気性が荒い、と言われる鷹の民の中で、はあまりらしくない性質だった。どちらかと言えば、戦いや争いは苦手だし、傷つけることは殊更苦手だった。
変な奴、と幼なじみのヤナフは歯に衣着せぬ物言いをした。馬鹿にしているのではなく、それはヤナフの正直な感想である。ティバーンもリュシオンと中身取り換えてやれ、と笑った。同じような環境で育ったというのに、もとの気質から離れて随分と勇ましくなった鷺の民と、まるでその気配のない自分を思うと、生まれるところを間違えたのかもしれないとは本気で考える。くだらないことを、とウルキが一蹴したその考えは、今ものなかにある。
恋人に正直な気持ちをぶつけられないのも、鷹の民らしからぬ臆病な性格のせいだ。
もしヤナフの千里眼が心まで見透かすことができたのなら、の卑屈な考えだったり、狭小すぎる嫉妬心だったり、あまりにくだらないことで頭を悩ませていることに嫌気がさすことだろう。心を読むことができなくたって、もう嫌気がさしているかもしれなかった。
「ヤナフ」
は小さく小さく、恋人の名を呟く。ウルキの順風耳だって、音を拾っていないかもしれないほど小さな声だった。
もう何度も確認してみた自分の羽根の色は、やっぱり鳶色をしている。
はつい数日前に、王命によってアイク率いるクリミア軍に合流した。ティバーンの目と耳であるヤナフとウルキは、随分早くからベオクに力を貸している。は久しぶりに会える恋人との再会を待ちわびていると同時に、すこしだけ恐ろしいような気もしていた。
離れている間にヤナフが心変わりしてしまったのではないか、のことなどもう眼中にないのではないか。
ああ、鷹の民らしくない。
はこんなふうに考えてしまう自分が嫌だし、恥じている。
「あんた、ホントにいい女だよ」
そのよく知った声は、に向けられたものではなかった。
ヤナフがいい女だなんてを褒めるわけがない。悲しいかな、変な奴とケラケラ笑うだけだ。
覗き見など悪趣味だと知っていたが、は気配を押し殺して様子を窺った。ヤナフの傍らには、確かにいい女と称して差し支えのないベオクがいた。
まるで清流のような美しい髪。腰には剣を携えている。凛とした雰囲気が遠目でも伝わってくる。
当たり前だが、よりもよほど堂々としている。には誇れることなどないし、自信を持てることもない。
「え? えっ、ヤナフ、……え?」
親しげに言葉を交わす二人を前に声をかけることができずに、は逃げるようにその場を飛び去った。
「ウルキ、」
ようやくその姿を見つけて声をかけたときには、もうほとんど泣きべそをかいていた。「……どうした」と、慌てた様子がないのは、もしかしたらの泣き言をその耳で拾っていたかもしれない。それならばそれで、自分から姿を現してくれてもいいものを、とは恨めしげにウルキを見上げた。
「ヤナフが、あの、綺麗な女のひとと」
口にすると、益々実感がわいてきて、それと同時に涙が溢れてきた。はぎゅうとウルキの服を掴んで、細身に見えて弾力のある胸板へこつりと額を預けた。ぽろぽろと零れる涙がウルキの服を濡らしていく。
「、泣いてばかりではどうにもならん」
「わ、わかって、っる、うう……」
しゃくりあげて、まともに言葉も紡げないを突き放すことなく、落ち着くまで待ってくれているのはウルキの優しさである。
そっと肩に手が添えられる。
「ウルキ!」
バサバサと慌ただしい羽音と共に、怒った顔をしたヤナフが飛んでくる。
どこから、何を見ていたのか知らないが、相当急いで来たようでヤナフの額には汗が滲んでいた。
は濡れた瞳でヤナフを見る。ぐ、と言葉を詰まらせて、ヤナフが狼狽えるように視線を彷徨わせた。肩に添えられたウルキの手が、強くはない力でをヤナフのほうへと押しやった。
「……痴話げんかは犬も食わない」
ぽつりと呟きを落として、ウルキがさっさと飛び立ってしまう。
まだ何も聞けていなかったのに、とは追いすがるようにウルキを見たが、すぐに諦めて視線を落とした。痴話げんかだなんて、とヤナフは喧嘩だってしたことがない。が諍いを嫌って、すぐに謝ってしまうからだ。
苛立ちを隠さずに、ヤナフが荒っぽい仕草での肩を掴んだ。爪が食い込んで痛い。は恐る恐るヤナフを見上げた。
「泣くならおれの前にしろよ、何でウルキなんだ」
あなたの浮気を疑っています、なんて口が裂けても言えるわけがなかった。
聞きたいことがいっぱいあるのに、の口からは小さな嗚咽ばかりが漏れて、言葉にならない。
ヤナフがぎゅっと眉根を寄せて、顔をしかめる。「はあ~……」と、心底呆れた様子でため息を吐くと同時に、肩を掴む手から力が抜けた。
「悪い。怒ってるんじゃねぇよ、ただ……」
ヤナフが言葉を濁して、もう一度ため息を吐く。
「ただの嫉妬だよ! あーもう、言わせんなっ、くそ……!」
感情の揺れに合わせて、ヤナフの翼がばさりと広がって、ひらりと羽根が舞い落ちた。
は信じられない気持ちでヤナフを見つめた。嫉妬、と思わず呆然と呟きが漏れる。
「……嫉妬してるのは、わたしのほうなのに」
「は?」
「さっき、ベオクの女性と楽しそうに話してたでしょう」
はくしゃりと歪めた顔を見られぬよう、俯く。
「わたしは、ヤナフに相応しくないってわかってる。同じだけ一緒にいても王の側近になれるほど強くなれないし、戦うことはやっぱり怖くて苦手で鷹の民らしくないし、ヤナフに嫌われたくなくて言いたいことも言えないし」
肩を掴む手にぐっと力がこもって、引き寄せられる。ぎゅうと抱きしめられて、は痛みと苦しさを覚えたが、やはりそれを口にすることができなかった。鷹の民の中でも小柄なヤナフだが、はそれよりもっと小さい。ヤナフの腕の中で、は微かに喘ぐ。
「勝手に決めるな! おまえがそういう奴だってことは、おれが一番知ってんだよ。無理して強くならなくていい。おれがずっと傍にいて、守ってやる」
ヤナフが腕の力をゆるめて、顔を覗き込んでくる。
はその視線から逃れるすべを持たずに、無様な泣き顔を晒した。
「……そんなの、無理だよ……だって、ヤナフは王の傍に仕えなきゃ」
ヤナフの手が顔に伸びてきて、止まる気配のない涙をやや乱暴に拭った。「馬鹿だな」と、呟くその顔は、呆れたように困ったようにそれでも笑っていた。吊り目がちのその眦が、すこしだけ柔らかく下げられる。
「好きな女を守れねぇほど、おれは軟じゃない。それくらい知っとけよ」
何年一緒にいると思ってんだ、とヤナフがため息交じりに吐き捨てる。
次から次へと涙が溢れる瞳を閉じて、は触れる手のひらに頬を寄せた。もうきつい抱擁ではないのに、胸が苦しい。
「……こんな泣き虫でいいの?」
「おれの前で泣くならな」
「変な奴なのに? いい女になんて、何百年かかってもなれそうにないのに?」
「いい女ぁ? ああ、あれは……ま、目の保養みたいなもんだ。ベオク相手に惚れた腫れたがあるもんか」
は水分を含んで重たくなった瞼を押し上げて、ヤナフを見つめた。ふ、とヤナフが目を細めて笑む。背に回っていたヤナフの腕が腰に巻きつく。
「おまえは可愛くて、触り心地もよくて、守りがいのある最高のいい女さ」
ちゅ、と目尻に触れた唇が涙を食んだ。はようやくほっと息を吐いて、唇に笑みを乗せた。
はた迷惑な奴らだ、とウルキのぼやきを聞く者は誰もいない。