ふと、視線を上げた先に見知った顔をみつけて、ヨシュアは眉をひそめた。
 居心地が悪そうに男どもの間をくぐり抜けるその様は、どうにも夜の酒場にはにつかわしくない。ピン、と気まぐれに手のひらのコインを弾く。──さて、俺を見つけるのが先か、下卑た男どもに声をかけられるのが先か。
 果たしてがぱっと表情を明るくし「ヨシュア!」と、小さく手を振って駆け寄ってくる。ヨシュアは気づかれぬように小さく笑った。

 酒のにおいやたばこの煙に不愉快そうに顔を歪め、向けられる視線に居心地悪そうに肩を竦める。の姿はどう見ても浮いている。
 ヨシュアは子どもをなだめるようにぽん、と頭を軽く叩いた。

「ここはお嬢ちゃんが来るようなところじゃないぜ」
「……私は背が低いだけで、子どもじゃないのだけれど?」

 ヨシュアの手を振り払い、小さくため息をつく。
 確かにヨシュアとそう年の頃は変わらないが、その容貌は小柄で顔立ちも幼いためどうにも子どものように見えてしまう。ヨシュアは図らずもを子ども扱いし、その度彼女は呆れたり怒ったりしている。

 の機嫌を損ねてしまったらしいので、ヨシュアは何気なく話題を変えることにした。

「それで、俺に用か?」

 不意に、の肩に酔っぱらった男の手が回される。小柄な身体はすっぽりと腕に納まってしまう。
 ヨシュアは目深に帽子をかぶり、目を伏せる。ご愁傷様。

「可愛いお嬢ちゃんだなあ」
「相変わらず、品のない場所ね。汚らしい」

 吐き捨てて、が素早く男の腕から抜け出し、その腕を捻りあげた。無様にも痛みに悲鳴を上げる男を、一回り以上小さい娘が押さえつけているのだから、自然と周りの視線を集めることとなる。
 冷やかしを受けたが呆れた顔をして、男を床へと叩きつけた。ヨシュアはもう一度、心中で合掌する。

「ヨシュア! あなたね、助けてくれたって」
「すげぇな、あんた! やっぱ人は見かけじゃねぇなぁ」
「気の強い女はいいねぇ~」
「こっちで飲もうぜ、俺のおごりだ!」

 ぐいと手を引かれ、あっという間に男どもにもみくちゃにされたが恨みがましく「ヨシュア!」と叫んでいる。
 大ジョッキに酒を注がれて困った顔をしているをこのまま見ていてもいい酒が飲めそうだが、いかんせん後が怖い。ヨシュアは男たちをかき分け、の肩を抱いて引き寄せる。

「悪いな、俺の連れなんだ」

 が「偉そうに」と呟いて、ヨシュアの足を踏みつけた。



 腕の立つ傭兵と言えば屈強な男を想像するが、中には女もいるしのように小柄で一見ひ弱そうな奴もいる。ある仕事でと対峙したのが初対面だったが、おとなしそうな顔をしているくせ気が強く、外見に反して力が強かったため面食らったものだ。
 今では共に戦うようになったが、なんだかむず痒いような妙な心地である。
 信じがたいことに、背を預けられるほどに信頼しているのが、子どものように小さな娘なのだからおかしいものだ。

「どうして何も言ってくれなかったの」

 足早に先を歩いていたがふと歩みを緩めながら言った。ヨシュアはの言わんとしていることに気付いて、しかし言うべき言葉を見つけられなかった。
 の背はこんなにも近くにあるのに、ひどく小さい。

 振り向いたの顔が歪められている。怒っているような悲しんでいるような、あるいは憐れむような──よくわからない表情だ。

「ヨシュア」
「……」
「だんまりは嫌いよ」

 が苛立たしげに眉を跳ね上げる。

「私はあなたを信頼してる。ヨシュアは違うってこと?」
「それは」
「背中を預けるって簡単じゃないと思うの。少なくとも、私にとってはそう。ヨシュアだから、私は背中を預けて戦っているのよ」

「すごく裏切られた気分。あなたが悪いっていうわけじゃないけどね!」

 細い腕が、その身に似合わぬ大剣を振りかぶる。ヨシュアはそれを避け、反射的に剣を抜く。が幼い顔立ちに不釣り合いな妖艶な笑みを浮かべた。

「そうこなくっちゃ」
「お、おい!」

 の斬撃を避け、ヨシュアは素早く距離をとる。

「馬鹿な真似はよせ!」

 剣身で受け止めると、大剣の重みで腕にびりびりとした痺れが走り、ヨシュアは舌打ちをした。
 足払いをするが軽く跳んでかわされる。もう一度舌打ちをして、の懐へと踏み込む。仰け反るように身を翻したが、軽業を披露するように半転し、重さを感じさせない仕草で大剣が薙ぐ。

「相変わらず、馬鹿力……」
「なっ……!」

 の隙を見逃さず、ヨシュアは大剣を弾き飛ばす。「……!」衝撃に目を瞑ったを、そのまま腕を掴んで押し倒す。

「……おとなしく負けなさいよね」

 悔しそうに呟いて、がそっぽを向く。時折、子どもっぽい仕草をする。
 ヨシュアはわざとらしく肩を竦め、から退いて手を差し出す。不服そうな顔をしながらも、が手を取って立ち上がる。ひどく小さい手だ。

 思えば、とはずいぶん長い付き合いになる。
 ヨシュアはイシュメアの息子であり、つまりはジャハナの王子である。それがエイリークたちに知られたのは、イシュメアが亡くなった──すこし前のことである。の耳にも入らないわけがなく、何故だか気まずいような気がして、ヨシュアは意図的にを避けてしまった。


 言わなかったのは、それでの態度が変わったり、距離を置かれたりするのが怖かったわけではない。がそのようなことをするなどとは露にも思わない。
 しかし、恐らくきっと、が何かよくない方向に捉えてしまう可能性も拭えなかった。

 ヨシュアとは、決して恋仲というわけではない。けれど、そこには何か、仲間というだけでは言い表せない感情が存在している。
 たとえば、ヨシュアの身分が知られる前には、「がヨシュアに好きと言う確率」は半々であったとしたら、身分を知られた後ではその確率はゼロに等しいのではないか。

、」

 が弾かれた大剣を大事そうに鞘に納めている。振り向いた表情は気が抜けており、先ほどまで剣先を向けていたとは思えない。

「ん、なに?」
「飲み直すから付き合え」
「ええ?」

 酒場は嫌いよ、と文句を言うの手を掴んで歩き出す。
 もうすこしだけだんまりを決め込むこととしよう。賭けに勝てる見込みができるまで、とヨシュアは内心でほくそ笑む。ピン、と気まぐれに弾いたコインを横から伸びた手が奪い取った。「表か裏か、どっちだ?」と笑うその顔は、まるで子どもである。ヨシュアは声を上げて笑った。

(今はまだつかっていよう)