キラキラと光る水面に吸い寄せられるように手を伸ばす。冷たい水の感触がして、次いで固いものが指先に触れた。は改めて泉をのぞき込む。あ、と思わず声が漏れる。
 泉の底に鉱石が見える。暗夜王国で育ったは、いまのいままでこの泉から鉱石が採れることを知らなかった。たしか、向こうにルビーの岩山があったように思う。は視線を巡らせ岩山を見つけ、小首を傾げた。つくづくこのキャッスルは、不思議な場所だ。

 暗夜なのか白夜なのか、ふたつの異なる文化が混ざり合い、はっきりしない。
 カムイがキャッスルを住み良く整備しているというが、はなんだか落ち着かない。白夜の者も多いのも理由の一つだが、なにより住み慣れた暗夜の風景とは違っているのが、奇妙に感じてならないのだ。

 桜の花びらがひらりと舞い落ちる。美しいその木花は、暗夜王国には存在しない。
 は水面に浮かぶ花びらをしばし見つめ、水中にある鉱石を掬い上げた。水滴をまとう鉱石は一層輝いて見える。泉をよく見てみると、奥底深くにまで鉱石があるようだ。
 カムイにあげる心づもりで、もう一度泉に手を浸す。ふいに、揺れる水面に美しい顔が映った。

「あまり欲を張ると、泉の中に落ちるよ」

 泉の鉱石に気を取られ、ひとの気配に気がつかなかった。存外、近い位置で声が落ちて、はびくりと肩を揺らした。拍子に、手の中から鉱石がいくつかこぼれる。

「れ、レオン様」
「ふぅん……意外だね。そういう綺麗なもの、すきなんだ?」

 レオンが意地悪そうに微笑む。「まあも一応、女の子だしね」女の“子”と呼べる年齢はもう過ぎたかもしれないが、れっきとした女性であるには間違いない。

「これは、カムイ様にお渡ししようと思っただけです」
「ああそう? そういえば、僕の臣下も錬成してほしいってうるさかったな」

 はレオンの言葉にオーディンを思い浮かべ、失笑する。見るからにすきそうだ。

「ずいぶん物珍しそうに見てたけど、この泉のこと知らなかったの?」
「い、いつから見ていたんですか」
が泉のほとりに腰かけてからだけど」
「……それは、初めからって言うんです」

 はため息交じりにつぶやく。
 レオンがおもむろにの手を取った。高級そうな肌触りのよいハンカチが、丁寧に水分を拭きとっていく。「レオン様!」驚いて手を引くが、レオンに手首を掴まれる。意外と力が強い。

「レオン様のハンカチが汚れてしまいます」
「いいよ、気にしなくて」
「そ、それに、拭いていただかなくても自分でできます」

 レオンとの距離が近く、はうつむく。あまりに美しい顔を直視することができない。

「僕がやりたいだけ。いいだろ?」

 だめと言えるわけがない。は黙ってされるがまま、レオンの行為を受け入れる。
 ハンカチをしまったレオンが、鉱石を手に取りじっと見つめる。はようやく視線をレオンに向けた。

「うん、綺麗な色だね。にも似合うんじゃない?」
「え?」

 レオンがに鉱石を向ける。「ひとつもらうよ。加工してもらおう」そう言って、レオンが鉱石を一つしまい込んだ。

「なにがいいかな。そういえば、は全然着飾らないね」

 王城にいたころは、さぞや美しい貴族のお嬢様方がレオンを囲ったのだろう。暗夜王国の第二王子であり、この美しい顔立ちだ。誰もが羨み、近づきたいと願ったはずだ。
 はそんな彼女らを想像し、改めてレオンが手の届かぬ存在であると認識した。実際、こうして言葉を交わすようになったのも、暗夜と白夜の混合軍ができてからだ。本来ならば、口を利くことさえ叶わぬような、尊いお方──

 レオンの指がの髪を掬い、耳にかける。あまりに気やすい仕草に、は緊張しながら、ただ身を任せる。するり、と指先が頬を滑った。

「顔、赤いよ?」
「レオン様にこのようなことをされたら、誰でもなります」
「へえ、誰でも、ね」

 耳たぶにレオンの唇が触れた。「が顔を赤くする理由を教えてよ」ささやく声に、はたまらずぎゅっと目を閉じた。くすりと笑う声が、ダイレクトに脳みそに響く。

「まあ、わかってるんだけどね」
「れ、レオン様っ」

 は慌ててレオンを押しのけ、距離を取る。ばらばらと集めた鉱石が地面に散らばった。

「みんなが見てますから! からかうのは止めてください!」

 現実世界とは時間の流れが異なるキャッスル内では、皆が思い思いに過ごしている。当然、鉱石の泉の周りにも人がいて、気恥ずかしそうにしながらも突き刺さる視線を先ほどから感じてならない。
 レオンが急に冷たい顔をして、周囲に向けて犬を追い払うような仕草をした。

「邪魔しないでくれる?」
「王族だからって横暴ですよ……」

 は小さくため息をついた。血の繋がりはなくとも、仲の良いきょうだいだというのに、カムイとは大違いだ。

「しょうがないな。じゃあ、続きは僕の部屋で……いいね?」

 ふ、とレオンが唇の端を上げる。
 は狼狽しながら、首を横に振った。「な、ご、誤解されるような言い方、」辺りを見ると、蜘蛛の子のように散らばった人々が、それでもこちらに耳を向けている。

「誤解されたら困るわけ?」
「な、」
「僕は全然困らないけど」
「え、」

 レオンの手がの指を包みこむ。「だいたい分かった」と、つぶやくその言葉の意味が、には理解しがたい。

「……わたし、ただの兵卒ですよ」
「そんなこと知ってるよ。ずっと国境を守ってたんだろ」

 にべもなく言われ、は口をつぐむ。


 ブノワらと国境にいたころは、レオンを遠目ですら見たことがなかった。しかし、暗夜一の魔術師であるとは聞いていたし、実際に見てまさに王子さまという風貌で、完全無欠なのだと思っていた。
 話すうちに、意外と意地の悪いところがあるのだと知った。
 からかわれてばかりだが、こうして触れるようなことはいままでなかったのだ──

 は困惑しながら、レオンを見つめた。戯れにしては度が過ぎている。視線に気づいたレオンが、不満げな顔をして見せる。

「あのさ、ちょっと鈍すぎない? これでも色々アプローチしてきたつもりなんだけど」
「え?」
「まあいいや、今はまだね」

 じゃ、とレオンがあっさりと踵を返す。はその背を見て、法衣が裏返っていたことに今さら気がついた。「あ、」呼び止める間もなく、行ってしまった。

「……アプローチ?」

 は怪訝に眉をひそめる。
 コツリとつま先に鉱石が当たって、ははっとして落としていたそれらを拾い集めた。そうして、一粒つまんで空に透かして見る。どこかレオンの髪色に似たトパーズ色。

「私に、似合うのかな」

 戦うことばかりで、着飾るなんてことを考えたこともなかった。国境警備を共にしていたシャーロッテが、女性として非常に努力していたことを思い出す。

「レオン様の考えることは、よくわからない……」

 は鉱石を届けに、カムイのもとへと向かった。



 もう見ごろが終わりなのか、桜の花びらがひらひらと舞い散る。は逃げ出したくなるような、いたたまれないような気持ちで、桜の木の下に立っていた。
 レオンの長くてきれいな指が、の左手を取った。そして、薬指に指輪をはめる。不思議とぴったりだ。

が採った鉱石で作ったんだ。ほら、やっぱり似合ってる」
「あ、あの、これ」
「……僕と結婚してくれる?」
「えっ」

 は呆然とレオンを見た。「まさか、いやなの?」不機嫌そうな顔をしたその頬は赤い。

「で、ですから、私はただの兵卒で……レオン様は、王子殿下ですよ」

 はあ、とレオンがため息をつく。
 ひざまずいたレオンが、の指先に口づける。絵になる仕草だ。

「そんなこと知ってるって言っただろ。それでも、がいいんだ」
「どうしてですか?」

 純粋に疑問だった。は兵士として戦うことしか知らない。レオンの言う通り、すこしも着飾ることもしない。同じ兵卒でも、シャーロッテのほうがよほど女らしく魅力的なのは明らかだ。それに、玉の輿を狙う彼女がレオンにモーションをかけていることもは知っている。

は、ただひたむきに暗夜王国のために戦ってくれてるだろう。僕はそんな君を見ているのが好きだ。暇さえあれば鍛錬しているその姿を見ていたら、君自身を好きになっていた」

 だって、自分にはそうすることでしか、カムイやレオンの力にはなれない──

「ねえ、もう一度言うよ。僕と結婚してくれる?」

 いやだと言えるわけがない。
 はうなずく。レオンがやさしく笑った。その笑顔は今まで見たどの顔よりも美しく、は思わず見惚れた。

の顔が赤い理由は……僕のことが好きだからだね」

 一転、レオンが意地悪く、口角を上げた。

しあわせのをひとつ

(愛のあかしとして贈ろう)