(ヒーローズ)
(「まどかなる恋路」ヒロイン)
ゴーティエに住んでいた頃はもちろん、ガルグ=マク修道院で過ごした間も、これほど強い日差しを浴びたことはなかった。容赦なく照りつける太陽が、じりじりと肌を焦がすような感覚がする。手にしたメロンフロートの氷が溶けてカラリと音を立てた。
シルヴァンは、薄い色眼鏡の下で目を細めて、辺りを見やる。踏みしめる砂さえもが熱い。
つい、いつもの癖のようなもので水着姿の美女に目を留めてしまうが、シルヴァンは足を止めずに目当ての人物を探す。「こんなに布面積の少ないものを着るわけにはいきません」と、渋っていたに半ば無理やり水着を着せたのだが、恥ずかしがってまともにその姿を見せてくれやしない。あのイングリットだって、水着姿で泳いだり、槍を振るっているというのに。
どうせなら、思い切り楽しむべきだとシルヴァンは思う。
ここは、シルヴァンの知るフォドラではない。ゴーティエ家にも、紋章にも縛られることはないのだ。
「」
「きゃっ……!」
木陰で身を小さくするを見つけて、シルヴァンは悪戯心から冷たいグラスを頬にくっつけてやる。が飛び上がった。
「し、シルヴァン様?」
「悪い悪い。驚かせたか? ほら、これでも飲めよ」
シルヴァンは笑いながら、メロンフロートをに差し出す。
「す、すみません。シルヴァン様にお飲み物を用意させてしまって」
「そんなこと気にするな。なぁ、そんなところで蹲ってないで、少しは泳ごうぜ」
「わたしは、泳げませんから」と小さな声でが告げて、ストローに口をつける。
シルヴァンは、そんなを横目に見ながら、隣に腰を下ろした。肩が触れ合って、が気まずげにわずかに身を傾ける。シルヴァンは離れるを、肩を抱いて引き寄せた。
「離れるなよ」
戸惑うが、困った顔でシルヴァンを見あげた。上目遣いが愛らしく、下がった眉尻が愛おしい。シルヴァンは見下ろす視線を、顔からもっと下へとずらす。
の手が慌ててシルヴァンの視界を遮った。
「似合ってるんだから、よーく見せろって。俺が他の女に目を奪われてもいいのか?」
「いやです、けど……」
シルヴァンはの手首を掴んで、視界から退けてしまう。もう一方の手にはメロンフロートがあって、うまく身体を隠せないようだ。
「俺とおまえは、先生とレア様みたいに一心同体だって、召喚師も言ってただろ。ほら、もっと近くに寄れよ」
「そうおっしゃられても、こんな格好……恥ずかしいです」
ゴーティエ家の使用人であるには、戦う術がない。ここに呼ばれたのは、シルヴァンのおまけみたいなものだ。
決して鍛えられた肉体ではないが、無駄に贅肉がついているわけでもない。色白で、やわらかそうな肢体は、ベレスやドロテアほどではないにしろ魅力的である。恥じらう様子がかえって男にはたまらないのだ。
掴む位置を手首から手のひらへと変えて、シルヴァンは指を絡める。の頬が紅潮する。暑さによるものではない。
「シルヴァン様」
咎めるような響きを無視して、シルヴァンは身を乗り出した。ふい、とが顔を背けたが、シルヴァンは懲りずに追いかける。「誰も見てないさ」と囁いて、シルヴァンはの唇を掠め取った。先ほど口にしていたメロンフロートの、甘ったるい味がした。
シルヴァンは、メロンフロートを砂浜に突き立てると、の手から取ったグラスも同様にしてしまう。は、と息を呑んだを木の幹に押しつけた。
「シル──」
非難がましい声ごと口づけて、の言葉を奪う。
ディミトリやフェリクスには悪いが、この明るい海を一緒に見られるのがでよかった、とシルヴァンは心底思う。
薄い肩にかかる水着の肩紐に指をかける。すこし引っ張ってしまえば、ただでさえ少ない布面積は皆無になる。ぐ、と二の腕を掴むの指先に力が籠るのがわかった。けれど、押し返してくる力はない。
かつん、とぶつかった色眼鏡を外すために、シルヴァンは一度身を引いた。
裸眼でじっと見つめると、が赤くなった顔を俯かせた。肩紐がずれて、いまにもポロリしてしまいそうなほど、無防備で心許ない。シルヴァンは無意識に、ゴクリと生唾を飲み込む。
シルヴァンとて、わかっている。
イングリットに口酸っぱく言われたように、ここには決して遊びにきているわけではない。己の軽薄な行いが、ディミトリの評価に影響を与えてしまう可能性が大いにあることだって、理解はしている。しかし、こんなを前にしては、理性だって──
カランっ、と砂浜に放って置かれたメロンフロートの溶けた氷が、やけにうるさく耳についた。シルヴァンは慌てての肩紐を直してやり、持っていたタオルを肩にかけてやる。
「はは、悪い。冗談が過ぎたな」
「い、いえ……」
がタオルに顔を埋める。メロンフロートを見て、シルヴァンは肩を竦めた。アイスクリームが溶けてドロドロになっている。
「すみません、せっかく持ってきていただいたのに。新しいものをご用意します」
「いいよ、そんなの。ほら、座れよ」
立ち上がりかけたの手を掴んで、傍に引き寄せる。これだけの暑さだというのに、肌が触れ合っても不快には思わなかった。
「水着、似合ってるな。俺が選んだだけある」
渋りに渋っていたビキニだが、ベレスのような際どさはなく、控えめなフリルは甘すぎることなくの清楚な雰囲気にぴったりだ。
「ありがとうございます。シルヴァン様もよくお似合いです」
がはにかんだ笑みを浮かべた。頬は、まだ赤みを帯びている。
「泳げないなら、俺が手取り足取り教えてやろうか」
「えっ? そんな、シルヴァン様のお手を煩わせるわけには……どうか、皆さんと楽しんでください」
「馬鹿だな。俺はおまえと楽しみたいんだよ」
を引き寄せて、こつりと額を合わせる。瞳を覗きこめば、さっと目が伏せられる。睫毛が細かく震えていた。
「し、シルヴァン様、誰かに見られてしまいます」
「見られたって構うもんか。どうせここは、ファーガスでもフォドラですりゃない」
「だろ?」と笑って、シルヴァンはの答えを待たず、口づける。躊躇いがちに、の手がシルヴァンの首に回った。
「シルヴァン様」
口づけの間に落ちたの声は、甘くもなく真剣味を帯びていた。
わずかに潤んだ瞳が、じっとシルヴァンを見つめる。
「ここには、シルヴァン様に期待や責任を押しつける方はいません。それでもどうか、わたしだけを見てくださいますか?」
馬鹿だな、とシルヴァンは内心で呟く。他の女なんてもはや目に入らない。初めから、シルヴァンはしか見ていない。
「そっちこそ。俺より強い英雄によそ見するなよ?」
しません、とがわかりきった答えを口にする前に、シルヴァンは唇を重ねた。
メロンフロートの氷は溶けきって、もう音すらも立てることはない。