ヒュウの力量を正確に推し量ることはできないが、戦いぶりからはとても1万ゴールドの価値があるとは思えない。同じ魔道士として、はよくも1万ゴールドもの大金で雇われようとしたものだ、と呆れさえ覚える。
 しかし、違和感からよくよくヒュウを観察してみたところ、どうやら手を抜いているようだった。
 飛竜から飛び降りる気持ちたる半値で雇われたからなのか、理由は定かではない。だが、フェレに仕えるにとってみれば、ロイに対する誠実さや敬意が欠けていると感じてならない。ヒュウという男、金にうるさいところはあるものの面倒見がよく人は良いようで、悪い人ではないだろうがどうにも腑に落ちないのだ。


 はちらりとヒュウの魔道書をみやる。
 使い込まれているそれは、大事にしている、というよりももったいぶっているといったほうが近い。たかだか5千ゴールドの賃金では、やたらと魔道書を使う必要も感じない、といった所だろうか。

 同じ魔道士であることから、気さくに話しかけてくれたヒュウには悪いが、疑念は消えずにくすぶっている。
 ロイならば、このようなことにいちいち腹を立てたりしないし、そもそも手を抜いているなんて疑うことをしない。まっすぐな主であるからこそ、やマーカスなどが後ろ暗い部分を照らさねばならないのだ。
 は意を決する。ロイのため、ひいてはフェレのため──

「ヒュウさん、手を抜いて戦っていませんか?」
「はあ?」

 ヒュウが眉を跳ね上げる。心外だ、と言わんばかりの反応をされて、は自分の思い違いかと考える。

「5千ゴールドの働きは、しっかり! してるだろ」
「え?」
「ロイ様もさぁ、ケチケチしないで1万ゴールドくらい出してくれたっていいのによ」
「……」

 は小さくため息をついた。思った以上に金に執着しているようだ。とはいえ、人の良さゆえにヒュウの手元に残る金は、そう多くはないのだからかわいそうなものである。

「だったら、1万ゴールドに見合う実力はあるということですか」
「当たり前だろ! なんだよ、疑ってんのかよ」

 ヒュウにじと目で見られ、は慌てて首を横に振った。
 もし、ヒュウが1万ゴールド分の働きをしてくれたのならば、ロイにとっては大きな戦力となる。

「ヒュウさん」

 5千ゴールド支払うことができるならよいが、にはそのような手持ちはない。
 頭を下げて頼めば、人の良いヒュウならば、いずれは折れてくれるだろうことは目に見えている。ヒュウとはそういう男だ。しかし、人の良さにつけこむような真似は気が引ける。

「値切ろうたって無駄だぜ」
「そんなことしません。ただ、ヒュウさんには全力を尽くしていただきたいのです」

 ヒュウが視線を逸らし、気まずげに頭を掻く。「こっちだって、背に腹は代えられねぇしよ」ぼそりとした呟きは、なんとかしてやりたいというヒュウの心情が伝わる。は改めて、ヒュウが金にがめついだけの男ではないと思った。

「……わたしの身体では、5千ゴールドには程遠いかもしれませんが」
「お、おい」

 慌てて上がった声は上ずっていた。はゆっくりとローブを脱いで床へと落とす。中途半端に伸ばされた手がその先を止めることはなく、は服のボタンへと手をかけた。
 表情を強張らせたヒュウが、ごくりと固唾を飲み込んだのがわかった。
 ロイが知れば軽蔑するかもしれない。だが、知られなければ良いだけのことである。胸元のボタンが外れ、下着があらわになる。はさすがに緊張を覚えたが、ボタンを外す手を止めることはしなかった。

「っ、やめろって!」

 ヒュウの手がの手首を掴んだ。「ヒュウさん、」は呆然とヒュウを見上げる。
 顔を赤らめたヒュウが、のあられのない姿を視界に収めぬよう、思い切り視線を逸らしてくれている。ちらり、とこちらを窺い見たヒュウが、慌ててローブを拾い上げるとの肩へと掛ける。

「もっと、自分のこと大事にしろよ」
「……わたしでは不服ですか」
「い、いや、アンタに価値がないとかそういうんじゃなくてさ、」
「……でも、」
「むしろ、一瞬でも期待した自分が恥ずかしいっつーか……」

 ヒュウがごまかすように笑って、頭を掻く。けれど、に向き合った彼の表情は、この上なく真面目であった。は思わず息をのむ。

「ロイ様のため、っていうなら、こんなやり方すんなよ」

 ぐ、と肩を掴まれる。はさっと視線を逸らした。まさかヒュウにもっともらしいことを言われるとは思っていなかった。ロイに知られなければ良い、と思っていたことさえも見透かされてしまったような気がする。
 なにも言い返せない。はローブをぎゅっと握りしめる。
 自分の愚かさを突き付けられたようで、悔しさと情けなさ、恥ずかしさが涙となって込み上げてくる。は慌てて顔をうつむかせたが、ごまかせなかったようだ。肩を掴むヒュウの手に不自然に力が籠った。

「お、おい、泣くなよ」
「泣いていません」

 答えたの声はわずかに震えていた。

「あーもう、わかったって! ロイ様のためっつーか、アンタのためにもっと頑張るからさ、だから泣き止んでくれよ」

 ははっとして顔を上げる。「だめです!」その拍子に涙がはらりと落ちて散ったが、気にする余裕はなかった。肩から離れたヒュウの手を追いかけるようにして、はその手を掴んだ。「だめってなにが、」とヒュウの声には戸惑いにあふれている。

「ヒュウさんのやさしさを利用するなんて、だめです。お願いします、なにか対価を払わ、」

 払わせてください、との言葉が不自然に途切れる。
 掴んでいたはずのヒュウの手が、いつの間にかの手首を捕らえている。やわらかな感触に唇を塞がれて、それがヒュウの唇そのものだと理解するのには、数拍の時間を要した。ぺろ、と離れ際にヒュウの舌先が唇を舐めていったが、はろくに反応することができなかった。

「んじゃ、これでいいわ」

 え、とは呆然とヒュウを見つめる。あまりの驚きに涙も引っ込んでいる。
 ヒュウが照れ臭そうに笑った。

「アンタを守るためにも、もうちょっといい働きしないとな、って思ってたとこだし」

 はあ、と気の抜けた返事ともつかぬ声を漏らしたの肩から、ローブが落ちる。殊更恥ずかしそうに顔を赤らめたヒュウが、慌ててローブを拾い上げる頃に、はようやくその言葉の意味を理解して「え!?」と大袈裟に声を上げる。
 はヒュウの手からローブをひったくるように奪うと、鈍くさい動きで逃げ出した。「あ、」とヒュウが間の抜けた声を上げて固まる。

「つ、次の戦いでも、ヒュウさんのこと見させていただきますから!」

 は振り向かぬままに告げて、もつれる足でわたわたと逃げ去った。
 こんなはずではなかったのに。けれどもヒュウの戦いぶりを見たは、結果的に良かったのかもしれないと思わざるを負えなかった。やたらと笑顔を向けてくるヒュウから目を逸らしながら、は唇の熱を思い出して、ざわつく胸を押さえる。


「な? 1万ゴールドの価値、あるだろ?」

 ヒュウの戦いぶりは回を重ねても衰えることなく、ロイもいい意味で驚いていたほどだ。
 頷くほかないは、ヒュウのやさしい口づけを受け入れた。「なあ、もっと頑張ればさ、もうちょい先に進んでもいいか?」その先が意味することを理解した上で、は小さく笑ってヒュウの耳元へ唇を寄せる。

「ヒュウさんのこと、すきです。だから、いつでもいいですよ」

 そうして覗き込んだヒュウの顔が赤くなっているので、はもう一度小さく笑って、口づけた。

(値段なんてつけられない)