです」
「そう……ですか」
「はい。だから、あとで──」
みんなで食べましょう。
は、その先の言葉に詰まって、一度唇を結んだ。その“みんな”には、自分が含まれていない可能性だってある。
不自然に言葉が途切れたことを不審に思ってか、レムナンが伏せていた瞳をに向ける。そこで初めて、はレムナンの目が竜胆色をしていることに気づいた。
「さん……どうか、しましたか?」
「……ううん、なんでもありません」
「ちょっと君達、まだこんなところに居たわけ?」
刺のある声に振り向けば、ラキオが腕組みして立っていた。とレムナンの視線を受けて、ラキオが片眉を器用に跳ね上げる。
「やれやれ……わざわざ僕が迎えに来てあげたンだ、さっさとしなよ。ああ、この甘ったるい匂いには吐き気がする」
ラキオがかぶりを振るたびに、頭の羽飾りが揺れる。
「……失礼ですよ、ラキオさん」
レムナンの声音は強張っている。レムナンの珍しい反応に対し、ラキオが口角を上げた。そこから飛び出すマシンガントークを予感して、は慌てて口を開いた。
「ごめんなさい、ラキオ。すこし悠長にし過ぎましたね。ステラたちとすぐに行きますから、レムナンとラキオは先にメインコンソールに行ってください」
物言いたげなレムナンの背を押しやる。
食堂のドアが閉まる前にラキオの文句が聞こえてきて、は肩を竦めた。
「……ラキオ。しゃべり過ぎ」
いつの間にか、隣に並んだジナが不快感を示す。こうやって、議論中もみんなのヘイトを集めているのだな、とは納得した。
ステラが小走りやってきて「すみません、様おひとりを矢面に立たせてしまって」と、平身低頭である。
「いいえ、いいんです」
慣れてますし、と言いかけるが、は苦笑を漏らすにとどめた。このループは始まったばかりで、みんなと知り合ってまだ日が浅いのだ。ジナもステラも、まだどこか余所余所しさを感じる。
「わたしこそ、片付けを任せてしまってごめんなさい」
「……大したことじゃない」
「ええ、ジナ様のおっしゃるとおりです。さあ、私たちも行きましょうか。遅れては、ラキオ様に何を言われるか……」
ふう、と困ったようにため息を吐くステラは、まるでジョナスを相手にしている時のように呆れた顔をしていた。
票が割れに割れて結論が出ず、議論を引っ掻き回した張本人であるラキオが「今晩はここらでやめよう。 僕は……そろそろオネムの時間だよ……」と、あくび交じりに告げてさっさとメインコンソールを後にする。
「カーッ、やっとお開きかよ! 時間かかり過ぎな。つーかよ、腹減らね?」
「はいはーい、SQちゃんも腹ペコなのDEATH!」
ぺろ、と舌を出しておどけたSQがステラを振り返る。
「ねね、ステラ。食堂でなんか作ってたよNE?」
「はい。あまり時間はありませんが……よろしければ皆様、食堂においでください。ジナ様と様が、チョコレート菓子を作ってくださいました。紅茶をお淹れしますね」
「んふ、楽しみー。さ、行くっスよ、沙明隊長! ジナとのラヴが詰まったお菓子が待ってるっスよ」
眉をひそめたジナと目が合って、は苦笑する。
沙明の背中を押して部屋を出て行くSQに、ステラが続き、まるで蜜に引き寄せられる蝶のような足取りでしげみちが付いていく。
「悪ぃけど、俺は寝るわ」
片手を上げて、シピがメインコンソールを出ていく。
「……馬鹿馬鹿しい」
冷たく吐き捨てる夕里子の足は、食堂とは別の方向に向いていた。「感じわるいなー夕里子」と、コメットが唇を尖らせながら、しげみちの後を追いかける。
迷うそぶりを見せるセツの手を、ククルシカとオトメが引く様は無邪気に戯れるみたいだった。後ろについたジョナスが、それを眩しげに目を細めて見ている。
「も行くだろう?」
少し焦った顔でセツが振り返るので、は大きく頷いた。ジナがを促すように、そっと微笑んで歩き出す。
人の波に流されるように、皆と同じ方向に進んでいたレムナンが、ふと足を止めた。
「レムナン、どうかしましたか?」
「あ……、さん…………その……」
「あ、みんなでお茶なんて、もしかして嫌でしたか? ごめんなさい、無理に誘って」
「ち……! 違います、そんなッ……」
珍しくレムナンの声が大きい。前を行くジナが、不安げに振り返った。
「ジナ、先に行っていてください」
「……うん。わかった」
ジナの姿が見えなくなる頃、ようやくレムナンが口を開いた。「さん」と、絞り出すようなその声はわずかに震えていた。
固く閉じられていた瞳がおもむろに開いて、竜胆色にの顔が映る。長い睫毛の瞬きが忙しない。
「、さんの……作った、料理を……また……食べたい、です」
「え?」
「だ、だから……! その……一緒に、」
ぐっ、とレムナンが拳を握りしめた。もしかして、協力を持ちかけられているのだろうか。いつもと少し違っているので、気づくのが遅れてしまった。
「? 空間転移まであまり余裕が……」
レムナンがはっと息を呑んだ。セツが「レムナン?」と、不思議そうに瞳を瞬く。
「す、すいません……僕が、引き止めて……」
「セツ、すぐに行きますから」
何か言いたげなセツだったが、小さく頷いて踵を返した。
レムナンが、顔を伏せて押し黙る。
「わかりました。約束します、今度またレムナンのためにお料理をします」
「え……?」
「まずはケーキを食べましょう。すごく上手に作れたんですよ」
「あ……は、はい……」
歩き出したの後を、レムナンが戸惑いながら付いてくる。
今夜にでも消えてしまうかもしれない我が身を思うと、“今度”の約束を口にすることすらも憚られるような気がしていた。食堂の前で足を止め、はレムナンを振り返る。
「ぼ、僕……頑張り、ます……」
レムナンが顔をあげる。はにかんだ微笑みを浮かべたレムナンは、まさしく薄幸の美青年である。
柔らかく細められたその瞳が美しくて、は思わず見入ってしまう。「入り、ませんか?」と、レムナンが優しくの背を押した。フォン、と音を立てて食堂のドアが開く。
「あ……よかった、まだ僕たちの分も……残って、ます」
レムナンがうれしそうに言って、そっと笑う。も釣られるよう笑い返した。