せめて、この世界が彼らにとって、すこしでも優しくあればいい。そう思いながら、異界の英雄たちを戦いに向かわせているなんて、なんて皮肉なのだろう。
 は虹色に輝くオーブを手にしながら、そっと目を伏せる。召喚の間に立つと、いつも胸が詰まるような、ひどく息苦しくなるような心地がする。エンブラ帝国との戦いは、これからも激しさを増していくことだろう。
 そんな戦いに巻き込むなんて、と良心が痛むのを、は何度も何度も気がつかないふりをする。

 次に現れる英雄が、鮮やかな赤髪の女性だったら──
 元の世界で恋人を喪くしたマシューのために、ささやかな祈りを持って、はブレイザブリクのトリガーを引いた。


 戦いは苦手だ、とマシューがぼやくたびに、は申し訳ない気持ちになる。

「おれの仕事は裏方だぜ?」

 その言葉は決して謙遜ではなかった。それでも、マシューが武器を取り、ここに留まってくれているのにはもしかしたら理由があるのかもしれなかった。いつも明るく笑って、冗談を言って、気安く接してくれるマシューにも悲しい過去があるのだと知ったのはいつだっただろう。
 にとって、マシューはヴィオールらと並んで最も長い付き合いになる英雄である。

 深い話をしたことはない。元居た世界の話も、あまり語らない。そう言った点は、密偵らしく情報を漏らすことなく厳守しているのだろう。マシューの口から名を聞いたのはただ一人、“レイラ”という恋人であった。








「あ……マシューさん」

 召喚の間から出ると、壁に凭れるマシューがいた。
 の姿を認めて「お疲れさん」と、マシューが軽く手を上げた。明るい笑みを向けられて、は思わず気後れするような気持ちになって、視線をわずかに下げた。

「お目当ての英雄はいたか?」

 ドキリとする。
 けれど、が誰を待ち望んでいるのかなんて、マシューが知る由もない。

「えっと、……」

 言葉を探すうちに、身体がふらっと傾いた。召喚というのは案外体力と気力を奪うらしい。マシューの腕に身体を支えられて、随分と召喚の間にこもっていたことに気づく。そして、今さらながら疲弊に気づくとは、あまりに鈍い。

「すみません」
「大丈夫か? 最近、やけに熱心だな」
「だって」

 この世界ならレイラさんと、
 喉まで出かけた言葉が、声にならずに消えていく。こんな思いは、ただただ押しつけがましいとわかっている。

「なあ、腹減らないか?」

 思ったよりもずっと近くで顔を覗き込まれて、は慌てて身体を離した。急に動いたせいで、一瞬目の前が暗くなる感覚に襲われる。は咄嗟に壁に手をついて、眩暈をやり過ごす。

「……無理すんなよ」
「へ、平気です」

 こんなことは、無理をしているうちに入らない。

 マシューの手が肩に触れる。労わるような手のひらが、温かくて、何故だか泣きたくなる。
 自分にできることは、召喚師としての役目を果たすことだ。戦いばかりで満ちるこの世界で、異界の英雄を酷使する自分は最も残酷なことをしている。は目を閉じたまま、伏せた顔を上げられない。

「ごめんなさい……」

 あなたの大切なひとを喚び出せなくて、という言葉もまた、声にならずに消えた。
 ぐっ、と肩を掴むマシューの手に力がこもった。もういいよ、がいつまでも言えないマシューがいるなんて、は知らない。

願う手のひら

(こころの中なら声じゃない)