砂漠で生まれ育ったにしては、透けるように白い肌をしていた。しかし目を引いたのは、その色白肌に映える、鮮やか過ぎる赤だった。すぐに致命傷を負っているということがわかるというのに、緩慢ながらも美しく洗礼された動きで、細剣がヨシュアに向けられる。
女の顔を見て、ヨシュアははっと息を呑む。同時に、睨むような瞳が驚きに瞠られ、切っ先が下ろされる。
「……王子?」
呆然と呟く声は、戸惑っていたし、動揺していた。しかし、それ以上に安堵が色濃かった。
よろめいた身体を抱き止めるが、ひどく軽い感触しかなかった。支えた手がぬるりと滑るような感覚がして、ぞっとする。白さを通り越して青ざめたような顔が、ヨシュアを見つめた。
「、か?」
久しく口にしていない名だったが、記憶の奥底から弾けるように懐かしい思い出が蘇る。それと同時に、幼子の淡い恋心もまた、ヨシュアの胸に過ぎった。
何かを堪えるように唇を結んだ彼女が小さく頷いた。そうして、縋るようにヨシュアの腕を掴んだの手は、細かな震えを持っていた。「イシュメア様が」と、ほそく掠れた声は泣いてもいないのに、どうしてか嗚咽のように聞こえてしまう。
ヨシュアはゆるくかぶりを振って、の言葉を制した。すぐにナターシャを呼んで、ほとんど力の入っていないを預ける。よくこれで立っていられたものだ、と感心を覚えるほどにその怪我はひどい。
「王子、イシュメア様を、どうか」
うなだれたまま、が声を震わせる。「わかってる」と、ヨシュアは短く告げて、すぐに踵を返した。
イシュメアの冷たい指先が力を失ってだらりと垂れる。軽い気持ちで王宮を飛び出して、もう十年以上も顔を合わせていなかったというのに、それでも母親はこの愚かな息子を忘れてなどいなかった。
ヨシュアの腕の中で息を引き取ったイシュメアの身体が、急に重みを増したような気がした。
白砂の女王にふさわしい白磁のような手を、それに負けず劣らず白い手が握りしめた。すでに血は拭われていたし怪我も癒えていたが、の顔は先ほど見たよりよほど青白いようだった。自分勝手に出奔していた己よりも、のほうが長くイシュメアの傍にいたのだ。
「イシュメア様をお守りできずに申し訳ありません」
がヨシュアに向かって首を垂れた。
彼女がどれだけイシュメアを敬愛していたのかなど、明白であった。イシュメアとよく似た剣捌きがそれを物語っていたし、イシュメアに向ける視線も触れる手も慈愛に満ちている。
「やめてくれ。本来なら、俺が傍に居なければいけなかったんだ」
ゆっくりとが顔を上げた。じっと見つめる瞳から、逃げるようにヨシュアは目を伏せた。
の白い手が、労わるようにイシュメアの手の甲をそうっと撫でる。
「イシュメア様は、ずっと王子のお帰りを待っていました。こうして、最期にあなたの顔を見られて、イシュメア様はご満足されたことと思います」
「……」
「ジャハナに戻ってきてくださって、ありがとうございます。イシュメア様を看取ってくださって、ありがとうございます。イシュメア様のお顔は、わたしには幸せそうに見えます」
言われ、ヨシュアはイシュメアの顔へと視線を移す。
身体には惨い傷があるというのに、目を閉じたその顔は確かにどこか満足気に唇は微かに笑んでいるように見えた。目頭に熱いものを感じて、ヨシュアはきつく目を閉じた。ふいにの手がヨシュアの帽子に触れて、目深に被せる。
「誰も見ていません。どうか、イシュメア様のために、涙を流して差し上げてください」
そう言う彼女は、涙を零すことはなかった。それを薄情とは思わないし、むしろヨシュアを前にして気を遣ってくれたのだろう。そうとわかっても、嗚咽を堪えるヨシュアには何も言うことができなかった。
火の手はすぐに王宮全体に回って、イシュメアを連れ出すことは叶わなかった。
焼け落ちる王宮を見上げるの横顔は、炎に照らされて赤く染まっている。ヨシュアは彼女と並び立ち、同じように王宮を見つめた。
「イシュメア様は、このジャハナの砂に還ります」
「……そうだな」
ヨシュアを見上げたの双眸がやわらかく眇められる。
「あなたは何も間違ってはいません」
「それは……どうだろうな。俺は、幼稚で愚かだったことには違いない」
「何と言われようと、わたしは王子を責めませんよ」
が困ったように眉尻を下げて、微笑んだ。
ふ、とヨシュアは唇に小さな笑みを乗せた。少しくらい罵られたほうが気も楽になるというものだが、彼女にそれを望むのは間違っている。煤の付いた白い頬に指を伸ばして、拭ってやる。
「ありがとう」
イシュメアに仕えてくれて、ヨシュアを受け入れてくれて、言い表せぬほどの感謝の気持ちを込めて、ヨシュアは帽子を取って頭を下げた。
「王子、そんなふうに頭を下げるのはこれで最後にしてください。あなたは、イシュメア様の跡を継いで、ジャハナの王になられるのです」
──正しいことばかりを言ってくれる。
ヨシュアは悔しいような、腹立たしいような面持ちをもって、を見つめた。王子としか呼んでくれないことも、何だか気に食わない。幼い頃は、ヨシュアさまヨシュアさまと舌足らずに呼んでは、雛鳥のように後をついて回っていたくせに。
不満げな視線を受けて、がたじろぐのがわかった。
「……悠長に王宮を眺めているわけにもいかないな」
「はい、行きましょう」
当然のように付いてくるだが、その身体は本調子ではないだろう。怪我が癒えたとはいえ、失血が多すぎる。いまだに顔色は優れない。
「」
もう煤は付いていなかったが、ヨシュアはの頬に指を這わせた。
「お前は変わってないな。昔から母上を尊敬していて、どこまでも真面目で、……綺麗だ」
ヨシュアを見上げる視線が揺れる。
真っ直ぐに見つめてくるその瞳が、好きだった。それはいつもイシュメアに向けられていて、だからこそ自分だけのものにしたくて堪らなかった。長く離れていたというのに、を前にするとその想いが、より一層強まったような気がする。
いつか迎えに行く、とヨシュアはもうずっと昔に決めていた。
何かを言いかける唇に指を押し当てて、言葉を制する。薄く開かれた口が結ばれる。
「俺は必ずここに戻ってくる。その時は、を王妃に迎えたいと思っている」
の瞳がこぼれんばかりに見開かれ、結ばれた唇が戦慄く。しかし、ヨシュアは何も言わせぬまま「さて、まずはこの危機を乗り切らないとな」と、踵を返した。
グラドの帝国将軍がよりにもよって二軍も迫ってきている。
「、急ぐぞ」
石造のように固まったままのを振り返れば、彼女の顔は王宮の炎によるものとは違う赤みを帯びている。はっとしたが砂に足を取られながら、ヨシュアの後ろについた。ジャハナで生まれ育ったくせに、足取りがおぼつかないのは失血のせいなのか、動揺によるものなのかヨシュアには判断がつかなかった。
ヨシュアは白い手に指を絡め、転ばぬように引き寄せる。
「……一言だけ、言わせてください」
が声を絞り出すようにして、ぽつりと呟く。
「わたしも、ヨシュア様のお帰りを、お待ちしていました」
──ああ、は可愛らしくもあった。
ピン、と弾いたコインは予想した通りの面で、ヨシュアは「ツキが回ってきたな」と口角を上げた。これからどんな苦難が待っていようとも、ヨシュアに不安はなかった。イシュメアから受け取った双聖器の重みが、今は心地よい気すらする。
「ああ。ただいま、」
の手が、躊躇いがちにヨシュアの手を握り返した。