「ツ~バキさ~ん!」

 もう聞き慣れた声で名前を呼ばれる。
 申し訳ないことに、その声を聞いた途端、悲惨だ・・・と思ってしまった。
 声の主である少女は、ツバキのそんな心の内など、当然のことながら知らず、彼に歩み寄って来る。

 「あの、ツ・・・って! ちょっと! あの!」

 話しかけられるより早く、ツバキは早足でその場を離れる。背後から「待って下さい!」という声がし、誰かが追いかけてくる気配がする。・・・誰か。ああ、振り返ったら、彼女が別人になっていたらいいのに。

 「あの、ツバキさんってば!」

 競歩状態だった現状に、終わりを告げたのは、やはり彼女の方だった。ガシッと腕を掴まれる。

 「な、なんだい? 
 「・・・顔が引きつってます」
 「そんなことないよー」

 そんなことある。ツバキも自覚しているのだ。自身の顔が引きつっていることに。
 はっきり言おう。ツバキは少々彼女が苦手である。我が強いというか、強引というか・・・悪い子ではないのだが。また、見た目からは想像つかない。大人しめな容姿をしているというのに。

 「ツバキさんって、いつも“完璧ー”って言ってますけど、本当は・・・」
 「あー! それ以上は言わないでいいからねー!」
 「・・・やっぱり内緒なんですね」

 ツバキが苦手とする理由がこれだ。
 彼女は、どうやらツバキに興味があるらしい。いや、尊敬しているというか。それは、大変喜ばしい。だが、それ故いつも追いかけてくる。色々と見られている。そう、彼がした失敗のいくつかを見られているのだ。
 つまずき、転ぶ。または武器の整理をしていて、薙刀が倒れてきて頭を直撃(色んな意味でかなり痛い)、または慌てた拍子に水たまりに足を突っ込む等々・・・。
 それを逆手に取って、からかわれたり弱みを握られたり・・・ということはないのだが、秘密を知っている人物がいるというのは、気分がよくない。
 もしも、見られたのがオロチだったなら、死ぬまで弱みとして握られそうだが。
 だが、ツバキが彼女を苦手としているのは、それだけが理由ではないのだが・・・。

 「・・・それで? 声をかけてきた理由はー?」
 「手合わせをお願いします!」
 「手合わせかー。それって、オボロとかじゃ駄目なのー?」
 「え??」

 言われた言葉が予想外だ・・・という表情のに、ツバキは「だってさー」と続ける。

 「俺よりも、同じ女の子の方が、遠慮しないで出来るでしょー?」
 「・・・まあ、そうですね」
 「だったら、やっぱりオボロの方がいいんじゃないかなー?」
 「ツバキさん、迷惑なんですか?」
 「いや、迷惑ってことはないけどー・・・」

 しょぼん・・・と落ち込んだ表情を見せるに、ツバキは首を横に振る。
 迷惑というか、本当に思うのだ。男の自分より、女のオボロの方が、の相手としてちょうどいい、と。
 悪い事言ったかな?と思った瞬間、がパッと顔を上げた。その目は輝いているようで。

 「迷惑じゃないんですね?? じゃあ、お願いします!」
 「えぇ!? い、いや迷惑じゃないって言ったけどさー!」
 「じゃあ行きましょう! 汗をかくのは、いいことですよ~!」

 もしかして、答えを間違ったかもしれない・・・。
 結局、今回もこうしての相手をさせられてしまった。別に嫌ではない。嫌ではないのだが・・・胸がもやもやする。

 「ありがとうございました、ツバキさん!」
 「いやーあははー・・・」

 手拭いで汗を拭き、が丁寧に頭を下げる。いい子だ。いい子なのだが、ツバキは彼女が苦手なのである。
 いや、知っているのだ。このもやもやの正体も、彼女を避けたい理由も。だが、認めると、そのまま彼女に自分の気持ちを押し付けてしまいそうなのだ。
 はツバキを慕っている。それは間違いない。だがしかし、それを男女の関係と捉えるのは早計すぎるだろう。
 「うーん・・・」と腕組みをして、悩む。完璧主義者の彼が悩むなど、めずらしい。

 「ツバキ、考え事?」
 「あー、カザハナー」

 ツバキと同じく、サクラに仕える侍の少女は、いつも元気溌剌としている。悩みごとなどないのだろう。いや、余計なことは言わないけれど。十中八九、ぽかぽかと殴られる。

 「うん。ちょっとねー。女の子の扱いって、難しいなーって」
 「ああ、のこと?」
 「なんでわかったー?」
 「あんたがに追いかけられてんの、いつも見てるし」
 「あー・・・」

 もはや日常茶飯事と化してしまったため、周りの人たちも知っているのだろう。

 「迷惑だって言ったら?」
 「うーん・・・迷惑ってわけじゃないんだよねー。まあ、この辺は複雑だから、カザハナはいいよ」
 「ちょっと! あたしが単細胞みたいじゃないの!」

 おっと、余計なことを言ってしまった。慌ててツバキは「じゃーね!」とその場から逃げ去った。
 の去った方向と、同じ方へ来てしまったのは、まったくの偶然だった。
 見ようと思って見たのではない。本当に偶然。
 嬉しそうな表情で、カムイ王子と話しているを見つけたのも、偶然。
 足が止まった。一体、自分は何を見ているのだろう? 目の前の二人は、どうして楽しそうなんだ? 彼女なんて、恥ずかしそうにはにかんでいるではないか。

 「あ、ツバキさん」

 がツバキの姿に気づく。カムイも「やあ」と声をかけてきたので、丁寧に頭を下げた。
 二言三言、カムイと言葉を交わし、カムイが二人の元を去って行く。はその背中を見つめていた。

 「・・・追いかけたら?」
 「え??」
 「カムイ様のこと」
 「どうしてですか?」

 そんなこと、言わせないでほしい。ツバキはその問いには答えず、桃の木の下へ向かう。もついてきた。

 「ツバキさん? さっきの、どういう・・・」
 「はさー、なんでいっつも俺のところに来るのー?」

 桃の木の幹に触れ、見上げながら問う。がツバキに近づいてきた。

 「ツバキさんは、完璧な人です。私にとって、師匠のような人ですから!」
 「ふーん・・・それだけ?」
 「え・・・?」

 くるっと振り返って、の腕を掴んだ。そのまま引き寄せ、幹に背をつけ、彼女の顔に近づいた。

 「お師匠様は、こんなことしないよねー」
 「ツ・・・ツバキさん!?」

 が顔を真っ赤にして、声をあげる。ああ、あんな所を見てしまったから。もう止められない。

 「ー」
 「は、はい・・・」

 あくまで、いつもの口調は変えずに。怖がらせたくはない。

 「俺は、君のことが好きだよー」
 「・・・え??」
 「あーあ、言っちゃったー」

 の気持ちはわかっている。振られるのを前提で告白したというのに、は小さく「私もです・・・」とつぶやいた。思わず「え?」と目を丸くする。

 「私も・・・ツバキさんのこと、好きです」
 「あー・・・俺が言ってるのは、異性に対する好きであってー」
 「わ、わかってます! そんなこと!!」

 声を荒げたは、一瞬後にはハッと我に返って。恥ずかしそうに、目を伏せた。

 「じゃあ、さっきのはー?」
 「さっき?」
 「カムイ様と、嬉しそうに話してたでしょー?」
 「あ、あれは・・・その・・・」

 見てたんですか・・・と小さくつぶやく彼女に、「うん」とうなずいて。

 「・・・“ツバキと、仲いいんだね”、って言われて。他人から見ても、そう思えるんだって、そう話してただけです」

 の顔は申し訳ないくらいに真っ赤だ。ツバキは「そっかー」と安心した笑みを浮かべると、の腕を、今度は自分の方へ引き寄せた。

 「俺の勘違いでよかったよー」
 「え? 勘違い?」
 「なんでもないよー」

 完璧な自分にしてみたら、これも十分恥ずかしい話だから。子供に馴れ初めを聞かれても、ここは教えないことにしよう、とツバキは心に誓うのだった。

この恋は完璧な始まりで