――家族に紹介する。
 互いの任務の合間に告げた、俺なりのレイラへの想いを乗せた大事な言葉だ。レイラの驚き――だが嬉しそうな面が俺の頭に焼き付いて離れない。ちゃんと返事を聞いておけば良かった。真正面からレイラの返事を受け止められるほどその時の俺に余裕はなくて、照れ隠しに言うだけ言って背を向けてしまった。 俺の故郷にレイラを連れて行く。そして密偵の仕事から遠ざけて、日の当たる場所で俺の帰りを待ってもらう。そんな温かな夢を俺は描いていた。
 だが、現実はどうだ。ザク、ザクと土を掘り返しては喉を番えるもの苦しさが胸内を支配する。どこに吐けも出来ない怒りは、冷たくなったレイラの白い肌に癒される筈も無く。ただ、ただ、動かないレイラの為の落ち着ける場所を掘り続ける事しか今の俺には出来ないでいた。











 黒い牙に潜入していたレイラが殺され、一年が過ぎた。俺は変わらずオスティア家に仕え、密偵として居る。若さま――ヘクトル様もオスティア侯爵として領主の務めに馴染んできた。それ程の時が経っていた。
 馬の背に跨り、海辺の丘から微かに見えるヴァロール島を見ていた。あそこにはレイラが眠っている。

「結局、連れて帰ってやれなかったんだよな……」

 肌寒く感じる季節になった今でも、色褪せつつある記憶の中で俺はレイラのあの冷たく硬直した身体の感触を忘れられないでいる。血の気のないレイラの身体から、もっと早く島に着いていれば助けられただろうか、などといった遣り切れない考えを何度と繰り返してしまうからだ。前を向いて歩こうと決意しても、振り返らないとは決めていない。忘れられるわけがなかった。

「マシューさん、寄り道ですか?」

 後方から女の声がした。だ。三年前から密偵として働いている、レイラの後輩だ。今は俺の下で経験を積ませている。レイラの後輩といっても、実際はレイラからの報告をウーゼル様に届ける簡単な役目を負う程度にしかレイラとの接点はなかったらしい。密偵の中でも、まだ一人で任務をするには心許無い程度の者だ。やる気はあるようだが、正直、俺は密偵に向いていないと思っている。
 ヘクトル様から面倒を看るようにとを託された当初は、字の如く面倒にしか思えなかった。単独で仕事する方が楽だし、経験の浅い奴を抱えるということはそれなりのリスクも伴って責任が課せられる。だが、そう思っていたのも最初の内だけだった。 確かに実力はまだまだだ。詰めが甘いと感じることはある。けど、と過ごす日々の仕事は決して嫌には思わなかった。

「予定より早く終えましたし、少しくらいなら寄り道出来そうですよ?」
「寄り道しようと思ってこっちの道を通ったわけじゃねえよ。……ちょっとな」
「ちょっと……? あっ……」

 俺が見るその先にレイラが居る。そのことに、も何かしら思いを馳せているのだろう。の乗る馬も主の心境の変化を察したのか、小さくぶるっと震えた。
 いつか、必ず、レイラを迎えに行く。そう決めていた。土に還っていたとしても、その土を必ずオスティアに持ち帰る。あんな鬱蒼とした森の中ではなく、オスティアの優しい風が吹く陽だまりに連れ出すんだと。その気持ちは今でも変わらない。俺の中で未だに刻み切れていない時が残っている。

――痛っ」
「しゃんとしてください!」

 の平手が俺の背を痛み強く支える。ぐっと尚も押されるの手が外套越しであるというのに熱く感じた。

「振り返るのは構いませんけど、立ち止まっちゃ駄目ですよ」

 先とは違った優しい声音だ。へと向き直れば、が穏やかに笑っている。
 一年前にとても大切なものを失った。失ったと同時に持たされた遣り切れない怒りと苦しみをも、俺は乗り越えてきた。それでも日々少しづつ薄らいでいく悲しみが恋しくて、立ち止まりたくなる。俺のそんな悪い癖を、ヘクトル様は見抜いていたのかもしれない。腫物に触る真似などせず堂々と俺に物言うに、俺は何度背を叩かれたか。のその変わらない態度が、俺の持ち続ける荷の重さを感じさせなくする。

「痛ぇよ」
「これでも手加減してるんですよ?」
「どんだけ力有り余ってんだよ」

 込み上がる嬉しさと可笑しさに思わずの頭をくしゃくしゃに撫で付ける。

「わっ、何するんですか!」
……ありがとうな」
「はい? 今、マシューさん、何か言いました?」
「何でもねーよ」

 黄昏時に移る空を見上げ、から手を離した。手に残る感触がどことなく名残惜しいと感じるが、少しばかり強まった海風の中にいつまでも居るわけにはいかない。

「行くか」

 手綱を握り返しながら俺はヴァロール島を背に「またな」と、レイラに告げた。