は思わず言葉を失い、かすかに顔を青ざめた。それだけの衝撃があったのだが、その言葉を放った本人が不思議そうに首を傾げ、顔を覗き込んでくる。
「ー?」
おーい、と目の前で手のひらをひらひらと振られて、ようやくは我に返った。
ノノが大きな目をぱちくりと瞬く。「大丈夫?」数秒反応が遅れたが、慌てては笑みを取り繕った。
「う、うん、なんでもない」
そう答えた声が震えていなかったことに、は内心で安堵した。
ノノが言うには、ガイアの好みは年上だという。
はゆっくりとその言葉を反芻する。年上、ということはどう考えても、自分は対象外であるということだ。年齢と言うのは酷なもので、どうあがいたとしても増やしたり減らしたりすることはできない。稀に、1000年以上生きていようが、見た目も中身もお子様のような人種もいるけれど、残念ながらは至って普通の人間だ。永遠に彼にとっては年下にしかなりえない。
憧れにも似た恋情は、告げる間もなく失恋に終わった。
はノノに気づかれないように、そっとため息をついた。でも、そのほうがよほど良いのかもしれない。育った環境も、外見もなにもかも、どうせ自分とガイアでは釣り合わない。
「あ! ガイア」
え、と思う間もなく、焦ったせいで足がもつれては派手に転んだ。
痛いし恥ずかしい…。
ガイアが驚きに目を瞠っている。「……なにやってんだ、スミアじゃあるまいし」呆れたように言いながら、ガイアが手を差し出してくる。
──ガイアさんは年上がすき。
ガイアの手に掴まり、立ち上がったは気まずく目を逸らし、うつむく。以前の自分ならば、ガイアに触れたことで舞い上がっていたことだろう。しかし、いまは気が重い。
「ありがとうございます……」
礼を言う言葉さえ、尻つぼみになってしまう。
照れ隠しとでも思ったのか、ガイアの手がぽんぽんと頭を軽く叩いた。思わぬ行為に、は緊張し身体を強張らせた。
「今ねー、ガイアの話してたんだよ!」
人の気も知らず、ノノが無邪気に笑う。ガイアが眉をひそめる。
「はぁ?」
「ガイアが、ノノのいろかをまったくわかってないって!」
ぷくー、と頬を目いっぱい膨らませるその姿はどこからどうみても子どもなのだが、これでガイアよりもよほど年上なのだ。
「色香……またその話か、もういいだろ」
「だめ!」
「あーはいはい」
ガイアとのノノやりとりを、はぼんやりと見つめる。
見た目だけなら、ノノだってとどっこいどっこいなのに、なんて不条理なんだろう。ずるい、とつぶやきそうになって、は慌てて唇を結んだ。
「どうした、怪我でもしたか? 派手に転んでたからな……」
ふいにガイアの視線がこちらに向いて、手が伸びてくる。「わ、だ、大丈夫です!」その手が触れるより早く、は身を引いた。ガイアの怪訝そうな視線を受けて、急に恥ずかしさに襲われる。
「ほんとうに大丈夫ですから!」
は耳まで赤くなっているだろうことを自覚する。慌ててノノの手を引いて、踵を返す。
「、どうしたのー? 顔真っ赤だよー」
ノノが不思議そうに首をかしげる。穴があったら入りたい、が当然そんなものはないので、は歩く速度を速めた。
「あ、じゃあねー、ガイア!」
ノノが呑気にガイアに向かって手を振る。はあえてガイアを振り向くことをしなかった。「なんだありゃ」と、ガイアがポツリとつぶやいた。
今日も今日とて「いろかを見せつけてやる!」と、ノノが張り切ってガイアのもとへ向かっていった。
のお気に入りの香水を惜しげもなくつけて行ったせいで、天幕にはその香りが漂う。甘い花の香りは、色香というには少々可愛すぎる。中身の減った香水瓶を見つめて、はため息をつく。
ノノの様子を見ていると、あきらめるのが早すぎるのではないかとさえ思ってしまう。そのくらい、ノノが意気揚々としてガイアにぶつかっていくのだ。
それでもは、もとよりささやかな恋心だったのだし、望み薄だったのだしと何度も自分に言い聞かせる。
色香など、にだってないに等しい。
「……」
考えれば考えるほど、気持ちが落ち込んでいく。
こぼれそうになった涙に、は慌ててかぶりを振って、気を取り直す。「こんなんじゃ、だめ」は小さくつぶやき、気を取り直して天幕を出る。身体を動かせば少しは気も晴れるだろう──
「ひゃあ!」
天幕のちょうど入り口に、思わぬ人物がそこにはいた。は不測の事態に、勢いもそのままぶつかって、可愛くない悲鳴が口から漏れた。
「っと、悪い」
「が、ガイアさん」
ガイアの胸に思い切りぶつけた鼻を、指先でなでる。赤くなっていないだろうか。
「あ、えっと、その、ノノならいません……」
はしどろもどろになりながら答える。当然、ガイアがノノに会いに来たのだと思ったのだが「知ってる」と返され、は瞠目する。
ガイアに腕を掴まれ、再び天幕のなかへと戻る。わけがわからないまま、はガイアによって簡易ベッドに座らせられる。ぎしりと鈍い音が鳴る。甘い花の香りに交じって、砂糖菓子のにおいがする。
「この前から様子がおかしいが、俺がなにかしたか?」
ガイアの切れ長の目に見下され、は思わず身をすくめる。「なにも……」うまく言葉が紡げずに、やたらと声が震えた。はぎゅっと唇を結ぶ。
怒っているわけではない。気にかけてくれているのだ。
はごくりと唾を飲み込む。努めて、平素を装わなければいけない。緊張で手のひらが汗ばむ。
「ガイアさんは、なにもしてません。わたし、そんなに変でしたか?」
いつもノノがしているように、不思議そうに首をかしげて見せる。す、とガイアが目を細めた。
「今さら、子どもぶった真似すんじゃねぇよ。あくまではぐらかすつもりか?」
「……!」
ガイアに距離を詰められ、は咄嗟に身を引いた。その拍子にバランスを崩して、ベッドに仰向けに倒れる。体勢を立て直す間もなく、ガイアが圧し掛かってくる。
ガイアの長い指が頬に触れ、はびくりと大袈裟に身体を震わせた。
「、さっさと正直に話せ」
噛みしめたの唇に、ガイアの親指が押し当てられる。
どうしたらいいのかわからずに、はこみあげてくる涙を両目から溢れさせた。「……っ、」慌てて目元を腕で覆うがすでに遅い。ガイアが素早くの上から退けた。
「す、すまん、泣かせるつもりじゃ……」
「もう、放っといてください。わたしの、こと、なんて」
「……放っとけるかよ」
ガイアが幾分か口調をやわらげ、優しい仕草で涙を拭ってくれる。「み、みないでください」と、は羞恥から慌てて顔を背けた。
「なあ、なにかしたなら謝るよ。だから、もとのお前に戻ってほしい」
ガイアの右手のひらが頬を包み込む。
「お前に避けられるのは……結構、つらい」
は思わず驚いてガイアを見た。じっとを見つめるその表情は、苦々しい。
つらい?
「どうして……」
思ったことが言葉になってしまい、ははっとして口元に手を当てた。「どうしてって、そりゃ……」歯切れの悪いガイアの言葉を、じっと待つ。
「俺は、お前のことが……好きだからな」
「え……」
は己の耳を疑った。──すき? ガイアさんが、わたしを?
「うそ。だって、わたし、ガイアさんより年下で……」
「はあ? そんなの関係あるかよ」
「で、でも、色香だってないし……っ」
「お前、ノノに言ったこと、本気にしてたのか……もしかして、それで様子が変だったのか」
「えっ」
ガイアが深いため息をつく。
はようやく、ガイアがノノに言っていたことがでたらめであったことを悟り、いま言われた言葉の真実味に気づいて火が出る勢いで顔を紅潮させた。さっと胸元まで赤みを帯びる。
「み、みないでくださいっ」
は先ほどの言葉を繰り返し、両手で顔を覆う。しかし、ガイアによって両腕をベッドに縫い付けられる。「その反応、期待していいってことか」ガイアの口角が意地悪く上がって、首筋を指が撫でる。ますます体温が上昇した気がした。
「」
促すように名を呼ばれて、は赤い顔のまま小さくうなずいた。
「ガイアさんのことが、すきです。年上が好みって聞いて、諦めようと思って、」
ガイアの口づけが言葉を遮った。「まだ諦めてなかったようでなにより」ガイアが笑いを含みながら、ささやく。はぎゅっとガイアの外套を握りしめた。