どこもかしこも繊細で美しく、頭のてっぺんから足のつま先まで、手入れが行き届いている。パーシバルは彼女をそんな風に思っていたが、深窓の令嬢そのものであったのは、この戦争が始まる前までのことだったらしい。すこしだけ荒れた指先は、水仕事に励んでいる証拠だ。パーシバルの視線を受けたが、「お口に合いませんでしたか?」と微笑みながら訊ねた。
 パーシバルは手元へ視線を落とす。湯気を立てる賄い。そうして、以前クレインが言っていたことを思い出した。なにを食べても無表情──自覚はなかったが、たしかに表情はひとつも動いていなかったかもしれない。

「いや、美味しくいただいている。これは君が?」

 がはい、と微笑んだままに答える。
 貴族らしからぬ、とパーシバルが思うのも無理はない。エトルリア貴族の娘となれば、まず台所などには立ち入らないものだ。ともすれば、美しい人形のようにいることが求められる。その証拠には、幼いころより貴族として育て上げられた者の、隙のない完成された表情をしている。

 なにをきっかけにして、このような戦場にいるのかは知らない。パーシバルにわかるのは、彼女にはあまりに似つかわしくないということだけだ。

「パーシバル様、」

 すこしだけ下げられた眉尻も、パーシバルにはひどく作り物めいたものに見えてしまう。

「世辞などいりません。ただ、お食事をしていただいた際に、ほっとした気持ちになったり口元がついゆるんだり……わたくしは、それを望んでいます」

 パーシバルは改めて、己の無表情を自覚した。心ない世辞に聞こえていたのならば、それはひどく彼女の矜持を傷つけたかもしれない。

「冷めないうちにどうぞ、お召し上がりください」

 そう言うの顔には、やはりやさしい微笑がたたえられていた。



 ひゅっ、と鋭く息をのむ気配と共に、矢が向けられたのがわかった。しかし、それが放たれることはなく、パーシバルの姿を認めたが弓を下ろす。

「パーシバル様でいらしたのですね」
「……」

 が胸に手を当てて、ほっと息を吐く。弓を握る手も胸元に置かれた指先も震えている。
 パーシバルは馬から降りると、の身体を確かめる。随分と血で汚れているが、ほとんどが自身のものではないようだ。常ならば、後方支援の弓兵が返り血を浴びることはない。の持つ矢筒にはもうほとんど矢が残っていなかった。

 後方に位置する弓兵隊が奇襲を受けた、との一報を受けて、機動力を誇る騎兵隊が駆けつけたがそこはすでに戦いが終息していた。散り散りになった弓兵隊の生き残りは数少ない。

「大事ないようだな」
「……はい、」

 震える声が「わたくしは」と、小さく告げる。の手から弓矢が落ちると同時に、その瞳から涙があふれた。パーシバルは視線を落とし、の泣き顔を見ないようにした。けれども、その涙さえもそうするのが当然という、どこかわざとらしいような違和感を覚えてしまうのは何故だろう──


 王宮でのは、いつも着飾った姿で微笑みをたたえて、背筋をピンと伸ばした佇まいであったことをパーシバルは思い出す。クレインとずいぶん親しくしていたようだが、彼女も弓を扱うとは知らなかった。

、無事でよかった……」

 クレインに抱きしめられたの表情は窺い知れない。人形のように立ち尽くすその姿が、パーシバルの脳裏に焼き付いた。







 が賄いを振る舞う様子は、いつもと変わりがない。やさしく微笑んで、皆に懇意に声掛けしている。ただ、クレインを前にしたときだけ、すこしばかり緊張した面持ちをしていたように見えた。

さんのことが気になりますか?」

 ふふ、と小さく笑った己の主は、面白がる様子をすこしも隠していない。「彼女は美しいですね」と、パーシバルはなにも答えていないのに、ミルディンが含み笑いのまま続ける。

「けれど、それが彼女の魅力ではない」
「……」
「パーシバル様にも、そういった方がいらっしゃるとは意外です」
「私は、なにも言っていないが……」

 パーシバルは困惑する。に対する感情は、特別なものではないと、パーシバル自身は思っている。この場にいることや、作りものめいて見える所作などにひどく違和感を抱いていることは確かである。
 ため息を吐いたミルディンが声を潜める。

「……色恋になると、随分と愚鈍だな」

 浮いた話を聞かないのも納得だ、とミルディンが神妙な顔をして頷く。「ミル……エルフィン殿」と、パーシバルは諌めるように名を呼ぶが、堪えきれない笑みが返ってくるのみだ。そして、食事を終えたミルディンが素知らぬ顔をして席を立つ。

「おや、そんな怖い顔をしていては、せっかくの食事が美味しくなくなってしまいますよ」

 パーシバルは親指で眉間の皺を押さえた。



 の長い睫毛が影をつくっている。俯きがちの横顔は、カメオの貴婦人のようだ。近寄りがたい雰囲気を醸し出しているせいで、そこだけが切り取られた空間に感じる。
 の前に置かれた賄いはすでに冷めきっている。パーシバルに気がついたが、微笑みを浮かべた。

「パーシバル様」
「……手が止まっているな」

 視線を落とし、がすこしだけ眉尻を下げた。ほんとう、と小さく呟いたの姿は、まるで幼い少女に見えた。

「冷めないうちに、とこれでは皆様に言えませんね」

 が自嘲して、ようやく賄いに手をつける。洗礼された綺麗な所作だ。ここが陣営であることが間違いかと錯覚するほど、貴族然とした振る舞いである。

「クレインと喧嘩でもしたのか?」

 傍目から見てもクレインの様子は、随分と落ち込んでいる。一将軍として、部隊の士気に関わるのではないかと思うほど明らかだ。件の弓兵隊壊滅が原因であることは予測できる。
 が手を止める。
 いえ、と小さく答えたが、目を伏せる。スプーンを持つ手が、わずかばかりに震えている。

「……部隊の皆様は、わたくしがクレインと親しいことを知っていました。クレイン隊長のために、とわたくしを守ろうとしてくださったのです」

 が顔を伏せた。指先の震えはいつしか全身へと伝わって、の細い肩が震えている。「そんなこと、あってはならないのに、」それは絞り出すような声だった。

「大切な方をお守りできるように弓を習ったのに、わたくしは守られてばかりです」
「……」
「ルイーズ様のようになりたかった」

 ぽた、と落ちた涙がの手の甲で弾ける。

 あの激しい戦いを生き残ることができたのは、確かに部隊の皆がを守ろうとしたからかもしれない。しかし、守りたかった理由は、クレインと親しい間柄であるとかエトルリア貴族であるとかではなく──

「彼ら自身が、君を守りたかったんだろう」

 パーシバルの言葉に、が顔を上げた。
 大粒の涙が、陶器のごとく滑らかな頬を伝い落ちる。紅潮した顔は血が通っている証だ。ぐす、と幼子がするようにが鼻を啜る。作り物めいた表情や仕草よりもずっと、パーシバルには美しく見えた。

 無意識に手が伸びた。触れたの頬は熱を持っていて、指先からそれが伝わってくる。同じように涙の熱も、パーシバルの指に落ちる。震えた唇が、ぎゅっと堪えるように結ばれて、より一層流れる涙が増したようだった。声をあげて泣かないことが不思議なくらいである。パーシバルは、そっとを抱き寄せた。
 くしゃりと歪んだ泣き顔は見てはいけない気がした。


「すみません。はしたない真似を……」

 白いハンカチを押し当てた、すこしだけ赤らんだ目元を細めて、が恥ずかしそうに苦笑を漏らした。

「気にしなくていい。咎める者などいない」
「……そう、ですね」

 ふふ、とが囁くように笑う。
 張り付けたような微笑よりもずっと自然なその顔に、思わずパーシバルは見とれる。そのほうがいい、との言葉は心の内だけに留める。

「パーシバル様、ありがとうございました」
「礼など……」
「いいえ、言わせてください。パーシバル様のおかげで、気持ちを切り替えることができました。わたくしを気にかけてくださったこと、感謝いたします」

 が丁寧な仕草で、深々と頭を下げる。いつまでも腰を折っているので、仕方なくパーシバルはその頭を軽く叩いた。驚くほど手触りのいい髪が指先に触れた。

「わかったから、顔を上げてくれないか」
「はい、」

 返事に反して、すこしの時間を空けて上げられたの顔は、わずかに赤らんでいた。どきりと心臓が跳ねたことに、パーシバルは気がつかないふりをした。




 ポロン、と琴の音が奏でられる。「ところで、リグレ公爵夫妻のなれそめは知っていますか?」楽しげな主の声音に、パーシバルは閉口するのみである。己がリグレ公のようになれないことは百も承知であるが──パーシバルは、を見やる。
 視線に気づいたが、すこしだけ目を伏せて、恥ずかしそうに笑った。いつものやさしい微笑とは違う。

「おや……これは意外と、」
「エルフィン殿」

 くすくす、とミルディンが笑った。小さく跳ねた胸を、パーシバルは手で押さえる。心臓の音をやり過ごすことが困難になるのも近いかもしれない。

あなたのを拭えるものは

(どうか、己の手であって欲しい)