パカラっ、と軽快に馬の蹄音がした。は顔を上げなくても、それが誰だかわかってしまう。すぐ傍で止まった馬の蹄をいつまでも見ているわけにもいかず、のろのろと顔を持ち上げる。馬上の騎士の顔は逆光を受けてよく見えない。
 怒っているのか、呆れているのか。表情がわからないほうが、いまは都合がいい。

「セインさん、」

 喉がつかえるように、うまく言葉が紡げなかった。は痛みと疲労から、いつまでも顔を上げていられずに再びうつむいた。

「ちょっと、離れすぎちゃった」

 ちょっと、と言うのは相応しくないとわかっていたが、そう言葉にせずにいられなかった。は自嘲して笑ったが、セインがなにか言うことはなかった。黙ったまま馬を降りて、の身体を容易く抱き上げる。
 その仕草が思ったよりも荒々しくて、は走った痛みに歯を食いしばる。悲鳴を上げるわけにはいかなかった。女性に対して過剰なほどフェミニストであるセインのいつもと違う様子に、は戸惑う。セインの顔を見ることができなかった。

 後ろから抱きすくめるような形で馬上に乗せられ、の背から前に回ったセインの手が手綱を握る。走り出した馬の振動は、傷に響いた。
 ふいに、首筋にセインの鼻先が触れて、吐息を感じた。びくり、と思わず身体が震える。

「いい加減、怒りますよ」

 セインがぐっと手綱を引くと、馬の速度が緩まる。
 は後ろを振り向くこともできず、ただ身じろぐ。セインの口調はいつもと違って硬い。軽薄な雰囲気はすっかりなりを潜めているようだった。

「いつも、あなたは無茶をし過ぎだ」
「……」
「リンディス様は、俺たちみんなでお守りしてるんです。さんは、もっと周りを頼るべきだ」
「……そう、だね」

 セインの言葉は正しい。は頷くほかなかった。
 けれど、理解するのと、感情はまた違う。セインの言う通りだとわかっていても──はじっと、セインの手を見つめる。

 と、セインたちの立場は違う。
 リンディスとは呼ばない。彼女はあくまでも、同じ草原で育った幼なじみ、ロルカ族族長の娘リンなのだ。数年前にサカを旅立っていたは、最近になってロルカ族の壊滅とリンの複雑な事情を知った。こうして共にいるのは、リンが大事な幼なじみであるからである。

 伯爵の企み、騎士としての誇りや使命、ましてリンが公女だからなどということはには一切関係がない。もっとも、セインやケントがただの命令だからという理由で、リンディスに付き従っているわけではないことも理解している。
 リンを大切に思う気持ちは、誰にも負けたくない。

 見習い軍師に従ってはいるものの、つい気持ちが逸ってしまう。出すぎて自重するように咎められるのは、もう数えきれない。
 ──こうしてセインに助けられるのも、二度目だ。

さん」

 馬が止まる。手綱を掴んでいたセインの手が、の身体へと巻きついた。は驚きとわずかな痛みに、小さく息を呑んだ。
 耳元にセインの声が落ちる。

「俺は、怖いんです。あなたが俺の目の届かないところで、血を流して、もしかしたら動かなくなってしまっているかもしれない。そう考えると、すごく怖い」

 だから、とセインが静かな声音のまま続ける。

「もう、俺の目が届かないところへ、行かないでください」

 縋るように、懇願するように、あるいは願うように。ぎゅ、と回された腕に力が籠る。
 どんな顔をして言ったのだろう。セインの表情を窺い見ることはできない。はうつむいたまま、身体に絡みつくセインの腕に、自分の手を重ねた。そうして「うん」と、小さく頷く。

「約束ですよ」

 セインがそう言って、再び手綱を握って馬を蹴る。ふ、と戯れのようにセインの唇が耳たぶに触れた。

「約束ですからね」

 念を押すように、吐息とともに吹き込まれた言葉に「わ、わかった」と、は半ばやけになって答えた。いつもの調子を取り戻したのか、セインが嬉しそうに笑った。





 そんなやりとりをしたな、とは思い返しながら、やわらかい青碧の瞳を見つめる。
 膝をついたセインがどこかのお姫様にするようにの手を恭しく取って、その指先までも視線を這わせる。思わず振り払いそうになるところを、はぐっとこらえて身じろぐにとどめた。距離の近さといい、セインの視線といい、羞恥を感じてじわじわと頬に熱が集まってくる。

「本当に、傷は残っていないんですね?」
「だ、大丈夫だよ」

 結局、はセインだけでなく、リンや軍師からも大目玉を食らって暫く後方支援を指示されたのだ。前線に出なくなってから、怪我が増えることもなくなり、すっかり傷は癒えている。
 の言葉を疑うように、セインの瞳はじっと、身体の隅々まで見つめる。

「も、もういいでしょ、セインさん」

 はたまらず、手を振り払おうとするが、力を籠められてそれは叶わなかった。「だめです」と、セインが言って、手の甲へと唇を寄せた。ぎょっとして身体を強張らせる間に、ちゅっと音を立てて唇が吸いつく。

「まだ、全然確認できていませんよ?」

 甲に唇を寄せたまま、セインが見上げてくる。にこり、とその唇が弧を描いた。
 反応に困っていると、セインが立ち上がり、エスコートするように手を引かれる。「せ、セインさん、」戸惑うの身体を抱き上げると、恭しい仕草のままベッドへと下ろされる。
 疑問符が頭に浮かぶ。反射的に身体を起こそうとして、しかしセインに阻まれる。やさしい力加減でセインに手首を捕らわれて、シーツに縫い付けられる。そこでようやく、は貞操の危機を悟った。

「ほら、こことか見てません」

 セインが口角を上げながら囁くように言って、のシャツを捲り上げた。あらわになった腹部にセインの指が触れる。

──!!」
「おっと、大人しくしましょうね」

 声にならない悲鳴を上げてセインの手を止めたが、逆にその手を取られて、頭上で一まとめにされる。セインのこの上なく上機嫌な笑顔が憎い。

「セインさんっ」

 急所を蹴り上げようか、とは不穏な考えを過ぎらせる。「しっ」と、素早く唇に人差し指が押し当てられ、はその勢いを失くす。近くで視線が交わり、は思わず目を逸らしそうになって、負けじと睨むようにセインを見る。

「確認するだけですから」

 そう言うセインの顔は緩みきっていて、少しも信用できそうになかった。



 つ、と腹筋を確かめるように、肌の上を指が動く。「綺麗です、さん」指を止めたセインが、うっとりと呟く。

「さすがです。無駄な脂肪がない」
「鍛えてますから!」

 は吠えるように言って、セインを睨む。しかし、少しも怯んだ様子はなく、再び指が肌を這う。慣れた手つきで胸元のサラシを解かれる。

「待っ……そんなところ、傷なんて……!」
「見せてください」
「や、……!」
さんの全部、俺に見せてください」

 耳元で囁かれ、はぎゅっと目を閉じた。
 シャツのボタンがすべて外されて、肌蹴る。セインの指がすくい上げるように乳房に触れた。

「せっ、セインさん、見るだけ……!」

 慌てて声を上げると、唇に触れたのは先ほどのような人差し指ではなく、セインの唇だった。「静かに」唇がわずかばかり離れて、吐息が触れる距離で囁く。
 は驚きで呆然とセインを見つめていたが、我に返って睨みつけた。

「……こういうこと、したいだけじゃない」
「やだなあ、そんなわけないじゃないですか」
「…………うそつき」

 に覆いかぶさるセインのかたいものが、太ももに触れている。「はは、バレました?」と笑うセインには少しも悪びれた様子がない。

「でも、あなたの身体に傷が残っていないか、確認したいのは本当です」

 ふいに真剣な顔をされて、は気がそがれてしまう。「だめですか?」と、囁く声が、の鼓膜も心も震わせる。は小さくため息を吐いて、目を逸らした。

「もう……わかった。見てもいいから、手を離して」

 許しを得たセインが、ぱっと瞳を輝かせる。
 セインの喜ぶ様子は、ちぎれんばかりに尻尾を振る大型犬のように見えて、その実獲物を捕らえた狼かもしれなかった。の腕を解放した手は、すぐさま二つの膨らみを捉えた。

「んっ……」
「これは無駄な脂肪じゃありませんからね」
「っ、ばか…」

 軽口を叩くセインの口が、ちゅっと膨らみの先端に吸い付く。やさしい啄みが何度も続いて、はくすぐったいような感覚に身を捩らせた。ふいに、引っ掻くように軽く歯を立てられ、これまでとは異なる刺激に背が反った。
 痛むほどではなかった。しかし、鋭い刺激を受けた直後に、ねっとりと舌が絡みついてぞわりとした感覚がを襲った。寒いわけでもないのに肌が粟立つ。

「あっ……!」

 甲高い声が漏れた。狭い部屋にやけに響いたような気がして、ははっとして口元を押さえた。

さん、だめです」
「えっ?」

 その手を引きはがされたかと思えば「可愛い声を抑えないでください」と、セインが言った。
 じわりと頬が熱を持つのがわかる。サカの男はたいてい無口で、セインのように甘言を臆面もなく言える人はいなかった。セインの言葉は軽い。挨拶代わりに女性を口説く。けれど、そこに嘘はない。

「可愛い」

 セインの右手が赤くなった頬を包んだ。青碧の瞳をやさしく細めて微笑む。
 恥ずかしいのに、は視線を逸らせない。セインの手が動いて、顎先を指が捉えた。緊張に結んだ唇に柔らかな感触が触れる。しかし、先ほどと違って、触れるだけに留まらない。セインの舌が唇を割って、口内へ入り込む。
 くちゅりと湿った音が鼓膜を揺らす。舌先が顎裏を這い、の舌に絡みつく。

「っん、……ふっ……!」

 深い口づけに吐息がままならない。息苦しく感じるのに、もっととせがむように、はセインの首へと腕を回した。「本当に可愛いですね」と、口づけの合間にセインが呟いた。

 ちゅっと軽く音を立てて離れた唇が、すぐに鎖骨に吸い付く。小さな痛みを残したそこを、セインの舌が舐め上げる。

「すみません。傷がないか確かめると言いながら、俺が痕を残してしまって」

 セインの声音はどこか弾んでいる。はじとりと恨みがましい視線を向ける。

「……悪いと思ってないくせに」
「はは……もっと付けたいところですが、今は我慢します」

 ぐい、との腰を持ち上げた手が、下着ごと下衣を脱がせてしまう。あっと思う間に、セインの指先がそこへと伸びる。ぬるりと確かな滑りをもって、セインの指が秘部を這った。
 内腿に力が籠るが、閉じようとするのをセインが阻む。

「ああ……ッ……!」

 濡れそぼった秘部が、セインの人差し指を容易く呑み込んでしまう。「痛くないですか?」と、問いかけながら、指がゆるく動いてなかを解す。

「だい、じょうぶ……」
「指、増やしますね」
「んっ……は、あ……ん、」

 くぷりと指が二本沈むが、その動きはなおもゆっくりだ。やさしく気遣ってくれているはわかる。けれど、どうにもじれったい。

「セインさん……」

 はたまらずその名を呼んで、セインの髪に指を絡めた。
 驚いたように目を見開いたセインが、だらしなく頬を緩める。

「俺を求めてくれるんですか? 嬉しいなあ」
「……もうっ……ばか…………」

 思わず憎まれ口を叩いてしまい、は慌てて口を噤む。セインが気分を害した様子はなく、こめかみに口付けが落ちる。そのまま唇は耳朶に寄せられる。

「いいんですね」

 それは言葉こそ問いかけの形になっていたが、の返事などほとんど待っていなかった。
 ぐ、とそそり立つものが秘部に宛がわれ、が息を呑んだと同時に押し入ってくる。十分に解されたそこは、セインを飲み込むように受け入れた。

「あぁ……ん! っは……あ……ッ」

 奥まで届くと、耳元でセインが小さく息を吐いた。意図的に耳穴に吹きかけられたわけではないのに、の背がぞくりと震える。

さん、好きです」

 ──その言葉は確かに真摯だった。
 ぎゅうと胸が押しつぶされるような苦しさを覚える。切ない。愛おしい。感情の昂ぶりが、涙となって頬を伝い落ちた。「わたしも」と、気がつけば唇が勝手に答えていた。
 セインがひどく幸せそうに、そっと笑んだ。

「夢みたいだ」

 呟きが落ちる。大袈裟だ、とは思わず小さく笑った。
 目尻に唇が触れて、舌先が涙をすくう。それが合図だったかのように、セインが律動し始める。激しいわけではなかったが、待ち望んでいた刺激に身体が跳ねる。

「……っあ、ん、ふっ……っう、ァあん……!」

 漏れ出る声を止められそうになかった。ぞくぞくとした感覚が背筋を駆け上り、セインの動きに合わせて小さく身体が震える。浅いところを行き来していたセインの男根が、ふいに奥深くを抉った。「ひぁうッ!?」瞼の裏が白く弾けるような気がした。

「んん……っ! や、セインさ……あっ!」

 ぐいと腰を掴まれたかと思えば、身体を反転させられる。うつぶせにされたは、シーツに顔を埋めた。一度引き抜かれたそれが、再びのなかへと入ってくる。

「は、ぅ……っ」

 セインの指先が背中に触れる。つつつ、となにかを辿るように動く指の感触が、ぞわぞわとした快感を与える。「背中にも傷がないか、確認しますね」と、降ってくる声は、どこか楽しげである。
 シーツの中に、くぐもった嬌声が消えていく。
 崩れそうになる腰をしっかりと持ち上げられ、深いところまで打ちつけられる。

「こんなところに火傷の跡が」
「それ、あッ、子どものころ、っやあ、ン!」
「こっちは古傷ですか?」
「やっ、あ、あァ、っ……わか、んないぃ……!」

 いちいち指が止まるが、律動は止まらない。はまともに答えられないまま、びくびくと身体を震わせて達する。力が入らずにくたりと腰が落ちてしまう。申し訳程度に動きを止めたセインが、ぴたりと背にくっついて律動を再開させる。それほど大きな動きではないが、達したばかりのには十分すぎるほどの刺激だ。

「あっ、や、ああ、」
「可愛い」
「っひ、ん……!」
「可愛いです、さん」

 ちゅ、と背中に唇が触れる。そんな小さな刺激ですらも、気持ちよくてたまらない。

「すみません、ちょっと我慢してくださいね」
「えっ……」

 がしりと腰を掴んで、セインが遠慮なく腰を打ちつける。子宮を押し上げる感覚は苦しいだけではなく、強い快楽をに与える。

「いやあッ、待っ、セインさんっ!」
「っは……待てません……!」
「やだ、セインさ……ひ、あ、ああっ、やあァん!」

 は悲鳴じみた声と共に絶頂する。素早く男根を引き抜いたセインが、の震える臀部へと精を放った。
 弛緩した身体を投げ出して、は乱れた息を整えようと試みるが、時間がかかりそうだった。汗で額に張り付いた髪の毛を、セインの手が優しく払いのけて、そこに唇を落とした。愛してます、という言葉も同時に落ちてきて、は今さら恥ずかしさに顔を背けた。




 パカラっ、といつかと同じように、蹄の音が聞こえた。戦場だというのに、緩みきった頬を隠そうともしないセインが、馬上からを見下ろす。

さん、約束覚えていますよね」
「わかってる」
「今日は俺、さんの傍を離れませんからね」
「わ、わかってるってば」

 今にも馬に乗せられそうな勢いに、は少しだけ声を張り上げた。

「そんなに心配しなくても、もう無理はしないから」
「……さんに言われても、信憑性が」
「セインさん!」

 思わず右手を振りかぶると、セインが声を上げて笑った。悪びれる様子が欠片もないので、は怒った顔をして、セインの太ももに拳を振り下ろした。「痛いですよ」なんて口だけで、相も変わらずセインの頬は緩みきっていた。

(そうしたら、誠実が残るのかしら)