今日は雨だった。
 ひょこ、とは右足を引きずりながら歩く。普段は傷跡のことすら忘れるくらいなのに、時おりこうして歩くのに支障が出るくらい痛むときがある。古傷が痛むというのは本当なのだな、とは思ったものだ。
 壁に手をついて一休みしていると、ふいに差し出される手があった。

「ベレト先生」
「手を貸そう。そこの椅子まで歩けるか?」

 やけに恭しく手を取られる。その手は背を屈めたベレトの肩へと回されて、は身を寄りかからせる。ベレトの手が腰を支え、歩くのにほとんど痛みはなかった。少し大袈裟な気もするが、周囲に人気もないのでありがたく甘えさせてもらう。
 を椅子に座らせると、ベレトが膝を付いて右足の様子を見る。

「あの、天気の悪い日は大抵こうなんです。だから、気になさらないでください」

 ベレトが顔を上げる。「……そうだったのか」と、ぽつりと呟くように声を落とした。
 は苦笑して頷いた。いつまでもベレトが跪いたままなので、は椅子に座るように促す。教師をいつまでも上から見下ろしているなんて、何だか居心地が悪い。

 隣に腰を下ろしたベレトの横顔をちらりと窺う。あまり表情が変わらないので、何を考えているのかはわかりにくいが、やさしい人柄であるとは知っている。
 ──この右足の傷に心を痛めてほしくない。
 これは、ベレトの指導の元での実戦による怪我である。の未熟さゆえに負ったものであり、ベレトの落ち度など何ひとつないのだ。傷がいまだに痛むときがあることを、ベレトに知られるべきではなかった。

「本当に、わたしのことは、気になさらなくて大丈夫ですよ」

 ベレトが振り向き、切れ長の瞳がじっとを見つめる。はにっこりと笑ってみせる。

「ベレト先生も知っているでしょう? わたしがペガサスに乗ったら、右に出る者はいません。この程度、なんていうことありません」

 幸いだったのは、ペガサスナイトとしての才があったことだ。歩兵だったならば、士官学校に残ることすら難しかったかもしれない。

「だが、はセイロス騎士団を目指していただろう」
「………それは、もういいんです」

 以前に夢だと話したことを、ベレトが覚えていたとは思わず、すぐには言葉が出てこなかった。この足では、騎士団に入団できるわけがない。いくらペガサスナイトとして優れていようとも、土台無理な話である。
 ベレトがほんのわずかに眉尻を下げる。そんなふうに、悲しげな顔をして欲しくはなかった。

「ベレト先生は、わたしに償いたいんですか?」
「……できるのか」

 ベレトの表情は真剣で、眼差しは真摯だった。はそっと伸ばした手で、ベレトの頬に触れる。

「じゃあ、わたしのこと、ちゃんと卒業させてください」

 一瞬、虚を突かれたようにベレトが目を見開く。
 そして、頬に触れるの手を取ると、その指先を口元へと持っていく。ちゅ、と小さな音を立てて唇が触れて離れる。

「ああ、約束しよう」

 は慌てて手を振りほどいて「そ、そんなことはしなくていいんです!」と、真っ赤な顔で告げた。ベレトが目元をやわらかくして、小さく笑った。

白なざわめき

(あなたからは卒業したくない、なんてことは秘密です)