ぶわりと血が沸き立つような感覚と、それとは反対に血の気が引いていくような感覚がした。自分にもこんな衝動があったのかと思うくらい、腹の底から声を張り上げていた。

!」

 思わず、敬称さえも忘れていた。
 流れ矢が当たっただけだ。それほど大きな怪我ではないと、頭のどこかで冷静に判断することはできていた。の瞳が驚きに瞠られるが、それがいったい何に対する驚きなのか、というところまでは今のルカには考える余裕がなかった。

 よろめいた身体を引き寄せて、ルカは素早く怪我の具合を見やった。どうやら矢が掠めただけらしく、血が流れ出ているもののそれほど傷は深くない。矢じりに毒が塗られている様子もない。
 残念ながら、この場に癒しの杖を使える者はいない。
 ルカは慣れた手つきで、患部に布を巻き付けて、ぎゅっときつく縛る。がほんの小さな呻き声をあげた。

「痛みますか?」

 の瞳がもう一度、大きく見開かれて、そうして目尻にぐっと力がこもる。睨むようにルカを見るが、それが怒りからくるものではないことは明白だった。

「ルカさんのほうが、ひどい怪我じゃないですか」

 震えた声が責めるように言った。けれど、それはルカを責めるのではなく、自身を責めているのだ。
 ルカはに指摘されて、ようやく右肩に刺さる矢に気づいた。この程度の痛みは、ルカにとってみればどうということではない。ソフィア解放軍においても、この戦いにおいても、もっとひどい怪我などいくらでも負った身である。

 ぎゅっと一度強く瞑られた瞳から、涙が落ちるのが見えた。
 ルカは右肩の矢を引き抜くと、手の内でぽきりと矢柄を折って捨てる。腕を動かすのに支障はない。

「戦いはまだ終わっていません。さん、指示を」

 潤んだ瞳がルカを見つめ、小さく頷きを返した。



 右肩の傷も、そのほかの傷も、まるで夢や幻だったかのように消え去っている。更に言えば、破れた服や鎧に入ったヒビでさえもが綺麗に元に戻っている。
 英雄は、召喚師さえいれば蘇る。では、召喚師自身はどうなのだろうか。

さん」

 元より深くはなかった彼女の怪我は、傷跡もなく綺麗に癒えているようだった。ルカは安堵の息を吐いた。

「君の身体に傷が残らなくてよかったです」
「だから! わたしよりもよっぽどルカさんのほうが……っ」

 が声を詰まらせる。戦場で見たときと同じように、必死に涙を堪える瞳がじっとルカを見つめる。
 労わるような手つきで、の手がルカの右肩に触れる。「ごめんなさい」と、もう何度も聞いた謝罪を口にして、が俯いた。

「……もう謝罪は聞き飽きましたよ」

 ルカは濡れた頬を両手で包んだ。俯いたままの顔をそうっともち上げれば、がさっと視線を伏せた。ルカは指先を目尻に這わせる。少しだけ細められた瞳から、ぽろりと涙が溢れる。

「だって、わたしが前に出過ぎたせいで、ルカさんは」
「……そうですね」
「何回謝ったって足りないです……!」
「ですが、それは君の自己満足に他なりません」

 濡れた睫毛が重たげに動く。潤んだ瞳は怯えをもってルカを見た。ごめんなさい、と言いかけた唇が小さく開いたが、音はなかった。
 ふ、とルカは小さく笑みをこぼす。

「とはいえ、私も人のことを言えた義理ではありません。こんな風に泣かせてしまっているのに、私は君を守ることができて満足しているのですから」

 望んでいないとわかっているのに、何度でもこの身は彼女の盾になるだろう。
 が唇を結んだ。ぐっと目尻に力がこもるが、涙は次々に溢れて落ちていく。「ルカさんの馬鹿」とが震える声で吐息のように呟いた。睨むようにルカを見る瞳は、本当に睨みつけているのかもしれなかった。
 けれども、ちっとも怖くない。むしろ可愛げさえある。だからルカは、思わず笑ってしまった。

たとえ世界を救っても

(君を救えなきゃ意味がない)