「、ちょっといいかしら」
さら、と肩にかかる長い髪を手の甲で払いながら、エーデルガルトがため息交じりに言った。呼び止められたは、びくりと肩を震わせて背筋を正した。
平民出身のは、貴族を前にすると緊張を覚え、それが王族となれば目を合わせることもままならない。ベレスの元で学びたいと学級を変えてもらったが、黒鷲の学級には平民出身者が少なく肩身が狭い。
「先ほどの模擬戦なのだけれど……」
エーデルガルトが困ったように、一度唇を結んだ。
模擬戦の内容はひどいもので、思い出すだけで顔が熱くなってくる。
戦いは得意ではないし、生徒同士で競い争うということはもっと苦手で、見知った顔へ武器を向けるのにはひどく労力を要する。けれども、まるで棒立ちのように防戦一方になってしまったのは、初めてだった。自身も困惑している。
「どこか調子が悪かったのかしら? あなたの実力にはそぐわない結果だったわ」
「い、いえ……!」
「私が皇女だから気兼ねしてしまった、なんて言わないわよね?」
詰問するような厳しさはなかった。ただ、納得のいく答えを求めている。
は正直に言ってしまうべきか迷い、視線を彷徨わせた。
「私の学級では実力が発揮できない?」
「そ、そんなことは」
は慌ててかぶりを振る。
級長として、エーデルガルトはを気に掛けてくれている──
ぎゅっとは拳を握りしめ、決意を固める。
「緊張してしまって」
「緊張?」
「だって、皇女様のような綺麗な方を前にして、その上じっと見つめられて、そうしたら身体が動かなくなってしまって」
対峙するのだから、相手を見るのは当然である。いつ攻撃を仕掛けるか、そういった緊張感の中だというのに、エーデルガルトの視線を意識して緊張するなんて我ながら馬鹿馬鹿しい。
「ご、ごめんなさい、今度はきちんとやります」
はしょんぼりと告げる。
ふいに、黙り込んでいたエーデルガルトが小さく噴き出した。
は伏せた顔を上げて、ぽかんとエーデルガルトを見た。てっきり怒られるとばかり思っていたのだ。
「ああ、ごめんなさい。そんな理由だったなんて思いもしなかったものだから」
ふふ、と笑いの尾を引きながら、エーデルガルトが再び髪を払いのけた。
「ねえ、」
「は、はい」
「エーデルガルト、と呼んでくれる? 皇女様、なんてあまりに他人行儀だわ。私たちは級友なのよ」
「え……」
いくら同じ学び舎の生徒だとしても、平民であるにはあまりに畏れ多いことだ。すぐには了承できなくて、は口ごもる。あら、とエーデルガルトが悪戯っ子のように目を細めた。
「大丈夫よ、ここでは不敬だと言う者もいないもの」
はそろりと周囲を見やる。あまり気やすい態度を取っては、ヒューベルトに快く思われないだろう。目に見えて怯える態度が可笑しかったのか、エーデルガルトがくすくすと笑った。
「それに、何かを言ってくる者がいても、黙らせるわ。だから安心なさい」
彼女はアドラステア帝国の皇女であり、次期皇帝──その肩書に相応しい気高さと威厳漂う姿に、は思わず見惚れる。
エーデルガルトの言葉に従わないなんて、そんな選択肢は存在していないようにさえ思える。
「エーデルガルト様、」
緊張で声が震えた。けれど、それを咎めることもなく、エーデルガルトが満足げに微笑んだ。