深い海を思わせる青い髪をひとくくりにして、エプロン姿でキッチンに向かうシーダは上機嫌だった。小さく鼻歌をうたいながら、おたまでシチューをかき混ぜる。
 よもや一国の王女とは誰も思わないだろう。ふふ、と思わず笑みがこぼれる。

 王女とはいえ、タリスは小さな島国であったため、シーダは庶民的な感覚を持っているし家事も得意だ。とりわけ、料理はすきで、タリスにいた頃もよく振る舞ったものだ。誰かのために作り、喜ぶ顔を想像するとシーダはそれだけで満たされた気持ちになる。
 シーダは人とのつながりが何よりも大事だと思っている。信じる心、愛する気持ち──シーダという人間を形成するにあたって、悪意は欠片もないと言っても過言ではないかもしれなかった。

「うん、美味しくできたわ」

 味見をして、シーダは顔を綻ばせる。この温かいシチューを食べて、すこしでもほっとした気持ちになってくれたら、と思う。いつもいつも忙しなく働いて、それでも疲れたなんて言わないし、沈んだ顔も見せない彼女が心を休める場所があればいい。シーダはそう願っている。



 白いローブ姿を見つけることは容易だった。
 城を見回って歩いているけれど、至る所で英雄に声をかけているから、どこに向かっているのか把握しやすいのだ。

、ちょっといいかしら?」

 そう声をかけながらも、彼女がだめと言うことなどないとシーダは知っている。が振り向いて、シーダと気づいて慌ててフードを脱いだ。彼女はこの異界において、英雄と呼ばれるシーダたちよりももっと偉大な存在であるというのに、身分というものを気にして畏まった態度をとるし目に見えて緊張する。

「シーダ王女、なにかご用ですか?」

 声をかけられる心当たりがない、というふうに、が不思議そうに首をかしげる。
 王女と呼ばれるのも、恭しい言葉遣いも、シーダはあまり好きではない。けれど、砕けて接するように強要するのは違うと思っているので、シーダは彼女が心を開いてくれる日を待ち望んでいる。

「あったかいシチュー、良かったらいかが?」
「えっ! シーダ王女が作られたんですか?」

 驚いて目を丸くの反応が可笑しくて、シーダは小さく声をあげて笑う。

「こう見えて、お料理はけっこう得意なの」

 秘密を語るように、すこしだけ声を潜めてシーダは悪戯っぽく囁いた。
 そうして、やわらかい手を引いて、キッチンへと向かう。この手は、剣や槍を持つわけではないけれど、皆を守っているのだ。


「わあっ、おいしい……!」

 シチューを一口食べて、が感嘆の声を上げる。よかった、とシーダは微笑む。

「シーダ王女はすごいですね。綺麗で、強くて、でも決して驕らないし、おまけに料理もお上手で……シーダ王女とご結婚されるマルス様は幸せですね」

 世辞ではないとわかる。だからこそ、恥ずかしくなって、シーダは顔を赤らめた。「も、もう、褒めたってなにも出ないのに」と、熱を持つ頬に手を当てる。
 がふと、スプーンを置いた。

「この世界にマルス様は居ませんが、まだ、もう少しだけわたしに力を貸してください」

 が頭を下げる。
 たしかに、マルスが居ないのはさみしいし、突然見知らぬ場へ召喚されて不安もある。それでも、こうして穏やかな気持ちでいられるのは、間違いなく彼女のおかげだ。
 誰かを喚び出すたびに、こんなふうに心を痛めているのだろうか。シーダは手を伸ばして、ぎゅっと握られたの拳を包み込んだ。びく、とその手が跳ねるように震えて、驚いた瞳がシーダを見た。

「わたしのほうこそ、あなたのそばに居させてね」
「え……」
「今さら帰れなんて言われたら、怒っちゃうかも」

 くすくすと笑えば、手の内にあるの拳のこわばりがほどけていくのがわかった。「ありがとうございます」と、またが頭を下げる。なにかを堪えるように一度拳に力が入り、彼女はしばらく顔を上げなかった。
 再びスプーンをとって、食べ始めたの瞳はすこしだけ潤んでいたが、シーダはそれを指摘しなかった。

「ほんとうに、おいしいです」

 そう言って、が幸せそうに頬をゆるめる。シーダはその顔をずっと見ていたかった。

さよならの練習をいつだってしている

(そんなあなたが悲しくて、愛おしい)